捕物開始
二条城大広間にて
在京老中阿部正外が会津藩在京家老、一橋家側用人、桑名藩在京家老を相手に激高している。阿部正外とは、旗本出身であり、神奈川奉行、外国奉行、町奉行と勤め、能力を買われて老中に就任すべく、譜代大名の本家を継いだ人物である。その人となりは、その経歴に相応しく、地味で真面目で偉ぶる所がなく、いかにも能吏である。その男が、彼史上最高に怒りに震えている。
「これは、幕府から政権を奪おうとする一橋公の謀か。」
「断じてそのようなことはございません。我が主は幕府第一に粉骨砕身しております。」
「どなたのせいで幕府が苦しんでいると思っておられるのか。朝廷が存続できているのは幕府が養ってさしあげているからでしょう。それなのに恩を恩とも思わぬこの仕打ち、誠にもって許し難し。こうなっては大坂に下り大樹公を説得申し上げ、京へ攻め上り天子を亡ぼしていただこう!」
「お怒りをお鎮め下さい。必ず宸翰は回収致します。しばしご猶予を頂戴いたしたく。」
「宸翰が長州に渡ったらどうする?薩摩に渡ったらどうなる?下坂を猶予?
そういう話は、幕府に大政を委任するとお書きになった、日付空欄の宸翰を持ってきてからにしなさいよ。それが順序ってもんでしょうが。」
「わ、わかりました、主より奏請いたします。ですので下坂はどうかお待ち願います。」
家老たちは逃げ出すように二条城を後にする。
小御所
小御所の南廂で泰清が被疑者の魂魄を見る。
好奇の目が気になるので座敷の襖は閉じてある。
侍従から一人ずつ対面する。
魂魄は胸の奥にあるが、じっと見つめては不審がられるので、手相を見るふりをする。
さぁ集中。
侍(土地御門さんとこの泰清さんだ。なかなか会えない噂の陰陽師!吾は今、手相?顔相?何を見てもらってる?よくわからないけど運がいい♪)
清:うっ、騒々しい人。
侍:(なんだかいい匂いがする、何の香だろう。唇も紅を塗っているみたいに血色がいい。世の中にはこんな男子もいるんだなぁ。お友達になりたい。)
清:うっ、しまった。
慌てて唇を内側に巻きこんで、唇に残っているだろう紅を隠す。
侍:(お友達になって下さいって言ってみようかな。あ、その前に、ちょっとこの手を握ってみたいかも。)
むぎゅっ。
清:「少し落ち着きましょうか!」思わず立ち上がった。
泰清の大きな声に驚いて襖があく。泰清の足元に侍従が転がっている。宮が怖々尋ねる。
「まさか絞めたのか?」
「滅相もございません。ちょっと気を失ってらっしゃるだけでございますよ。」にこにこっ。
「そうか・・・ならよいか。」襖はそっと閉まった。
その後、泰清が南廂で被疑者の魂魄を締め上げて、東廂に11体の被害者が寝かされた。
泰清は報告する。
「犯人は非蔵人頭(六位の蔵人)でございました。侍従の話を偶然に聞いて、書庫をあさり、外様小番部屋近くの非蔵人部屋で手紙を書いております。
内容は、『河瀬太宰殿 きっと役に立つ。これを蝋燭屋に渡すといい。』でございます。それからその手紙に宸翰を隠して、商人部屋へ行き、一人の商人を捕まえてこう申しております。
『八百善さん、聖護院西の樹下さんにこの手紙を届けてくれないか。』
『聖護院にお勤めの樹下さんですか?』
『そう。帰りがけに寄ってくれると有難いのだが。』
『お安い御用です。』
こんな感じです。」
お偉方の顔が驚きとともに明るくなった。
中川宮が「聖護院門跡は我が兄弟だ。協力してくれるよう文を書こう。」
宮は急いで書簡をしたためると、守護職に渡した。
守護職役宅上屋敷にて
新築の上屋敷の一室で、町奉行所職員、所司代職員、会津藩兵の代表者が集まって作戦会議を行っている。町奉行所西組番方頭の三郎は西組与力頭と一緒に会議に参加している。
「聖護院西の樹下ですか、随分具体的な情報ですね。」と誰かが言った。
聖護院は鴨川の東で、御所と会津藩の本拠地、金戒光明寺の間くらいにある門跡寺院である。聖護院西と言うからには、聖護院から鴨川の間ということだろう。そこで聖護院勤務の樹下となれば、ほぼ特定されている。
「神の託宣がありました。」この場を仕切っている会津藩士が答えた。
「なんですかそれ?」三郎は怪訝に思い、小声で与力頭に聞く。
「三郎ご執心の白狐の君のことだよ。」与力頭も小声で答える。
白狐は、信太の白狐の末裔である土御門家を指す隠語である。
だから三郎執心の白狐といえば我が姫になる。しかし頭が言っているのは主上専属陰陽師の方だろう。
「(執心について)なんでご存知なんですか!」驚く。
「は?部下の素行の把握は上司の義務だけど。ていうかみんな知ってるぞ。因みにかわいい女狐に誑かされているのも把握済みだ。この前なんて、二人で手を取り合って見つめ合っていたって言うじゃないか。」にやにや笑う。
「そんなことできるわけないでしょ!」大きな声で否定する。皆に一斉に注目されて、慌てて謝る。
「ふーん、やっぱり女がいるか。しかも片思いねぇ。」小声で茶化す。
「か、鎌を掛けましたね。」
「お前は脇が甘いんだよ。」
恐るべし町奉行所の探査能力。
「闇雲に人海戦術をするより、幾らかましだと思いますが。」会津藩士は、三郎が神の託宣にケチをつけたと思って反論をする。我が姫が言うなら三郎も同意である。しかし、自分に向けられた発言のようなので、意見を言う。
「雑色に聞けば樹下はすぐにわかるでしょうが、樹下、河瀬がどこの誰とつながっているかも大切だと思います。八百屋と聖護院に協力を求める必要があると思います。」
「では、雑色経路は町奉行所に任せます。聖護院経路は会津が請け負います。八百屋は桑名でお願いします。あとこれは私見ですが、蝋燭屋は長州人ではないでしょうか。」
「長州の四白だね、同意。」四白は、米、塩、紙、蝋燭を指し、長州の特産品である。これらの特産品は長州藩御用達の商人によって大坂を中心に大量に売りさばかれている。蝋燭屋は長州人を表す隠語か、はたまた本当に蝋燭屋なのかもしれない。
「やはり、その手の話として気を引き締めて対処しましょう。」
一同散会した。
上屋敷の玄関の式台で京都守護職松平容保が、集められた藩兵や奉行所職員に向かって直々に檄を飛ばす。衣冠姿の容保は痩せこけているが猶麗しい。京における徳川を体現しているようだ。
「これは幕府存亡のかかった大事である。我等は幕府あっての存在であることを肝に命じ、必ずや宸翰を回収せよ。」
その声は意外にも大きく、その場にいる皆に遍く届いた。
その様に歓喜して鬨の声が沸き上がった。
雑色は京都町奉行所職員の人数の不足を補う半官半民の存在です。町民と町奉行所をつなぐ役割を担っていました。例えば町触を実際に触れるとか。
有能な人材を譜代の養子にして老中にする、新規開拓の出世ルート。有能の必要条件は開国派で幕府至上主義であること。結果、幕府内では開国を妨げる主上を亡ぼそうという意見がでてきます。