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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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消えた宸翰

2週間休むと言ったのに書いてしまった。

清子の部屋の縁側で、槐は清子の髪に梔子(くちなし)の香油をつけてさらさらと()かしている。清子は、涼みながら髪を自然乾燥させているところだ。それがあらかた終わると、ほんの少し紅を付けてもらって、八稜鏡を手にする。

鏡は無反応。「お仕事かしら?残念。」軽く紙を唇に押し当ててもらって、少し早いが床に就くことにして蚊帳の中に入る。

うとうとと微睡んでいると、

「姫さん、姫さん、御所から若さんの迎えがおいでです。」渡り廊下に配してある式が板戸越しに言った。

「・・・今日はもう終わりなのに。」上布団代わりにしていた着物を一度頭まで被って、思いっきり引きはがした。もぅ!


泰清を迎えに来たのは会津藩士であった。

「お待ちいただき恐れ入ります。」わけがわからないがとりあえず謝罪した。

「滅相もないことでございます。手前どもこそ夜分に申し訳ございません。私は会津藩公用人の広沢富次郎と申します。至急参内していただきたくお迎えに参りました。こちら関白様からのお文でございます。」確かに関白さんの文、しかし参内せよとしか書かれていない。お父上さんを見ると、父は会津人に従うようにと頷いた。乗り物を用意させようとすると、

「私は、同じく公用方の小森久太郎と申します。火急の大事にて私の馬に同乗して下さいますようお願い申し上げます。」

これは一体何事?!泰清、初めての乗馬で疾走される、うわぁぁぁぁ(泣)。


公卿門で降ろされて、訳もわからず昇殿すると、小御所に連れていかれる。小御所では関白さん、中川宮さん、守護職(松平容保)、所司代(松平定敬(さだあき))、禁裏御守衛総督(一橋)、主上さんが密談をしていた。こんな恐ろしい顔ぶれの中に私が入れるはずがない。これは何かの手違いだ。屋敷に帰ろう。泰清は踵をかえした。

「泰清、泰清、私を助けておくれ。」主上が言った。恐る恐る振り返ると、主上が扇子の先でちょいちょいと呼んでいる。この場に召されたのは間違いではないらしい。泰清は仕方なく隅っこに所在無さげに座った。

関白が話始める。

「征夷大将軍を解任する宸翰が盗まれました。」

「?!」

「正確には宸翰の試し書きなのだが。」

関白の言葉はものすごい破壊力で泰清の思考を奪った。

「―――私は、主上はてっきり佐幕派かと思っておりました。」辛うじて言葉にする。

「もちろん佐幕でいらっしゃいます。」一橋公が強く否定した。

「何事も私の考えだけでは進みえず、そのような文章を書く日が来るやもしれぬと思い、その時は何と言って大樹を慰めようかと書いてみたのです。」と主上は困り顔で言った。

「責められるべきは、そんな文書を書かせた幕府だ。」中川宮は憤慨する。

「申し訳ございません。」高須兄弟(守護職と所司代)は平身低頭恐縮する。

「犯人は当番の侍従と非蔵人頭の内にいると思う。」と関白は言った。


御座の間で文書作成をしていた主上は、朝議の時間になったので、近習に文机周りの整理を頼んで、小御所に向かった。近習は問題の宸翰を収めた文箱を侍従に渡し、侍従はそれを書庫にしまった。近習は主上に近すぎるが故に、書き物の中身をあえて穿鑿(せんさく)しない。現に、侍従に問題の文箱を渡した近習は、文書内容を知らなかった。

これに対し侍従は、文箱の中身を確認しその情報を共有する。文書管理は侍従の役目である。近習は、侍従に中身を読んではいけないと指導をするが、見ないと管理ができないのだ。書庫の管理は侍従の役目だが、近習や非蔵人頭も時には書庫に出入りをする。


所司代が泰清に向かって言う、「表の朝臣全員に身体検査にご協力いただきましたし、所司代職員により表の政務所をくまなく捜索いたしましたが、問題の宸翰は見つかりませんでした。これはすでに禁裏外に出てしまったと考えるべきだと思います。通常ならば被疑者を縛り上げて吐かせるところ、有位の方々にて、証拠なくそのようなことはできません。その宸翰を欲している輩の心当たりが多すぎます。一刻も早く捜索範囲を絞りたいのです。」

「諸々と恐ろしいことでございます。」諸々の中でも、その解決を陰陽師に委ねようとする発想が一番怖い。

「ですが、この件の犯人捜しや宸翰探しに、筮占や方角占など採用なされませんようお願いいたします。筮占は神の託宣などではなく、事実に基づいた推量でございます。私には犯人を特定するに足る知識がございません。」泰清は強く主張した。これに対して守護職が、

「そうではございません。私は一年ほど前、払暁の君に寿命を見ていただきました。その際に君は仰いました、寿命を見ると心の中が見えてしまうと。心とは記憶の集積でございましょう?ならば君が犯人の寿命をみれば宸翰の行方がわかるのではありませんか。」

一橋公が鼻で笑う。「陰陽師だからと言って、他人の心などわかるはずがない。」

まるで私が詐欺師と言わんばかりだ。泰清子はむっとして言い返す。

「あなたは私ではございません。なぜ私に他人の心がわからないということがわかるのですか。」

「私は貴殿ではありません。だからもちろん貴殿のことはわかりません。

貴殿は他人とは別人格です。だから貴殿には他人の心はわかるはずがありません。当たり前のことではございませんか。」自然な感じで見下してくる。こんな調子だからこの男は全方位敵だらけなのだ。その鼻っ柱をへし折ってやりたい。

「議論の始まりに立ち返りましょう。あなたが私に、『他人の心などわかるはずがない』と申された時には、既にあなたは、私が他人の心がわかるかどうかをわかった上で申されたのではございませんか。それと同じように私も人の心がわかるからわかるのです。」

泰清、どや顔。

それを聞いた中川宮が言う。「そうか、できるか!」

!?しまった。

「これは売り言葉に買い言葉で・・・。

至誠の君、念のため断っておきますが、私は払暁の君の双子の兄です。妹は・・・旅に出ました。

コホン。

なるほど仰ることは道理でございます。しかし私はこれまで、寿命を見るついでに美しい魂を美しいと眺めてきただけでございます。それは絵本をぱらぱらとめくるようなもので、記憶を探るようなことはしたことがございません。」泰清は、人の心を写し取るようなことをしていいのかという倫理的葛藤と、結果精神的苦痛を受けるにちがいないとの予測から、急にごにょごにょと言い訳を始める。

「泰清、私のために力を貸してほしい。」主上は言った。

「・・・承知いたしました。」あぁ私の阿呆。


これは荘子の知魚楽です。

宸翰探しをなんとか陰陽師の仕事の範囲で解決したかったのですけど、無理でした。

近習と侍従について「幕末の宮廷」では今の侍従が近習だと書いてあったので、「女官」(明治末期の女官の回想記)の女官の役割分担を参考に仕事分担を考えました。なので不正確です。すみません。

非蔵人というのは何でも係で筆記書写の仕事も含まれます。非蔵人頭は6位の蔵人です。

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