月を背負う者たち
前話の終わりが詐欺的になってしまった。ごめんなさい。
「こらこら、子供相手に何をしちょっど!」
旅装の武士三人が犯罪現場に介入した。
「よか年した大人が働きもせず、恥を知れ。」
あっという間に人攫いは散っていった。実利主義者の薩摩武士は、少年たちが公家と見て助けた。
薩摩武士は少年二人を観察する。
一人は袷に切り袴で、一人は水干に帯刀。一人は堂上家の子息で一人はその近侍か。主人の格好が普段着だ。別荘がこの近くにあり、ちょっと散歩にでたら運悪く、と言ったところだろうか。意外にいい拾い物かもしれない。
「こげん時間に何をしちょっとな、危なかぁ。送って行くで、お屋敷はどこね?」
「・・・。」
「どうしたと、家出でもしたとな。」
「・・・。」
「こりゃ図星じゃ。」武士たちは顔を見合わせて苦笑した。
「拙者は薩摩藩士の奈良原喜八郎と申す者。よければ薩摩藩邸に来もはんか。」と三十そこそこの強面の武士が言った。
泰清は二度も怒られているので真備を窺う。
「助けていただきありがとうございました。私は幸徳井真備と申します。有難い申し出ですが、宿くらい自分で何とかできます。」真備は、感謝をしているのかしていないのかわからない言い方をした。基本的に人を頼ることが下手な性格である。
奈良原はそんな真備のご機嫌をとるように言う。
「名家じゃなかね。意地を張るもんではありもはん。お連れさんの足を見てみんさい。血がでちょるぞ。」そう言って泰清の足元を照らす。
真備は、はっとして泰清を見ると、靴ずれで草履の鼻緒に血が滲んでいた。真備は気づかなかったことを恥ずかしく思い、泰清は泰清で世話の焼ける自分が情けなくて、申し訳なさそうにした。
「手当をすっでついてらっしゃい。なぁに、取って食うたりしもはんて。」薩摩藩邸はすぐ近くだ。真備は申出を受けることにした。
薩摩藩邸にて
二人は庭から縁側のある部屋に通された。誰かが水の入った盥と新しい綿布を持ってやってきた。真備はものだけ受け取って、泰清を沓脱石のある縁側に座らせて、その足を洗う。
人形じみた少年たち、盥に映り込む春月、黄水仙、勿忘草、淡水色が仄暗い蝋燭の灯に照らされてちらちらと揺れ動く。二人は、計らずも見ている者を不確かな世界に誘い、誘われた者はあるいは感嘆し、あるいは眉を顰めた。
泰清が冷水に足をそっと浸す。水が傷口にしみて、足がびくっと縮む。
「痛い?」真備は見上げる。
「痛くないよ。」泰清は小さく答えた。
傷の手当を終えると客間に通されて、食事をもらう。
「時間が時間じゃで、まともなものが無か、有り合わせで我慢したもんせ。」膳を運んできた誰かが言った。
白米、鶏肉と野菜がいっぱい入ったお味噌汁、薩摩芋の天ぷら、軽羹がのった膳が二人の前に置かれる。二人は、おなかが空いていたので、美味しそうな匂いに思わずにっこりする。
奈良原は、少年たちから色々聞きだすべく一緒に食事をする。連れの身元、家出の理由、これからの予定を尋ねるが真備は黙々と食事を続ける。連れは連れで幸徳井少年の顔色を窺うばかりで話をしない。
大概の人間は、飯で釣れば心を開くものだろう。少なくとも薩摩ではそうだった。奈良原は腹が立って、
「あん時わし等が通らんかったら、どげんなっとったことか。」と恩着せがましく言った。
すると真備の箸がぴたりと止まった。
「助けてもらってなんですが、俺の刀には毒が塗ってあるので、何とかなったと思います。ちょっとした目くらましとこの毒で、今まで負けたことはありません。」
可愛げの欠片もない糞餓鬼だ。
泰清はさすがにこれは非礼だと思い、真備に許可をとる。
「真備、私も奈良原殿と口をきいてもよいか?もう知らない人ではないだろう?」
「仕方がない。」拗ねたように答えた。どっちが主かわかったっものではない。
泰清は、厚情に感謝してすべてを話した。一部だけを切り出して話すには難しい話であった。
「幕府の開成所?幕府はもうすぐ滅びもす。うちの開成所に来たらよか。」奈良原は言った。
「滅ぶ?」
「愚かすぎて滅びもす。老中が一公を連れ戻しに兵を率いて来っとか、愚かと言わんでなんちゅうとね。」
真備と泰清は顔を見合わせた。
二人は隣り合った部屋を一部屋ずつ与えられた。泰清の部屋の縁側で二人で話をする。
「今回の我等の敗因は何であろうか。」と泰清。
「うちに対する反感の強さを甘く見すぎました。」と真備。
では泰清が自分ですれば事は成ったかというと、それもない。このような話をする信頼関係を泰清も寮生と築けていない。
「いや、急ぎすぎたのだ。」
「ですが我等に十分な時間があるのでしょうか。」目を見張る速度で神の領域は犯されている。民間陰陽師はそれを減収減益で身に染みて感じている。
しかし焦ったところでできることはない。
沈黙が流れた。
「信徳丸たちはどうなっただろうか。」泰清は静かに呟く。
「うまく逃げてくれているといいのだが。」真備も静かに言った。
多分捕まっただろう。
「―――真備、そなたはこのまま薩摩の開成所に行ってはどうか。」泰清がゆるゆると言った。
「若様はどうなさいますか?」真備もまたゆるゆると言った。
「私は、明日、邸に帰ろうと思う。なに、そなたとはすぐに逸れて道に迷ったとでも言う。それから信徳丸たちを解放して、こちらに向かわせて、一緒に薩摩に行くがよい。」
清子は薩摩が嫌いだ。薩摩は泰清を殺した長州を助けようとしている。
でも・・・。
「―――うん、そうですね。俺には俺にしか、あなたにはあなたにしかできないことがある。」
また沈黙が流れる。
「薩摩は遠いな。」泰清は白い月を仰いで呟いた。
「俺とあなたは運命共同体。何かあればきっと駆けつけます。」真備は泰清を見つめる。
泰清はその言葉にふっと微笑んだ。
冷たい月明かりが注いでいる。
二人でならばこの運命に打ち勝つことができるだろうか。
翌日、泰清は、薩摩藩の京都留守居役、高崎正風と面会し、真備と少年団の今後のことを頼んだ。高崎は喜んで引き受けた。それから土御門家に向けて文鳥を放つ。
しばらくすると迎えがきて、二人は最後の言葉を交わす。
「元気で。」
「お元気で。」
泰清はくるりと背を向け歩き出す。
真備はその背中に向かって声をかける。
「 ――――― いつか、いつかもう一度、みんなで蛍を見ましょう!」
清子は振り返り、一瞬微笑んでから部屋を出た。
薩摩人は大政奉還派で揃えてみました。
真備は討幕派に清子は佐幕派に別れました。
奈良原が言っている「老中が一公を連れ戻しに・・・」というのは元治2年(1865年)2月7日老中阿部正外と本荘宗秀が銃隊を率いて入京した事件です。上京してから参内するまでタイムラグがあって、幕府内部でも揉めている感じがします。2月22日参内して小御所で天皇出御で公家達から詰問攻めのボコボコにされて本荘は江戸に戻って将軍の上京を促すことを約束させられ、阿部は銃隊を率いて大阪防備を命じられ、早々に追い払われました。
勝海舟が家茂のことを吉宗の再来みたいに心酔していますが、家茂の周りは幕府権威の挽回を計ろうとする人が権力を握っています。結局は家茂自身がそうなのでしょう。惜しむらくはそれを完遂するだけの能力がないことです。こういうことは、京都を手中に収めている会津藩と謀ってやるものでしょう。老中と徳川一門で相互不審に陥っています。徳川宗家は入れ物にすぎず将軍の老中に対する権威が低下しています。これは家茂が家臣の意見をよく聞く人だったのかもしれませんが。(そうすると、家茂の先見性が平凡だったという残念な、やっぱ慶喜にしとけばよかった、という話になります。)これは幕府の機構が外敵を想定しておらず、内部で力の削ぎ合いをするように設計されており、時代に合わなかったということだと考えます。
江戸と京都の距離は、物理的にも心理的にも、ものすごく遠いですね。