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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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絶体絶命

「あぁ。もう関白殿がおいでになった。」長州派公家たちから落胆の声が上がる。

「ならば正々堂々朝議で勅を勝ち取るまで。」有栖川宮は同志を励ます。

「まだ望みはある。こんな時のための宣戦布告書じゃ。」正親町は宣戦布告書を握りしめる。

反長州派には、関白、主上に媚びた浮動票が存在する。戦が差し迫れば、寝返る者もでるはずだ。第一の策が破れた時の次善の策は、戦に対する恐怖を煽り、正々堂々と長州宥免の勅をだすことである。


小御所にて

着座早々、有栖川宮が宣戦布告書を示し「戦禍が目前に迫っている。長州を許してやればこの災厄は避けられる。王都を灰塵に帰すべきではない。」と口火を切った。

これに対して関白が「この期に及んで許すなどと脅しに屈したようではないか。そのようなことは朝廷の威信にかけてできるものではありません。」と反論する。

これに対し正親町が、

「それによって多くの民が救われるのです。朝威を傷つけるどころか、戦禍から民を救った慈悲深いご英断と皆が賞賛いたしましょう。」と再反論する。

すると中川宮が怒る。「武威を示されるたびに許すのか。ふざけた事を申すな。」

朝議は開始早々紛糾する。

大炊御門家信が「そのようにおっしゃいますが、長州の兵力は三千。こんなものに攻められたら我等はいったいどうなるのです。考えただけでも恐ろしい。」と怯える。

さらに橋本実麗が「この宣戦布告書をよくお読みください。長州は会津の横暴に腹を立てているのです。長州の戦の相手は朝廷ではなく会津なのです。容保さえ洛外に追放すればこの戦は避けられる。朝廷が巻き込まれる必要などないのです。」と文言解釈をしてみせた。

一橋慶喜が容保をかばう。「容保を追い出すのは不可でございます。会津中将は守護職の職務を全うしたにすぎません。会津を追い出せば長州はこれ幸いと兵を率いてやってきます。」

大炊御門「やってきて何が悪い。そのまま御親兵にしてしまえばよいではないか。」

朝議は延々と続き、日付が替わった。主上は黙って聞いていた。

とうとう伏見から開戦を告げる早馬がきた。

主上が近習に言う。「一橋中納言をこれへ。」

一橋が御簾前近くに着座する。

主上は小御所中のすべての者に聞こえるように綸言を下す。


「賊は長州。違勅の徒を掃討せよ。」


一瞬息を呑んだような静寂が支配し、その後に、動揺がさざ波のように小御所を満たした。

「出来なかった。出来なかった。」「未だだ。我等が諦めては皇国が滅ぶ。」


夜が白み始めたころ、突然数発の砲声が響き鬨の声があがった。

一同は紫宸殿に移動した。紫宸殿の真ん中に、主上と若宮。その周りに関白議奏近習といったおそば近くが取り巻いている。泰清は若宮近くに、晴雄は紫宸殿の端っこにいる。

清子は紫宸殿の北側の簀子縁に座っている。渡り廊のわきで紫宸殿の扉が開けば、扉の影になるところだ。

もっとも紫宸殿内は大騒ぎで、泰清が二人いても誰も気付かないものと思われる。

宣戦布告書などより実際の砲声銃声は効果絶大で、関白と主上が長州派に取り囲まれている。公家は十人中八、九人が攘夷派なので、とんでもない針の筵状態である。勢いづいた長州派は、和議!和議!としきりに申し立てる。


泰清は関白の鶉を連れてきて、若宮を慰めている。

「名前はうずちゃんです。あっ、お触れになっては危のうございます。うずちゃんも気が立っておりますから。」

若宮がこっくり頷く。泰清がにっこり笑う。鬨の声と銃声が聞こえてくるが、もっと言えば、隣で父君が身の縮む思いをしているが、周りの喧騒が届かないかのように二人で現実逃避を図っていた。

どさくさに乗じて逃げてきた中川宮が若宮のところにやってきた。

「おー、うずちゃん、お前は気楽でいいなぁ。」そう言って、宮は檻の中に指を入れて鶉を触ろうとする。うずちゃんが思い切り突つき返した。大人は現実と向き合わなければいけないのだ。鶉が宮に教えている。

中川宮の逃亡に気付いた公家たちがやってくる。

和議!和議!

若宮を巻き込まないように宮はその場を離れる。

困った宮が苦し紛れに晴雄に助けを求めた。

「そうだ!和議をすべきか否か陰陽頭に聞いてみよう。これは朝廷の命運を左右する一大事だ。神は何と仰せだろうか?」

仕方ないので、陰陽頭は思いっきり丁寧に筮占をする。

皆が固唾をのんで注視する。

結果は勿論、坎為水(かんいすい)

「嘘だ!」「ズルしたろう!」と公家たちが騒ぐ。

嘘です。ズルしました。けど、「滅相もない!」

和議!和議!和議!和議!

収拾不能。


しばらくして主戦場が西から南に移り、銃撃戦の流れ弾が紫宸殿前まで飛んでくるようになった。

長州派はさらに増長する。これ以上騒ぐとどうなるかというと、

「ここは危のうございます。下加茂神社にご遷幸いたしましょう。」と有栖川宮。

御遷幸!御遷幸!

「いやいや、この状況で禁裏から出る方が危険ではないか。」と関白。

「いやいや、禁裏に兵が迫る前に早く御遷幸なさるべきです。」と有栖川宮。

御遷幸!御遷幸!

「ならば鳳輦を準備致しましょう。神器も忘れずに。」と中山。

長州派たちは勝手に引っ越しの準備をし始める。鳳輦置き場(輿庫)はすぐそこだ。

中川宮が狼狽えている。「なんとか、なんとかせねば。」

長州の回し者が主上に熨斗(のし)をつけて渡そうとしている。

「できるだけのことはやってみます。」見かねた泰清はうずちゃんを持って、清子のところに走った。

「清、うずちゃんの意識を奪ってくれる?」簀子縁にうずちゃんの入った籠を置く。

「意識を奪う?」

「長州派がご遷幸を謀り鳳輦を出そうとしている。うずちゃんを使って鍵をかっさらいたいから、僕が操れるようにして欲しい。」泰清は早口で説明する。

魂しかない鬼は容易に操ることができるが、清浄な禁裏には鬼がいない。魂魄ともに揃った生き物を操ることは至難の業だ。だから魂魄共に弱まった意識不明の状態にするのだ。

泰清は、嘴で突かれるのも気にせずに籠の中に手を突っ込み、うずちゃんを清子に差し出す。

生かさず殺さずは加減が難しく、失敗すれば関白の愛鳥を殺すことになる。清子は少々困惑する。しかしやらねばなるまい。


来たれ天衝!

()王は道を譲り、蚩尤(しゆう)は兵を避いた、我は(あまね)く天下を巡り戻らん。

我に歯向かう者は死に、我を(とど)める者は滅びる。急急如律令!


清子は小声で呪文を唱えながら、うずちゃんの額に小さく清明桔梗を施した。

泰清の手の中でうずちゃんは伸びた。

泰清はうずちゃんの背中に手早く大きく清明桔梗を施し、うずちゃんの魂魄を支配する。

「うずちゃんは(からす)だ。光ものが大好きな烏だ。さぁ輿庫の鍵をさらっておいで。」そう言って空に放った。輿庫の場所を知らない清子にはできない仕事である。


輿庫には公家たちが群がっている。うずちゃんが輿庫上空に着いた時は、まさに鍵が鍵穴に差し込まれようとしていたところで、それがきらりと反射した。うずちゃんはこれを見逃すことなく急降下し、鍵をかっさらった。

公家たちは驚いて空を見上げ、烏っぽい鶉の行方を目で追った。

うずちゃんは紫宸殿の周りを旋回し、屋根の死角に入って戻って来た。

「よーし、いい子だ。」泰清が籠の中を覗きながら言う。

籠の中にはのびたうずちゃんと輿庫の鍵がある。

清子と泰清は互いに笑顔を向けた。

泰清は若宮のところに戻って行った。


輿庫の鍵がなくなったことで、長州派たちは錠前を金鎚で壊すことにした。どこからか金鎚を持ち出してくる。泰清の努力はほんの一時の時間稼ぎにしかならなかった。

中川の宮が頭を抱えて簀子縁を行ったり来たりしている。

とうとう錠前は壊された。

鳳輦は公家たち自身の手で運ばれて、紫宸殿の階下に置かれた。

神器も揃っている。

「さぁさぁ、御遷幸の準備が整いましてございます。」と有栖川宮。

「さぁさぁお早く。」と正親町。

さあさぁ!さあさぁ!さあさぁ!さあさぁ!




カオスな世界。

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