クーデター再び
どこにこの話を入れるのが座りがいいか悩み、やっぱりここに入れることにしました。
夕暮れ時
公卿門前に公家達が大挙して押し寄せた。
「我が邸に宣戦布告書が投げ込まれた。至急朝議を開かねばならぬ。門を開けられよ。」
「いくら有栖川宮様でも許可なくお通し申し上げることはでき申さず。」と会津兵。
「長州が今にも攻めてくるというのに事の重大さが分らぬのか、これを読んでみよ。」と正親町は宣戦布告書を門衛に見せる。
書状には容保の十の罪状と故に天誅を加えるという趣旨のことが書かれている。
門衛が怒りで顔色を変える。
「だから早く門を開けよと申しておるのだ。」と中山忠能。
「門を開けよ。」公家達は口々に言い募る。
しかし会津藩士はそんなに甘くはない。
門衛は、「許可なくお通し申し上げることはでき申さず。」と繰り返しザザッと門の前に立ちはだかった。
「これだから会津は融通が利かぬ、善悪の区別がつかぬと言われるのだ。さっさと許可をとって参れ。」と橋本実麗は苛立ちを露わにした。
一人の会津兵が人垣をかき分けて、隣の台所門に走った。
公家達が押しかけて来たことは主上の叡聞に達した。
主上は思わず立ち上がり、御座の間を行ったり来たりする。
主上は長州派があまり好きではない。長州派の多くは過激攘夷派であり、暴論に走りやすく、強引で秩序を乱すのだ。これは偏見ではなく自身の経験から学びとった教訓である。
だが、宣戦布告書という一大事を持ち込んだのに参内を許さないというのは理由が立たない。
主上は、近習に関白以下反長州派を至急招集するように命じた。
それでもなお落ち着かない。
「このような一大事の朝議に臨席しないわけにいかない。
関白らが参内するまで、私は一人であの者たちを相手にせねばならぬのか。」昨夏の悪夢を思い出し、到底できる気がしないと思うのだった。
桂小五郎は宣戦布告書を差し出して頭を下げている。
「策?」有栖川宮。
桂は話始める。
「宮様始め我等の事を不憫に思し召し下さる方々だけで朝議を開き、我が藩の宥免と我が藩に攘夷を命じる勅命を出していただきたいのです。」
「偽勅か?」そのような姑息なことは好きではない。有栖川宮は眉を顰める。
「とんでもございません。議奏がいらっしゃり、国事御用掛がいらっしゃり、何より主上が臨御なさればそれは立派な朝議でございます。」
有栖川宮は考える。
攘夷は皇国の尊厳の為、人心安定のため成されるべきである。そのためには攘夷の魁である長州藩を朝敵にしてはいけない。主上は攘夷派だ。しかし長州藩にはかなりのご立腹で、正攻法ではすでに攻めあぐねている。
だがもし関白らの援護がなかったら、果たしてあのお優しいお方は一人で踏ん張っていられるだろうか。
否、有栖川宮は確信した。
ただ、だからと言って事はそんなに簡単ではない。
「そのような勅はすぐに覆されるのが見えている。」すぐに関白や中川宮がやって来て取り消すに決まっている。そうなればその後に待つのは朝廷内での攘夷派のさらなる凋落である。
「覆えさせないようにするのです。」と桂は意味深な物言いをする。
「どのように?」
「同時に、関白、中川宮ら帝を取り巻く奸臣の参内禁止と会津藩の御門守衛の任を解く勅命をだすのです。そして代わりに因幡藩、備前藩、対馬藩、加賀藩に御門守衛をお命じください。これらの藩は勅命があれば我等に加勢をすると申しております。また水戸藩士、筑前藩士、安芸藩士らも協力すると申しております。そして何より我が藩が御親兵となるべく馳せ参じます。」
「それは本当か?」それだけの兵力があれば、長州藩が来るまでの間、主上の身柄を確保して立て籠もるくらいのことはできそうだ。
「朝敵にはなれないが、攘夷を実行しない幕府に不満を抱く藩は多くございます。皇国の為それらの力を結集し、真に帝の叡慮に適う政を致しましょう。」そう言って、木戸は各藩と交わした書状を宮に見せたのだった。
主上は御座の間を行ったり来たりする。
見かねた近習の倉橋泰聡が、「本日陰陽頭が宮廷内に滞在しております。何とかするようにお命じ下さい。きっとお役に立ちましょう。」と言上した。
主上は陰陽頭を召して言う。
「陰陽頭に命じる。朕に降りかかる災厄を祓え。」
倉橋家は土御門家の分家。