鳥籠
7月18日 御所内 八景の間(関白執務室)
朝廷が通告していた長州勢の撤兵期限が過ぎたので、清子は二条関白に連れられて御所に参内した。
昨日の朝議により、今日は長州藩へ最後の説得をする日とされた。今時分は議奏たちが留守居役を説得している最中だ。
清子は慣れぬ装束で居心地悪く座っていると、泰清と晴雄と中川宮がやって来た。
「キヨシ、ぷぷっ」と泰清は笑う。清子が片方の頬を膨らます。
「よく似ているではないか。どこで区別をすればいい?」と中川宮が笑っている。清子はもう一方の頬も膨らます。
「内々ではキヨシと呼びますが、人前では泰清ですよ。くれぐれも二人一緒にいるところを見られてはいけませんよ。」と関白が泰清と清子に向かって言う。泰清は余計ににやける。
「キヨシの控える場所は広橋卿の指示に従ってください。衝立の後ろだったり、次の間だったり、色々考えてくれるでしょう。」と関白。
それから関白は、おもむろに部屋の隅に行き、鳥籠の鳥に箸で餌をやり始めた。二人に鳥でも見せてあげようという心使いかもしれないが、ただの気慰みかもしれない。
泰清が、「関白様は鶉を飼っていらっしゃるのですか?」と聞く。
「ええ、この愛らしい姿を見ていると心が安らぎます。」と関白は微笑む。
鶉のコロンとした姿は確かに愛らしい。泰清も清子も鳥籠をのぞき込む。
鶉がギョエギョエと鳴いた。
その鳴き声に、首から下げたお守袋の中の葛の葉が、美味しそうだとそわそわしだす。清子は慌てて鳥籠から離れた。
「うずちゃん、うずちゃん、汝を如何せん。」関白が鳥籠をのぞきながら呟く。
明日には追討の勅命をださねばならない。
「本当にどうしたらよいのでございましょうね。」泰清は鶉を目の前にしながら、遠くのものでも見ているような目をしている。
「ところで陰陽頭。長州贔屓の公家共が何か良からぬ事を企んでいるらしいのだが、良からぬ事とは何だと思う?」と宮が聞く。晴雄はしかし、
「恐れながら、そのようなことをあれこれ考えたところで、できることなど禁門を固く閉ざし、武家に守衛せる外にございますまい。」と答える。
朝臣とて御所への出入りは自由ではない。いつでも参内できるのは関白の特権であり、中川宮が自由に往来しているのは、主上との個人的な友好関係による特別許可である。だから公家達が何を企もうと、そう簡単には好き勝手できないはずである。
ただ、禁門と同様に九門も閉ざされている。しかし長州藩士が公家町に出入りしていることは公知の事実であった。そうするとあるいは禁門も・・・と思うのは無理からぬことである。
関白はまた箸を鶉に差し出した。
御所の勤務時間が終わり、関白たちは帰宅した。清子は父と共に陰陽寮に与えられた部屋に移った。
その頃、桂小五郎が、密かに国事御用掛有栖川宮熾仁親王邸を訪れていた。
桂は有栖川宮に懇願する。
「このままでは、長州は朝敵になってしまいます。どうか宮様のお力で我等をお救い下さい。」
「ここはいったん兵を退くべきではないか。」と有栖川宮。
「兵を退きたくても、激高した兵士たちが言うことを聞きません。このままでは有為な若者が大勢失われてしまいます。どうか宮様のお力をお貸し下さい。」
「残念だが、私にそのような力はない。」何度も朝議で長州藩への寛大な処置を求めている。しかし、朝議は関白と中川宮に牛耳られており上手くいかない。
同じ頃、久坂玄瑞が、密かに議奏正親町実徳邸を訪れていた。
久坂は正親町実徳に懇願する。
「このままでは長州は朝敵になってしまいます。どうか正親町様のお力で我等をお救い下さい。」
「残念だが、私にそんな力はない。」
すると、桂小五郎と久坂玄瑞は宣戦布告書を差し出し、頭を畳にこすりつけんばかりにして言う。
「「恐れながら私めに策がございます。何卒お力をお貸し下さい。」」
正親町は久坂を門まで見送った。心のどこかで、この若者と言葉を交わすのは、最後かもしれないと思うのだ。
正親町は、立ち去りかけた久坂の背中に言葉を投げた。どうしても聞かずにはいられなかったのだ。
「なぁ義助よ、もし事が成らなかったら、お前は私を恨むだろうね?」
久坂は振り返ると、「そのようなことは思いもしませんでした。」と真顔で答えるが、
すぐに、「ですがその時は・・・帝をかっさらうまででございます。」と笑った。
湿度を帯びた夏の空気とは裏腹に、からっとした笑顔であった。
「何を、不敬な!」そう言う正親町も笑っている。
若者は深々と頭を下げてから立ち去っていった。
既に茜がかった空を赤とんぼは飛んでいく。
正親町は握っている宣戦布告書にもう一度目をやる。それから急いで屋敷に戻り、支度に取り掛かった。
定時は10時から15時です。