呪詛返し
京からの手紙だ。天狐様が狐火を灯す。
小栗鼠は手紙を読むと、そっと面を外した。
「私は、京に帰らなければなりません。」
静かすぎて、蛍の羽音が聞こえそうだ。
真備は手紙をのぞき込む。
「これは帰ってこなくてもいいって言っているんじゃないのか。」と真備が首を傾げる。
「えぇ、でも帰らなくちゃ。」と清子。
「なんで?なんでだよ。俺がいじめたからか?悪かったよ。」真備は慌てる。
清子はゆっくり首を横に振る。
「私がそうしたいから。」
そうしなければならないと私の心が叫ぶから。
清子はその手紙を幸徳井の当主に見せた。
幸徳井家は子供たちを夕食に招き、清子とのお別れの宴席を設けてくれた。
お別れ会の傍らで、幸徳井家は、主家の姫君の出発の準備に掛かり切りになった。
宴もたけなわ、清子と葛の葉はとても眠たくなった。
翌日、目を覚ますと、葛の葉は小さなお社の中に酒とともに入れられていた。なんでこんなところにいるのかさっぱりわからないが、とりあえず我魂の片割れがいない。社の扉に触れるとピリッと痺れる。こんなことは以前にもあった気がする。不快な記憶だ。
葛の葉は呪文を唱える。
涼風そよ風何処から吹く
我庭前の樹から
ざぁっと強風が吹いて、社にべたべたに施されていた封印の護符がすべてきれいに剥がれ落ちた。
いったい誰の悪戯か。というか、こんなところに娘を送り込む晴雄に怒りを覚える。葛の葉はぶつぶつ文句を言いながら社から出た。
その頃清子は幻術の中にいた。
「さあさあ、一緒に遊びましょ。」「さあさあ、一緒に蛍を捕りましょ。」
狐面の子供たちに手をとられる。
田んぼの稲が風に靡き、さらさらと音をたてる。
「ほら綺麗。」「ね綺麗。」
「さっきの続き?でもここは何処?」清子は子供たちに尋ねる。
すると薫風が吹いて花畑。
「一緒に花冠を作りましょう。きっと素敵。」「絶対素敵。」
なだらかな丘陵で千日紅や桔梗が風に揺れている。
「ねぇ、ここは何処?」清子が尋ねる。
すると湿風が吹いて陰陽師村の昼下がり。
「鬼ごっこしましょ。」「追いかけっこしましょ。」
そう言いながら狐面が追いかけてきた。
清子は怖くなって走り出す。知っているようで知らない道。
おかしい。これは絶対おかしい。絶対に呪詛をかけられ幻を見せられている。
清子は走りながら、心あたる呪文を唱える。
「天を我が父と為し 地を我が母と為す 来たれ、南斗・北斗・三台・玉女!
左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後ろに玄武、前後扶翼す、急急如律令!」
唱えながら、自分の体に四縦五横を指で刻んだ。
すると、清子の周りを囲むように四方から光がのび、格子牢が現れた。
かけられた呪詛と同じ呪詛で対抗するのだ。
「展開!」
清子の作った光の格子はどんどん広がっていき、清子を捕らえていた呪術者の格子牢にぶつかって、それを突き破った。
ピシリと夏空にひびが走り、村の風景が吹き飛んだ。
清子がいたのは何時もの部屋だった。葛の葉がやってきた。
「葛の葉!私を閉じ込めようとしたでしょう。」清子は御冠だ。
「吾もされたぞ。吾は封印された。」封印って。
呪術者はここにはいない。ということは、呪術者は清子の何かを持っているにちがいない。清子は紙鳥を作り、そっと一撫でし、「もう一人の私のところにつれていって。」と宙に放った。
導かれたのは護摩檀の前。
「うわぁ!私のジャラジャラが壊れています!」ジャラジャラとはジャラジャラした飾りのついた髪飾りのことである。疎開先に持ってくるくらいにはお気に入りだった。
護摩壇の前では真備が子供たちに説教をしている。側には髪飾りの破片が突き刺さって割れた面が数枚重ねられている。真備は清子に気付くと、
「それを壊したのはお前だ。ちっとは手加減しろよ。少し考えれば誰の仕業かくらいわかるだろ!」と叱責する。
「・・・うっ、ごめんなさい。」と清子。見せられた幻からすれば真備の言う通りだ。
「皆、お前を引き留めたかったんだ。お前はそんなこともわからないのか。」なおも続ける。
「ごめんなさい。」清子はしゅんと萎れた。
少々言い過ぎたと後悔する。真備はいろんなことに腹が立っているが、この苛立ちは清子だけに向けるべきものではない。
真備は配下に説教をしながら敗因分析をしてみた。麻酔薬も、光牢も、幻術もそれぞれ得意とする者が分業して行っていた。
麻酔薬は子供が安易に使っていいものではない。もし姫に何かあろうものなら、うちは確実に破滅だ。ただ話を聞けばちゃんと分量の根拠がある。呪詛にしても一目置く上手がかけている。幻術についてはもうちょっと気の利いた幻を見せるべきだとは思ったが。
皆が寄ってたかって仕掛けた目論見はあっさり破られ、呪詛返しをした姫には傷一つない。敗因は格の違いだ。
真備は大きなため息をついた。
あぁ嫌だ、鼻を明かしてやるつもりだったのに。でももっと嫌なのは、みんなの気持ちがわかるってことだ。
真備は居ずまいを正し、清子に向かって臣下の礼をとる。
「これまでの数々のご無礼をお許しください。我等、姫君の無事を心より祈っております。どうかお気を付けて行ってらっしゃいませ。」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ。」その場にいる皆が同様に平伏する。
清子は一瞬戸惑うが、
「ありがとう。行ってきます。」と笑って答えた。
清子は京へと旅立った。
お友達ができました。