青の時代
元治元年2月20日 土御門邸
中川宮が清子に会いに来た。
何故私?お暇なのかしら?
「宮様、ご機嫌麗しゅう。」
「ご機嫌よう。今日は、姫にお願いがあって来ました。その前にこれを姫にやろう。」
にっこり笑って宮が取り出したのは、それはそれは美しい模様の鞠であった。
「とっても綺麗!うれしゅうございます。」泰清にも見せてあげたい。でもそれって意地悪かしら?そんなことを思っていると自然と笑みがこぼれた。
喜ぶ清子を満足そうに宮は見つめている。
喜ぶ清子を見ている宮を不安げに見つめている晴雄。
「それで、お願いというのは、守護職会津中将の天寿を見てほしい。」と宮は切り出した。清子は鞠から顔を上げる。確かに清子にしかできないことだ。
「というのも、会津中将がずっと臥せっているのだ。」と続ける。
「ならば医者に見せるべきでしょう。」と晴雄が口を出す。
「そんなことはとっくにしておる。」卿は黙っておれ!と宮の声が言外に聞こえる。
「去る10日、忠伊を討ち取った。」
清子は驚く。天朝復権に生涯を捧げた菊花が散った。それを宮は全くの罪人のように言ったのだ。
「その首は、その日のうちに会津中将のいる浄花院に届けられ、夜のうちに中山(忠能)卿にそれと確認させて引き取らせた。」
守護職の本陣は黒谷にある金戒光明寺に置かれている。しかし、黒谷から御所に参内するのは遠かろうとの主上の慈悲深い思し召しにより、会津中将自身は、公家町から一本通りを隔てただけの浄花院に滞在している。
「会津中将はもともと体が弱い。だが最近は朝議にも出てこない。もしかしたら忠伊の怨霊が悪さをしているのではなかろうか。」
会津中将は、一橋慶喜、松平慶永、山内豊信、伊達宗城、島津久光と共に朝廷参豫として、今年から朝議に参加することになっている。
「そう思うなら宮様がご自分でなんとかすればよいでしょう?もと天台座主なんですから。」と晴雄。
「自分でなんとかできるならここに来たりはせん。私が破戒僧だったことくらい周知の事実だろうが!」と宮。
「堂々と言えたことですか!」
「卿が言わせたのだろう!」
はぁ、毎度毎度馬が合うのか合わないのか。清子はしばらく鞠をころころさせながら聞いていたが、ふと疑問が湧いた。
「なぜ会津中将さんの命期などお気になさるのですか?」
概して公家は、武家とは武力でもって朝廷を守護する御役目の臣下だと考えている。そこには強い自負心の下、公武間の明確な上下関係があり、人によっては武家に対する蔑みすら見え隠れするものなのだ。
「替わりなどいくらでもいるではないですか?」大概の公家はそう思うだろう。
「以前は私もそう思っていた。しかし今は・・・。
―――皆、己の利益ばかり図って天朝に近づいてくるのだ。誰を信じていいかわからない。」
絞りだすその声は、苦渋に満ちていた。
「そしてこんな事態を招いてしまったのは私自身だ。
もう6年以上も前になるだろうか。幕府が通商条約締結の事前の勅許を請いに来た頃の話、私の青春時代の話だ。姫は知らないだろうから聞いてくれるかな。」宮は清子に向かって薄く笑った。
それは、嘉永5年(1852年)中川宮が青蓮院門跡兼天台座主になってから安政の大獄(1858年)が始まるまでの話である。
「―――当時、私は御持僧として主上の近くに侍り、お悩み事のご相談を受け奉ること度々であった。
主上は、銃口を突きつけながら友好を口にする蛮賊に、ご自分の知ろしめす御代にて膝を屈することになることを深く嘆いていらっしゃった。
しかし太閤、関白、武伝(武家伝奏)は幕府に阿り、主上の御叡慮をまるで蔑ろにした。いったい誰に仕えているつもりなのだ。関白等が御叡慮を軽んじるのは幕威が帝威を凌いでいるからだ。ここは皇国なのにおかしいではないか。私はそう思った。
私は関白等の発言力を削ぐために幕府の権威を削ぐことにした。行き着くところは討幕だ。」宮は清子のびっくりするようなことを言い出した。
「そのお話はお武家さんの前でしてもよいお話でしょうか?」宮の護衛は会津藩士なので、清子は心配になる。
「大丈夫。罰は受けたし、今は昔の話だから。」そう言うと宮は話を続けた。
「朝議に参加する資格のない左右内大臣、更には参議にも条約締結について意見を問うた。本来なら政に口を挟めない公家たちに諮問を繰り返し、御叡慮に適う意見を出させ、数の力で関白等の口を塞いだ。
幕府が通商条約を無勅許で調印した際には、その承認を拒否し、主上が帝位を降りると騒ぎ、水戸藩へ密勅を降下させ、幕府は主上の御叡慮に反している、正当性がないと最大限に騒いぎ立てた。異国と戦になりかねない破約など幕府にできないことは百も承知の上だ。
その結果、見ての通り、幕府の権威は地に落ちた。
―――しかし主上の御叡慮が尊重されることはなかった。
訪れたのは混沌とした無秩序だった。発言力を得た中下級公家に朝廷の政は乗っ取られた。
公家共は、天朝の権威は笠に着るくせに、御叡慮は衆議、衆議と言って軽んじる。思い通りにならなければ、反対者を脅し、襲撃し、やりたい放題だ。
そして傍若無人の公家をさらに増長させるのが、国政に口を出したくて金品をばらまく諸藩侯だ。
主上はご自分の不徳が混乱を招いたとお心を痛めていらっしゃる。
そのご様子を拝見する度に、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。何とかしてこの混乱を治め、御叡慮に適う政が行われるようにしなければならない。それが私の責任だ。
だが、皆、己の利益ばかり図って天朝に近づいてくる。もう誰を信じていいかわからない。
一番良いのは幕府が御叡慮を尊重してくれることだ。
なのに幕府ときたら、朝廷は幕府の決定に勅許だけしていればよいという態度なのだ。
私は、会津中将の主上への至誠に偽りはないと感じている。会津中将は、天朝と幕府との懸け橋として他に替えの利かない人物だと思う。だから会津中将に死なれては困るのだ。」宮は苦悩を吐露した。
幕末の朝廷若き孝明天皇と鷹司関白 家近良樹著 参考
話長いよw、次は守護職に会いに行きたかったのですが、もう1話中川宮に頑張ってもらいます。