疑念
吉田松陰は11歳で藩主忠正に武教全書を講じたそうなので、こういう話もありかと思い作りました。
ただ今13歳の清子ちゃんです。若宮と同じ年齢に設定したので数え年でそうなるはず(私の計算ではそうなった。算数は苦手です。)。
1月10日 土御門家の文庫
清子は今、斎政館で講義をする題材を探しているところだ。
重ねられた本から垂れる付け紙で本の題名を確認しながら、部屋中の本を見て回る。
土御門家の文庫に収蔵されている本は多岐にわたる。
四書五経、暦本、天文、なぜか兵法書から果ては流行ものの大衆本まである。全国に散らばる当家の卒業生や関係者が、これはと思う本を寄贈してくれるからである。
コホン。本が貴重なこの時代に、我等ばかり狡いという声が聞こえてきそうなので、念のため申しておきますが、お礼はきちんとしております。お礼というのは自家製霊符です。紙と筆さえあれば無限に生み出せます。
今、何か思いましたね?ですがそれは誤解です。とても霊験あらたかな霊符ですから。
「迷ってしまいますねぇ。」
蔵書の中にはご先祖様が書いた本もある。例えば祖父晴親公は陰陽師の復興に努めた人で、斎政館で使用する講義用の本を数冊書き残している。
ご先祖様の日記が集められたところに来た。日記は先例を知るための貴重な資料である。
清子は以前 ――自分の魂について知る前、とは違った気持ちでこれらの日記を眺めている。
この中のいくつかは前世の自分が書いたものなのだ。不思議な気持ちだ。
いくつもある日記の中で、清子は「安倍有世卿日記」に目を止めた。
「これは絶対に前世の私が書いたものだと思う。」
当家歴代当主の中で晴明公の次に有名な御先祖様である。それにしても我ながら不遜な考えだ。思わず苦笑がもれる。
安倍有世公とは、時の征夷大将軍足利義満の病を祈祷平癒し、それをきっかけに、義満公に重用された希代の陰陽師である。当時、我が一門は熾烈な本家争いを繰り広げていたが、有世公のおかげで、当家は本家としての地位を揺るぎないものとした。
日記は十冊程ある。何とはなしに一番上にある最後の日記を手に取り、頁をめくった。
日記とは心覚えのために書くものであり、心情を書くものではない。行事の式次第や役割分担、宴で提供した膳の内容が書いてあったり、当家であれば穢れ祓い等を行った日にち、相手、貰った謝礼の額等が書いてある。
パラパラと頁をめくっていると、無味乾燥な箇条書きの中に様相の違う頁が現れた。読んでみる。
吾は 天曺地府祭を 時の征夷大将軍に施した
術は成功し それにより身に余る盛運冥加を得た
しかし 三途の川を臨むに至り思う
失ったものは得たものよりも大きい この呪詛は使うべきではなかった
よいか 吾が魂よ 同じ事を繰り返さぬよう この呪詛は使ってはならない
これは有世公から清子へ ――― 転生した自分の魂へ宛てた手紙、あるいは警告文である。
天曺地府祭とは黒簿の書き換えのことである。有世公が言っているのは、おそらく、当家が将軍や帝の代替わりの際に行う儀式的なものではなく、清子が葛の葉から教わった本当に命期をいじる術のことだろう。
「何これ、どういうこと?」
ここに書かれていることは自分自身の言葉である。また、遺書めいていて嘘を書いているとも思えない。
清子は他にも同じような頁がないか日記をめくった。しかし、そのような頁は見当たらない。他の日記には書いてあるだろうか。有世公以外の日記には書いてあるだろうか。膨大な量の日記群に目をやり途方に暮れる。
葛の葉は、私は、この呪詛を三度使えば、冥府に移り住むことになると言っていた。でもそれだけではない?
この呪詛は、私にいったい何をもたらすの?
清子の中に、初めて葛の葉に対する疑念が生まれた。
葛の葉は、私にいったい何をさせようというの?
生じた疑念は心の中で静かに波紋を広げていく。
清子にとって、初めて葛の葉が不気味な存在に変わった。
ひっくり返した本の山に埋もれて頭を抱える少女。あとから叱られること請け合いです。
これで葛の葉に対する疑惑が2つできた状態です。
次からは話が進む予定です。でも本話も大事でしょう?
本作は全部の章が不可欠の話で構成されるという遊びの無い構成となっております。
ですが文章自体は、書いているうちにアドレナリンが過剰分泌されて情報過多になることがままあります。自覚しております。自制、自制。