独善
「お前の就職先候補を爺の昔の伝手を総ざらえして見繕ってみた。ほれ、見てみよ。」と言って、爺様は三郎に書付を渡した。
一.大阪西町奉行所与力家 婿養子
一.伏見奉行所与力家 養子
一.京都所司代与力家 養子
一.京都西町奉行所与力家 養子
横から母と兄がのぞき込んでくる。
御役目というのは家に与えられたものなので、三郎が何かしらの御役目に就きたいとなると、通常は子のない士分の家に養子に入ることになる。それにしても、やり甲斐のありそうな顔ぶれだ。堺奉行所や奈良奉行所といったもう少し穏やかなところはなかったのだろうか。
「母は、大阪町奉行所与力家婿養子がいいと思います。大阪の与力なら付け届けなどたくさん期待できそうではありませんか。しかも、妻帯までできるなんて申し分ありません。」
これを聞いた次郎兄は言う。
「母上、何を仰っているんですか。与力の一生というのは、数か月の職場体験の後見習となり、番方に席をおきつつ父親の組の仕事を手伝い、役席が上がっても父親が引退するまではずっと見習。これが普通です。付け届けが貰えるようになるのは何十年も先の話ですよ。」
番方は武官である。
「しかもですよ、婿養子ということは、三郎が貰う付け届けで我が家が潤うことは露ほどもありません。」と兄。
「そう言われればそうねぇ。お店の便宜を図るにしても、うち(堺奉行所与力)で足りるしね。」と母。
堺奉行所は大阪町奉行所の指示を仰ぐので、堺奉行所与力と大阪町奉行所与力は交流が深い。それならば大阪町奉行所に伝手をつくる必要があるだろうか。
がめつい、もといしっかり者の二人のやり取りをお茶を飲みながら聞いていた爺様が、会話の切れ目に口を挟む。
「まぁ、一通り他の家も説明しておく。京都所司代与力家、これは今まで見習いをしていた倅が心を病んで急遽代えが必要になったというものだ。」
もともと所司代の職掌は畿内及び近国八か国の支配、朝廷監視、西国諸藩の統括であった。所司代の職掌のうち、町方支配を町奉行所が引き受け、二条城の管理を二条城守衛役人がし、年貢徴収や禁裏の支出管理を京都代官が引き受けた。しかし今でも総元締めは所司代である。ただ、近年朝廷の発言力が増したため、幕府と禁裏の調整に日々追われるばかりとなっている。確かに病みそうな職場である。
「京都町奉行所は言うまでもなく京(とその周辺四カ国)の町方支配だが、この家は倅を与力にしたくないそうだ。与力職をもらい受けることになるから、少々持参金を用意しないといけないだろう。ただ、ちゃんと仕事は仕込んでくれると言っているから安心しなさい。」
与力職を継がせたくない原因として思い当たるのは、昨年起きた、京都町奉行所与力四人が江戸に向かう途中で尊攘派志士に斬殺された事件だ。幕吏は常に人手不足なうえに、命まで狙われるのでは与力職を継がせたくないと思うのも仕方がない。
「最後の伏見奉行所の与力家は、倅がまだ小さくて中継ぎに一人養子が欲しいそうだ。お前のことを話したら、是非にと言ってくださったよ。」
「で、三郎はどこがいいと思う?一応あなたの意見も聞きますよ。」と母は楽しそうだ。
「そうですねぇ、奉行所与力の子ですからやはり奉行所与力の家がいいです。」と三郎。すると即座に「なら京都町奉行所与力家にしよう。」と兄が言った。
「兄さんは、私が与力見習いになるのは反対なんでしょう?」
「反対だよ。でも、どうせなら家(千成屋京都支店)の役に立つ方がいいだろう?それとも音を上げるかい?それでもいいよ。」
京都は天誅の嵐で町奉行所はすでに機能不全だ。
兄は三郎が音を上げて戻ってくるにちがいないと思っているのだろう。すでに勝ったような顔をしている。次郎兄はこんな人だったっけ、もっと慈愛に満ちた人だったと記憶しているが。
「わかりました。爺様、京都町奉行所与力家でお願いします。」
売り言葉に買い言葉のように三郎は決めた。
「・・・本当にいいの?」爺様が心配そうな顔をする。
「男に二言はありません。」いつか一端の与力になって、次郎兄を見返すことに決めた。
「よかったわね、三郎。住み慣れた京で養子先が見つかって。」
母は京都の現状に疎い。爺様は、その様子を横目で見て、渋い顔でお茶をすすってから言った。
「承知した。」
以上のような次第で、京都町奉行所与力家との養子縁組話が進められ、京都町奉行組屋敷への引っ越しが明日なのだ。
「ごきげんよう、お師匠さん。」
「お、お久しぶりです!お元気そうで良かった!お体は大丈夫でしたか。その節は危ない目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした。」
清子には祇園社での最後の方の記憶がない。
「お師匠さんは大丈夫でしたか?」
「ええ、私は葛の葉に助けてもらったので平気です。」
「葛の葉が助ける?」葛の葉がお師匠さんを助けた。意外だ。
「ところで、先ほど何と仰っておられましたか。」気になる話だ。
「ええ。明日、養子先に入ることになりまして。」
「養子縁組?」
「京都町奉行所の与力家に養子に入ることになりました。
いつぞや、お姫さんのお父上さんが、私に家職の話をしてくださったことがあるでしょう?あれ以来ずっと自分の職について考えていたのです。私は商売人ですが、実家は与力家です。商売がいやだというのではなく、与力の父の背中を見て育ったということです。それで、やはり自分も父のようになりたいと思い、養子先を探してもらいました。」
職に就くために養子縁組をすることは珍しいことではない。京都町奉行所といえば、生け捕られた浪人たちが入れられている六角のお牢だ。
「お師匠さんは、大和国での浪人たちの武装蜂起をご存知ですか。」
「ええ、もちろんです。罪のない代官らを殺害し放火した賊徒のことですよね。」
「その方々の半数ほどが、討ち取られたことはご存知ですか。」
「ええ、知っています。」捕り方は捕り逃した者がいることに気付いており、周辺の国は残党狩を命じられている。もちろん堺奉行所もだ。
「では、率直にお尋ねします。その者たちが亡くなったのは、私のせいでございましょうか。」
何を言い出すのか。三郎は、一瞬言っている意味がわからないほどだった。
あんな悪党の死に責任を感じるなんて、どこまで純真なのだろう。眩暈がしそうだ。
「いいえ、全くあなた様のせいではありません。」ここははっきり言っておかないといけない。
「いいですか、賊はもともと罪を犯す意思があったのです。大和国でなくても、行幸があればいつでもどこでも同じことをしたのです。正義は我らにあるだの、皇国のためだの言いながら、賊は平気で他人の平穏を壊す。代官が彼らに何をしましたか。主上はそのような暴挙をお望みになったでしょうか。害の少ない大和国に導けたのは幸いでした。」
「彼の者たちは私の占がなくても同じことを行った。」清子は噛みしめるように言った。
「そうです。その通りです。」三郎は力強く言った。
清子は救われたような気がした。
そして知った。
――世の中には死すべき生があるのだ。
それぞれの明治維新 佐々木克編、京都の歴史 3 町衆の躍動 仏教大学/編 を参考
奉行所内のことがよくわからない不安。御所内のことがよくわからない不安。皆さまに三郎の転身を受け入れてもらえるか不安。不安で先週はまったく管理ページをのぞけませんでした。