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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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転身

ずっと気になっていた鏡を手にする。お師匠さんに渡した鏡の片方。ずっと気配は感じていたの。

でも、どうしても覗く気にはなれなくて、伏せたままにしておいた。

ほら、今もお師匠さんの気配がする。そっと鏡を覗く。


「明日から私は、吉沢三郎です。」


「? ごきげんよう、お師匠さん。」

「うわぁ!」三郎は、初めて返って来た清子の声に驚いて、あやうく鏡を落っことしそうになった。

「お、お久しぶりです!お元気そうで良かった!」

清子は切羽詰まっているのに、三郎はどことなく晴れやかですらある。この温度差に苛立ちを覚えもするが、ともに陰鬱な気分でいるより幾らもましである。清子の心が少し緩んだ。

「ふふっ。いったい何のお話ですか?」



時は祇園社での相撲見物の翌日まで巻き戻る。

三郎は倒れたお姫さんが心配だった。そのためご機嫌伺の文を送った。

しかし、土御門家に送った使いは、三郎の文をそのまま持って帰って来て、出入り禁止を言い渡されたことを伝えた。

普通そうなるよなぁ。

もはやお姫さんの無事を確認する術はないと思われた。

ため息をついて祇園社へ持って行ったあれこれを片付けていると、お姫さんからもらった鏡が出てきた。三郎は小さな八角形の鏡を手に取り見つめる。

あの時お姫さんは、「そういうことです。」と仰っていた。

三郎としては水鏡と同じなのか聞いたのだが、「そういうことです。」とはそういうことなのだろうか。試しに三郎は鏡に向かって話してみた。

「お姫さん、大丈夫すか?」

し―――ん

何も返ってこなかった。これは水鏡と同じではないということなのだろうか。それともまだお姫さんが目覚めていないのだろうか。

三郎は次の日も次の日も鏡に向かって話しかけてみた。

何の返事もなかった。

十日経った。

「お姫さん、大丈夫ですか?

今日はこんな話を耳にしました。大和行幸に御発輦になった後、主上さんが御所にお戻りになれないように、京の町を焼くというのです。ただの噂だとは思いますが、どうなんでしょうね。」

し―――ん

さすがにお姫さんだって目覚めているだろう。この鏡はただの魔除けの鏡なのだ。

そうは思うが、もしかしたら次は返事が返ってくるかもしれない、返ってこればいいなと思う。

そうしているうちに、三郎のところに父から文が届いた。そこには大和での浪人共の反乱のことと、9月9日重陽の節句に(じじ)様の家に行くように、と書かれていた。


9月9日与力方の祖父の家

「ただ今戻りました。」

三郎を玄関で出迎えてくれたのは、何だかにっこにこの母であった。

「?ご機嫌ですね。」

「そりゃあもう。三郎にいい話があるのよ。うふふ、あとで爺様から話があるわ。」

と言うと、三郎をいつもの部屋へ案内した。

三郎が襖を開けると、そこには仏頂面の次郎兄が座っていた。

「うっ、お久しぶりです。」怒って出ていった兄との久々の対面には、心の準備ってものが必要だ。母上、一言教えてください。

次郎兄は「ああ。」と言うと、「そこ座れ。」とばかりに自分の前の畳を指さした。はい、座らせていただきます。

気まずい沈黙の後、兄は話始める。

「今日は、何のために呼ばれたかわかるかい?」

「・・・何でしょう。菊酒を一緒に飲むとか?」

瞬く間に兄の眉間に深い皺が寄った。

「も、申し訳ありません。」もう怖すぎる。

「お前の就職先候補が出揃ったからだよ。」

「!?」

盆に帰省した時に、三郎は家族の前で侍になりたいと宣言した。爺様は三郎の就職先を探してくれたらしい。

「本当に本当に侍になる気かい?幕府の置かれている情況はわかってるよねぇ。」

なんであえてそんな危ない橋を渡るのか、兄にはまったく理解ができない。

「今の幕府の情況はわかっているつもりです。だからこそ余計に幕吏になりたいと思います。だって、今の世状の混乱は異国が恫喝してきたせいで、幕府のせいではないでしょう?幕府は社稷を守ろうと努力しています。長らく泰平の世を享受しておきながら、幕府が苦境に立たされたらすぐに掌を返すなど、あまりに薄情ではありませんか。こういう時こそ皆で支えるべきだと思います。」三郎は自分の直な思いをぶつけた。しかし兄は首を横に振る。

「魯西亜人が最初に蝦夷地に来たのが寛政4年(1792年)、もう70年も昔のことだ。

それなのに大艦製造が解禁されたのは10年前だよ。どれだけの時間がかかったことか。これだけの時があれば異国と肩を並べる海防力を持てたのではないか。そのことを考えると、今の世上の混乱には幕府にも責任があると思う。」

兄はあくまで三郎の転身には反対だ。


「あらあらまぁまぁ、何のお話をなさっているの。」と言いながら母は襖をあけて、「三郎、爺様がお呼びですよ。」と言った。


これから先の清子の活動範囲を考えると三郎がどうしても商人のままでは再接触できないので、分相応なところで転身をはかります。この話を書き始めた時から最後だけは決まっていて、武士と商人の地位を併せ持たせたのは途中でこうするためです。これに関しては思い付きで転職しているわけではございません。ただ、三郎の名字は、ほぼ出てこないので適当です。幕末といえば慶喜。慶喜と言えば水戸藩。水戸藩といえば次の大河は渋沢栄一的な安直さでございます。


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