椿
「お初にお目にかかります。清子と申します。」
下座から上座を臨む。
床の間には千重咲きの姫椿(山茶花)が華やかに活けられており、違い棚の隣には雁と月を描いた屏風が広げられている。
その中心にいる宮は生命力に満ちており、その様は椿の葉を思わせる。親王宣下を受けたからといって皆が権力を手にできるわけではない。権力を掴む人というのはこういう人なのだろう。
「これはかわいらしい姫ではないか。てっきり男子とばかり思っておった。」磊落な物言いで、そこに猥雑さはない。しかしこれを聞いた晴雄は慌てた。
「!!これは当家の跡取り娘ですから。」
宮は一乗院門跡時代に子をなした身持ち宜しからずな人物である。宮は門跡時代の反動か、不惑の域に達したといっても俗世の欲にまみれている。しかし確固たる政治的信念があれば、多少の俗欲は鋭気の源泉だと言えはしないか。ただ、そう言っていられるのも傍観者のうちだけである。
「はぁ?!卿は何を心配しているのか。このように年端のいかぬ姫に手をだすわけがないであろうが、無礼な。」宮は晴雄に言うと、「五年後にでも迎えに来よう。」と清子に向かって微笑む。
何を仰っているのでしょうか、この年増の宮は。清子はお父上さんを見やる。
「ですから!!」断固拒否、断固拒否。宮は政治の中枢にいすぎる。
「冗談に決まっておろうが!まったく冗談が通じぬ。だいたい卿にはすでに宮仕えをしている息子がいるではないか。見え透いた嘘までついて否とは不快である。」
確かに、先帝の猶子にして今上の寵臣に娘をやりたくないなどと、宮の人格に問題があると言っているようにしか聞こえない。
晴雄は少々面倒臭くなってきた。この遣り取りをさっさと、しかも永久に終わらせる方法がある。
「これは特別にございます。冥府の王に愛された魂の持ち主にて、誰にも渡しませぬし、渡せた代物ではございません。」と声を低くした。
宮はすぐ思い当たったようで、
「それは黒簿が見えるというやつか。」と聞いた。
「流石はもと御門跡。冥途の鬼とやりあう覚悟はおありですかな。」
宮は、驚きとわずかに怖れの入り混じった眼差しを清子に向ける。
仕方がないので、清子はできるだけ子供らしく微笑んでみせた。
「大和行幸の場所と日取りを占ったのは姫かな?」
咎められるのだろうかと清子は身構えた。
「咎めているのではない。騒がしい薮蚊を駆逐できたのだ、感謝している。」宮は笑っている。
清子は、ほっと安心した。
「あれは、筮占をしたのではありません。お師匠さん、あっ、御用商人と山南様というお侍さんと一緒に、七社のうちどこが一番捕り物に向くかと考えたのです。」
「捕り物に向くか?」宮が面白そうに尋ねる。
「三人で話すうちに、東下する御親兵の主力は浮浪の士だという結論に至って、主上さんは討幕などお考えではないはずですから、それなら捕えるべきだという話になったのです。」
「討幕・・・。姫、そのような物騒な事はおいそれと口にしてはいけない。ほら、吾の供の者たちが険しい顔で聞き耳を立てているでしょう?」
清子は、はっ、と口を押えた。宮はにっこり笑って、
「公家と武家が協力し合って結論を導いたとは、素晴らしいな。」
と言い、「よほど楽しかったと見える。」と言った。
「!」
そうか。祇園社での出来事は悪夢とばかり思ってきたが、私は楽しかったのだ。
「はい、とても楽しゅうございました。私の知らないことを他の方々がご存知で、その逆もあり、思いついたままに口にするのです。するとそれが糸口になり、また話が広がっていきました。」清子は目をキラキラさせて答えた。
「それが衆議というものだ。そのおかげで奸賊を30人程生け捕り、30首級程が黒谷(金戒光明寺 守護職の置かれた場所)に届いている。」
「――首級?」
一網打尽にするとは、殺すということだったの?
それから宮の話は耳に入らなくなった。
晴雄は急いで書をしたためた。そしてしつこく宮に念を押す。
「宮様、お武家衆にもお公家衆にも絶対見せないでくださいね。」
何しろ土御門家は多分に幕府の世話になっているのだ。こんなことを書いたと知れれば幕府から何を言われるかわかったものではない。
「卿は心配性じゃなぁ。わかっておるわ。」宮はうんざりしたように言って書状を受け取ると、清子に笑顔を向けて、
「姫、楽しいお話でした。またお話しましょうね。」と言って帰っていった。清子は多分笑顔を作ったと思われる。
この後、書状は宮から主上にわたり、晴雄は翌月には直衣での殿上が許され(聽直衣=束帯の免除)、年明けには従三位から正三位に昇進することになる。ひっそり目立たないようにして時代の荒波をやり過ごしたいと思っていたのに、主上さんからお仲間の認定をいただいてしまいました。
(宮)「武家や公家には他言していない、現人神にお見せしただけである。」
(晴)「ムカッ!!」
清子は自室に戻る。
行幸の場所と日取りを決める時に、兵を用いるならと話していたのだから、死人がでるのは当然織り込み済みのはずである。生け捕るだけで済むわけがない。しかし清子の中では、机上の兵と現実の兵が結びついていなかった。
多くの人が首だけの姿になったと聞いて、当家の名の下に占筮をすれば、こういうことも起こりうるのだと初めて悟った。お父上さんが政において中立であろうとするのは、こうしたことへの配慮だったのだ。私は何もわかっていなかった。何と覚悟のないことをしてしまったのだろう。
私は楽しく誰かを葬る算段をしていたというの?
「葛の葉、私は人の命を奪ってしまったの?」そうではないと言ってもらいたい。清子は葛の葉を見つめる。
「お前様は行幸の場所と日取りを選んだだけ。そこからどんな行動を取るかなど何通りもある。だいたい、死んだってどうせ転生するだけなのだから、一々気にする必要などないだろう。」
望んだ答えを言ってくれはするが、いつも通り重みがない。
「でも、死ぬのは痛く苦しいのですよ。」
あぁ駄目だわ、人ではない葛の葉では駄目。誰かに答えてもらいたい。
誰か。――私の優しい共犯者。
椿は首から落ちるので、床の間に飾りたかったんですけど、時期的に山茶花しか咲かないので仕方なしです。