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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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若き魂

大好きなので仕方ありません。

大和行幸の詔が出された翌日(8月14日)、方広寺(東山)に、中山忠光前侍従、吉村虎太郎、藤本鉄石、松本奎堂を含む39人の志士が集まった。後世に天誅組と呼ばれる義士たちである。

天誅組の目的は討幕軍、もとい攘夷親征の御親兵の先陣を切ることである。


夜になると、忠光等一行は伏見港から淀川を下り大阪へ向かった。

忠光は同志の浪人たちとともに川船の板子に直に腰掛け、刀を抱いて星空を見上げた。

忠光は(もう)けの宮(東宮)の叔父である。

高く澄んだ空には天野川が広がっている。

――我らの手で神州を真の皇国とするのだ。

満天の星空の下、しびれるような高揚感とたぎる闘志で、皆口数は少なかった。


忠光等は大阪から船で堺に行き、港で叔父忠伊(ただこれ)と落ち合った。

羽織袴姿の精悍な顔立ちの老人は数人の供をつれて一行の到着を待っていた。

忠伊と忠光は叔父甥の関係であるにもかかわらず、会うのはこれが3度目だ。

初めて会ったのは2年前で、忠光が、かつて中山家の諸大夫であった田中河内之介に引き会わせを頼んで実現した。河内之介にとって忠伊は父同然の存在であった。

河内之介が寺田屋騒動(文久2年(1862年)4月23日)で捕縛されてから、忠光は彼の代わりに京の情勢を忠伊に書き送ってきた。

二度目は、幕府の定めた攘夷決行日(5月10日)に、忠光が長州へ行って外国船を打ち払った帰路で、その様子を報告するために立ち寄った。

忠光等一行は、忠伊の信奉者である、河内の国(大阪府東部)の庄屋水群(にごり)善之祐の屋敷で軍装を整えた。水群とその仲間を加えて60人ほどになった武装集団は、大和国五條を目指した。

忠伊は途中で一行と別れ金剛山に登った。忠伊の役目は、ここから西国に散在する同志たちに参集を呼びかけ、天誅組に合流させることである。

忠伊は金剛山の頂から五條の町を臨み、始まりの狼煙が上るのを待っている。

ここまで来るのに四十年もの歳月がかかった。長かった。しかし、今、悲願は成就しようとしている。それも主上御自ら幕府を倒すという最高の形で。

ただ、まだ安心はできない。忠伊のこれまでの企てはことごとく失敗に終わっている。

千石騒動、大塩平八郎の乱、寺田屋騒動。どれも幕府の威信を傷つけはしたが、天時は満ちていなかった。だが今回は上手くいくのではないか。反幕の声は天下に満ち満ちている。


8月17日申の刻(16時)

天誅組は五條の代官所を襲撃し、代官を始めとする5人の役人の首をはね、幕領に関する資料を一通り奪い取り、代官所に火をかけた。陣屋に火をかけることは幕府の支配の終わりを領民に知らしめる儀式である。神州の土地も民もことごとく天朝に帰すべきだ。

この地に天朝のための新しい統治機構を創ろう。


金剛山の頂から赤々と燃える代官所はよく見えた。

闇夜を照らす大きな篝火は、殊の外美しかった。



翌18日の夜半、天誅組の本陣に、京に残してきた諜報役が御所での政変を知らせた。――大和行幸は延期。

何故こうなった。我々はすでに代官を斬り、代官所を焼き払った。引き返すことなどできるものか。



軍議の場に平野国臣がいた。平野は長州に落ち延びて再起を期すこと主張する。

――天下に先駆けて兵を挙げたのだから、生死はもとより問うところではない。死力を尽くして戦っていれば、それに奮起させられた各地の勤王の士が次々と起つだろう。たとえ天運が尽きたとしても、我等の死はそれだけで意味がある。

天誅組は、徹底抗戦を決めた。

平野は、「必ず義軍を集める。それまで持ちこたえよ。」そう激励すると急いで五條を後にした。

彼はその足で金剛山の忠伊のもとへ向かった。忠伊もまた義軍を集めるために金剛山を後にした。


天誅組は果無山脈に囲まれて孤立した。

天誅組は、政変を知らない十津川郷民を欺いて1200人を徴兵し、8月26日高取城攻めを皮切りに、各地の天然の要害を背に転戦して行く。

主上は各藩に天誅組の討伐を何度も命じ、中川宮も追討の令旨を繰り返し出した。天朝のために立ち上がった天誅組が朝敵であった。

本当にどうしてこうなったのか。奸賊が主上を囲い込んでいるに違いない。御心に従っているのは我らの方である。我らにこそ正義はある。

追討に出たのは紀伊和歌山藩、津藩(藤堂)、大和郡山藩、彦根(井伊)藩、尼崎藩、岸和田藩、小泉藩。


途中、水郡等河内から参加した同志が忠光に不信を抱き離脱し、十津川兵が天誅組追討令を知り離脱し、十津川郷を追われて果無山脈の果ての果てまで行った。

徹底抗戦を主張してきたが、事ここに至っては限界であった。

多くの傷病者を抱えながら、忠光は活路を探した。

しかしすでに袋の鼠。最早どこにも生きる道はない。

皆疲れ切っている。

月が青白く輝き、影が黒々と伸びる夜のこと。忠光は、今日の宿である寺の本堂に吉村、藤本、松本の天誅組三総裁を集め、解散について話し合った。

吉村は自分の宿へ戻る道すがら、寒空を見上げる。

明日にはこの冷たい月明りが己の屍の上に注いでいるのだろうか。


翌朝、進軍の準備が整い、皆が忠光のいる寺の境内に集まると、忠光は一同に向かって言う。

「賊は天聴を塞ぎ、己の奸意を勅諚と偽り、忠良を刈り尽さんとする国家の(しみ)(木喰い虫)である。

我等義軍、天朝の御為に賊共を悔悟させんと戦って参ったが、兵力の差はいかんともしがたい。

京よりともに来た14人はもとより、その後に加わった大丈夫(ますらお)どもも、吾について来たいならついて来い、去りたい者は去るがいい。生き延びる道があるなら、長州へでも、土佐へでも行くがいい。生き延びる道がなければ姦賊どもを手元に引きつけて、心の限り叩き斬り、刺し殺してから剣に伏して死のうではないか。」

そう言うと、忠光は軒端を流れる谷川の水を瓶子に組み上げ、一人一人と別れの水盃を交わして廻った。

皆、最後の決戦を覚悟した。


黄昏時、最終戦場の鷲家口の手前で軍議を開く。忠光に同行するのは23人のみ。

決した作戦は、数人の決死隊を組んで鷲家口の彦根藩の本陣に斬り込み、その間にできるだけ多くの仲間を脱出させるというものだった。決死隊に6人が志願した。


孫子曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。ゆえにこれを(はか)るに五事をもってし、これを(くら)ぶるに計をもってして、その情を(もと)む。

一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法なり。(始計篇第一)


将帥は一を以て多を()べる。その何と容易ならざることか。

忠光は方広寺に集まった時、五條の代官所を焼いた時、水郡等が離脱した時、将であっても将ではなかった。道を知らぬ、ただ高貴な生まれというだけの、名ばかりの将であった。

深山幽谷、陽の光さえ届かない山道を行くうちに、あるいは各所で転戦し死病傷者を増やすうちに、忠光は、水郡等が去った理由を悟り、何を第一に戦うべきか実利を考えるようになり、同志の心を掌握し、生死をかけるに値する将になっていった。

18歳の若き大将は決死隊の6人に最後の声をかけた。

「死に急ぎはするでない。きっと切り抜けて、ともに再起の日を迎えよう。」

一同の目に涙が浮かんだ。


幸運なことに、鷲家口にいた彦根藩兵は先発隊の30余人のみであった。

決死隊は宵闇に紛れて敵陣に突っ込んだ。

彼らは十分に敵を引き付けた。

忠光は、襲い来る敵兵の中、自らこれを叩き斬り、先へ先へと進んで鷲家口を脱した。

生き残った者は17人。決死隊は全滅した。

しかし、なおも歩を進めようとする忠光たちが見たものは、行く手に広がる松明(たいまつ)の海であった。

すでに精も魂も尽き果てている。絶望的状況を前に、何を考える気力も無かった。戦友等は互いに再起を誓うと、散り散りに山中に分け入った。

―――9月24日天誅組消滅。


畝山 そのいでましを 玉(たすき) かけてまちしは 夢かあらぬか


天誅組の軍令(一部)

一、たとい敵地の賊民であっても、本来は御民なのだから、乱暴狼藉、貨財の強取、婦女子を奸淫、(みだり)に神社、堂宇等へ放火、勝手に降人を殺害してはいけない。

一、命令違反は一軍の勝敗にかかわるので、忠孝の道に遵うものは、少しも違背してはいけない。違背する者は、軍中の刑法により即座に処断する。

一、諸軍毎朝、伊勢大神宮並びに京都禁裏御所に向かい遥拝し、私心なく皇恩に報いることを誓い奉ること。

一、一心公平無私、得た土地は天朝のものである。

一、功は神徳によるもの、功を独占してはいけない。


天誅組はこの軍令をよく守った。宿営した家々には金を払い、感謝の言葉を述べ、常に皇軍として恥ずかしくない振舞をするよう自らを律したのであった。


参考図書 天誅組紀行 吉見良三 著作

作中引用した歌は、最高齢の参加者・伴林光平(享年52歳)の作です。畝山は神武天皇陵墓


まるまる天誅組の布教でございました。忠光はじめ、みんなとんでもない目に遭いました。楠木正成も真っ青です。


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