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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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反転攻勢


騒動後、壬生浪士組はその足で会津藩公用局に長州系志士の計画を報告した。

ほどなくして、学習院において、真木保臣と久坂玄瑞は大和(春日大社)への親征行幸の建白書を提出した。


翌日 清子の部屋

目が覚めるともう日が高い。

?朝拝はどうしたのかしら。寝過そうものならお父上さんは酷く怒って起こしにいらっしゃるのに・・・。

「槐、お父上さんはどうかされたのかしら?」

起き上がる。少し頭が痛む。

「昨夜、葛の葉が祇園社での出来事を話して聞かせてから大騒動じゃ。」

・・・昨夜・・・昨日。

あぁ、思い出してきた。怖しい昔話を聞いたんだった。思い出したくない現実。

ん?それから私はどうしたかしら。

「確かお師匠さんが乗り物を呼びに行ってくださって・・・

それから・・・それからどうしたかしら?思い出せない。」

槐は清子の様子をまじまじと観察し、

「・・・・・・いつもどおり乗り物に乗って帰って来たが、大丈夫?」

「そう、そうよね。」

どうしたわけか悪夢中の悪夢はすっぽり記憶から消えていた。

葛の葉は、まだ枕もとですーすーと寝息をたてている。


昨夜

葛の葉は血みどろで、気を失った清子を抱えて帰って来た。

お父上さんは愛娘をいたく心配し、葛の葉を大いに責めた。

しかし葛の葉だって怒っている。黒簿書き換えの呪詛を使わせられなかったことも、魂分が突然転生しそうになったことも、いろいろと気にくわない。挙句の果てに、こんな事態を招いた張本人は気を失って、怒りの持って行き場がないときている。

だから、葛の葉は怒りのはけ口として、晴雄にその日の出来事を細かく教えてやった。

狼狽する晴雄をせせら笑って、清子の枕もとで丸くなる。

眠る前に清子の顔を何度か狐手で(はた)いてみた。なんの反応も返ってこず、つまらなかった。


晴雄にとっては、占の結果などはどうでもよいことだった。それをどう利用するかが重要なのだから。

問題は、浪士組のほうだ。

土御門家が梅小路にあり、御所に出仕できているのは幕府のおかげだ。応仁から続く乱世の戦禍を避けて、若狭の国へ移住していた土御門家は、幕命がなければ帰京の機会を失して凋落していただろう。さらに幕府は(もぐ)りの陰陽師を取り締まってくれているし、将軍の代替わりには土御門家が天(ちゅう)地府祭を行い、治世の永続を願うことが慣例となっている。土御門家はそもそもが親幕なのだ。そこに壬生浪士組と懇意などと噂をされては、この尊王攘夷の最盛期に、晴雄が政治的に無色を装ってきたことが無意味になってしまうではないか。

晴雄は宮廷内工作に奔走する事に決めた。

宮廷内工作と言えば格好いいが、要は、朝廷内の親幕派に取り入り、同時に長州系過激攘夷派に言い訳をして回るということだ。

言い訳とは、

「壬生浪と長州系志士の乱闘騒ぎに偶然通りすがりました。とっても恐ろしかったです。大和行幸?全くもってよい考えだと思います!」


朝廷内の勢力分布(尊王攘夷は標準装備)

穏健攘夷(親幕) 

↑ 国事御用掛中川宮(青蓮宮)、右大臣二条斉敬          

↑ 内大臣徳大寺公純                  

中立 近衛父子

↓ 関白鷹司輔煕、議奏格中山忠能 

↓ 有栖川宮

↓ 国事参政橋本実麗

↓ 議奏三条実美、国事寄人沢宣嘉 等々

過激攘夷(反幕) 


国事御用掛は、今まで摂家と武家伝奏と議奏しか参加できなかった朝議に幅広い意見を入れるために新設された役職である。国事御用掛には中川宮や二条右大臣も含まれており、広く意見を求める趣旨を反映した人選といえる。国事参政と国事寄人は国事御用掛に攘夷派公家が少ないことに反発した中下級公家に配慮して設けられた。三職合わせると攘夷派公家が多数派を占める。


土御門家は、冬至に多くの公家屋敷に呼ばれて吉凶占いをしているので、存外と公家社会で顔が効く。しかし宮廷内工作となると吉凶占いのように気安くはないだろう。わりと心安い二条さんと橋本さんあたりから攻略する。二条さんはよく愚痴を聞いてあげているし、橋本さんは晴雄の妹藤子の行儀見習い先、勧行院(和宮の母)さんの実家である。藤子は和宮の達っての願いにより江戸に下向している。両人とも晴雄を気の毒に思ってくれるに違いない。



8月13日 大和親征行幸の勅命が下った。

薩摩藩が長州藩排除計画を会津藩に持ち込んだ。

薩摩藩はこの機会を利用して失地回復と競合相手である長州藩の追い落としを謀った。

失地とは、薩摩藩が姉小路公知殺害事件の犯人と目され、御所の(いぬい)門の警固の役を外されていることを指す。

計画は中川宮、二条右大臣を巻き込んで秘密裏に進む。


8月16日夕刻、帝は中川宮に宸翰(自筆文書)を授ける。

曰く「会津の兵に令し、兵力をもって国家の害を除くべし」

同日夜半

晴雄は中川宮邸に召され、

「18日の行幸日に、長州藩の堺町門警固の任を解き退京を命じるとともに、長州の息のかかった過激攘夷派公家を一掃する。事と次第によっては戦になるだろう。

戦の後は速やかに不浄を祓い、御心を安んじ奉るよう備えておくように。」との密命を受ける。

過激攘夷派公家に疎まれて、九州に左遷されかけている親幕派筆頭からのお声掛だ。

親幕派への工作の成果は上々といえる。晴雄はこの計画が奏功すれば反幕派への工作は不要になるのではないかと期待する。


8月17日夜 

中川宮は令旨(りょうじ)をだす。

「子の半刻(午前0時)に、前関白近衛忠煕、近衛忠房、右大臣二条斉敬、 内大臣徳大寺公純等同志の公家の参内並びに守護職、所司代及び薩摩藩は兵を率いての参内を命じる。」


8月18日子の半刻(午前0時)

()くして御所の九門は閉ざされた。

早朝 中川宮が詔を読み上げる。

1.大和行幸、ご親征の軍議の延期

2.長州藩の堺町門警固の解任

3.議奏解任並びに国事参政、国事寄人の廃止

4.議奏、国事参政及び国事寄人の参内禁止、他者との面会禁止



京都守護職始末 参考


狐パンチ!狐キック!

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