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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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天時

文久3年8月の京都情勢について。


尊攘志士の計画は、主上が攘夷祈願のために行幸し、攘夷親征宣言したうえで、討幕のために江戸へ行軍するという内容であった。

「うーん、このような話を主上はお聞き届けになるのでしょうかね。」と山南は首を傾げる。

「京の町中では、征夷大将軍を徳川様から長州様に代えるのではという噂が、真しやかに囁かれておりますよ。」と三郎が言う。

京の町人は暮らし向きが悪化の一途をたどっていることに強い不満を持っている。異国と通商をするようになってから物価はあがり続けるが、これに対して幕府は何もしないどころか江戸ばかり優遇するのだ(五品江戸回送令)。

この生活苦から抜け出すには元凶の夷狄を追い出せばよいのだ、攘夷を声高に叫ぶ長州が征夷大将軍になれば夷狄を追い出してくれる、そう庶民は考えているのだ。尊王攘夷の急先鋒である長州藩の人気は京において幕府を上回っている。

「主上さんは異国と戦端を開き、結果敗戦し侵略を受けることになることを恐れていらっしゃいます。

ですが、お父上さんのお話や(わたくし)の耳に入って来る話から想像するに、主上さんは、朝廷内の過激派を恐れて、ご自分のお考えをお話になることができないのです。御所の内にあって囚われていらっしゃるも同然なのです。ですから、過激派公家に対抗できるだけのお味方がいなければ、行幸は強行されると思われます。」と清子。

「過激派公家とはなんと畏れ多いことをしているのだ。思えば、賀茂上下社への行幸などは酷いものでした。先頭は長州を含む諸藩公、次に主上と公家衆、将軍が殿(しんがり)です。露払いを将軍がしてもいいのにあえて最後尾です。嫌がらせとしか思えません。

石清水八幡宮への行幸には将軍はお供しませんでしたが正解です。石清水は源氏の氏神、武門の神です。そこで攘夷祈願とはこれまた嫌味なやり口です。それもこれも御叡慮ではなかったということですか。」山南はいかにも悔しそうだ。

「行幸は強行されるとして、黒石さんたちは在京藩はことごとく供奉すると言っていました。今の各藩の在京兵力はどんな感じか気になりますね。」と三郎が言う。

「在京勢力で最大なのは守護職の会津様で2千人ほどでしょう。その次は所司代の淀藩稲葉様3百人ほどです。

その他は何人かわかりません。御所の門や街道の出入り口の警備を任されている藩はある程度の兵力を在京させています。鳥取藩や米沢藩は京都警衛を任されたので在京しているのです。

また、京に藩邸を有していれば、その警備に各藩人数を置いているでしょう。

ただ、どの藩も、保有している人員をすべて行幸に伴うなんてことはしないはずです。」と山南が答える。

「では、行幸の御供をする殿様にはどなたがいらっしゃるのでしょうか。」と三郎。

「六月に将軍が江戸に帰ったので、多くの藩主が国元に帰っています。

?ちょっと待てよ。だいたい長州の藩主(毛利敬親)だって、五月十日(幕府が朝廷に約束した攘夷決行日)に行った外国船打払いとその報復対応で京にいません。薩摩の国父(島津久光)も、昨年起きた生麦での一件(大名行列を横切った英国人を切り捨てた事件)についての英国の報復に対応するために京にいません。土佐前藩主(山内容堂)も勤王党の後処理のためにいませんね。宇和島藩主(伊達宗城)、福井藩主(松平春嶽)も一橋(慶喜)公もいない。主要な面子はすべていない。」と山南は驚きながら言う。

「じゃあ、いったいどなたが行幸の御供をするのでしょうか?」清子が尋ねる。

「在京している殿様で思いつくのは、守護職の会津様(松平容保)、所司代の淀藩主(稲葉正邦)、米沢藩主(上杉斉憲)、鳥取藩主(池田慶徳)、備前岡山藩主(池田茂政)、徳島藩主(蜂須賀斉裕)、とか?あとはお公家衆でしょうか。」山南が答える。

「うーん、守護職の会津様、将軍後見職の一橋(慶喜)様の縁者ばかりですけど。」と三郎が苦笑する。

会津藩主松平容保は高須松平家出身。

一橋慶喜は水戸徳川家出身。松平容保の母方の従兄

会津藩先代藩主容敬の実父は水戸徳川家出身

米沢藩主(上杉斉憲)世子上杉茂憲の正室は松平容保の妹(高須松平幸)

鳥取藩主(池田慶徳)は一橋慶喜の実兄(水戸徳川家出身)

岡山藩主(池田茂政)は一橋慶喜の実弟(水戸徳川家出身)

徳島藩主(蜂須賀斉裕)の実父は11代将軍家斉(一橋家出身)であるので、一橋慶喜の(養方)叔父

徳川を滅ぼす徳川と言われた先代水戸藩主亡き斉昭の後片付けを水戸徳川家総出でしている様相だ。

「すみません。立場上、会津公関係のことは頭に入れておかないといけないので。長州系の藩主では、長門国清末藩主毛利元純公、周防国岩国領主吉川経幹(きっかわつねまさ)公が在京していらっしゃいます。」と山南は補足する。

「行幸に供奉した藩兵は御親兵になるとおっしゃっていましたが、徳川家(ゆかり)の藩兵を討幕の兵力に数えてよいのか疑問です。討幕の号令を発してそれぞれの藩元からの派兵を想定しているのでしょうか。」と清子。

「主上さんが号令したとして討幕に参加する藩なんているでしょうか?」三郎は懐疑的だ。

「薩摩は、昨年、寺田屋で過激尊攘派を同士討ちしていますから佐幕派(討幕ではないの意味)です。あの水戸藩でさえも斉昭公亡き後は佐幕派です。何しろ徳川7百万石ですからね。長州以外ちょっと思いつかないですね。」と山南が言う。

「これは長州藩の藩論でしょうか?」あまりにも無謀に思えて、清子は疑問を口にする。

「確かに。主上を担いで長州だけで討幕の兵を挙げたとしても、玉は取られ、藩は取り潰されて終わることが目に見えています。」と山南が同調する。 

「もしそうなら話は変わってきます。行幸に供奉する殿様がほとんど徳川家お身内であり、討幕軍になりえないとすると、討幕軍の主力は尊攘志士ということになります。在京の浮浪の士は何人くらいいるでしょうか。」と三郎。

「5百人程といわれています。」と山南は答える。

「在京の長州人を足して、最大限に見積もっても1千人に満たないように思いますが。」三郎は(あらわ)になった討幕軍の実体に驚愕した。これではただの武装蜂起ではないか。

「壊滅させるのは大した事ではなさそうですね。」と山南。

「日本中から次々志士が集まってきたとしても、烏合の衆でしょうから、やはり幕府が負ける気はしません。こんな烏合の衆をまとめられるのは秦の章邯(しょうかん)くらいでしょう。」と三郎。

「今は明らかに討幕の時ではありませんね。しかし、こんなことになったら幕府の権威は地に落ちてしまいます。」と清子。

清子は、主上さんの下に大樹(征夷大将軍)さんがいる公武合体が理想であり、主上さんをお助けする幕府は強くなければならないと思っている。

「行幸に出かけないのが最善です。」山南も清子と同じ考えだ。


参考書籍 公家たちの幕末維新(刑部芳則著作)・幕末の会津藩(星亮一著)・孝明天皇と「一会桑」(家近良樹著)・京都守護職始末(山川浩著)・週刊朝日MOOK歴史道幕末維新回転の真実


今回は思いっきり自分の好きなことを展開しました。あー楽しい。

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