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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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錯乱

葛の葉錯乱中


三郎が無事に屯所を出たときには、すでに日はだいぶんと傾いていた。

このあたりは民家も乏しく、日が落ちれば真っ暗になるだろう。

ここを屯所にしようと最初に言い出したのは誰だろうか?京都奉行所だろうか。二条のお城にほど近いうえ、しかも周りに何もない。狼を飼うにはもってこいだ。

この足で梅小路に行こう。壬生狼のことを報告しないわけにはいかない。

お父上さんはなんと仰るだろうか。

お嫌ならば、いらっしゃらなければよいだけのこと。この期に及んでは、正直それが一番いいと思う。三郎はやるだけのことはやったのだ。あとはそちらで決めていただこう。


お屋敷に着く頃には日が暮れてしまった。

内向内密の御用は裏門から。門を叩いて暫くすると家僕の女性がくぐり戸からでてきた。ご当主様との面会を申し込む。

「夜分はお約束の無い方とはお会いになりません。」

至極当前だ。これで会えるなら三郎が志士に追いかけられることもなかっただろう。

そこで、女の差し出す灯りを頼りに文を書いて、ご当主様に渡してくれるよう頼んだ。不都合があれば、また紙鳥が飛んでくるにちがいない。


清子の部屋

槐が文を持ってきた。お師匠さんからお父上さん宛てだ。

「お父上さんは忙しいですから、代わりに(わたくし)が拝見しましょう。」お師匠さんからということは、どうせ私に関わることでしょうから私も知っておいていいはずです。

葛の葉と清子は槐の持つ文を両脇から読む。

「これは、ちょっと困ったことになったわ。」と清子。

「三郎が余計なことをした。」と葛の葉。

「守護職お預かりの壬生浪士組と関りを持てば、当家は幕府贔屓だと見られてしまうわね。」

土御門家の私塾斎政館にはいろんな種類の人が学びに来る。陰陽師の免状が欲しい人、算学に興味のある商人、暦道を究めたい神職など。会津藩士もやってくる。

会津藩の藩校日新館には天文台があり暦学を教えているので、京に来た会津藩士は、天文台を見に、また、暦注編纂権を掌握する当家に学びにくるのだ。自然、壬生浪士組の話も耳に入る。

「でも、祇園社の北林は楽しいと聞くぞ、吾は行ってみたい。」葛の葉が我儘をいう。

祇園社の北に広がる雑木林、北林は角力場だけではなく、馬場、見世物小屋、露店、香具師(やし)等が集まっている一大遊興区域だ。

「行きたい気持ちはよくわかります。でも想像してみて。浪士組を使って志士を蹴散らす、その渦中に我が家。こんな事が世間に知れたらお父上さんは御所に行けなくなってしまうでしょう?やっぱり駄目。今回は諦めましょう。」

こんな時節に自らの態度を明確にする事は家の存亡に関わる。

「志士どもと遭遇すると決まったわけではない!行きたい、行きたい、行きたい!」かわいい狐のジタバタ。フカフカの腹を見せてジタバタする葛の葉。

「三郎の阿呆、おたんこ茄子!」

折角黒簿を書換る機会になったかもしれないのに!

折角手頃な逸材だったのに!

「いえいえ、相撲を見たいと言ったことがそもそも私の我儘なのです。寧ろ私の為によくしてくださったと感謝すべきよ。もう少し世情が落ち着いたら遊びに行きましょう。」と清子はなだめる。

葛の葉は、ぷぃ、とそっぽを向いた。

「それはいつ?一年後?五年後?十年後?

どうせお前様は何処へも行けはせぬ。ずーっとこの屋敷の中で、外は危ないからと閉じこもっておるだけなのじゃ。あー詰まらぬ。」駄々っ子の極み。

「むぅ、そんなことはないでしょ?私だって、叔母上のようにお行儀見習に行くだろうし、もしかしたら宮仕えだってするかもしれないでしょう?」


ぷちん。葛の葉の中で何かが切れる音がした。

何で吾から離れて行くのか。

何でそんな事をサラリと言えるのか。


「本気で言っておるのか?こんだけ暦算やら度量衡やら天文をしておきながら、千両長橋になりたいのか?それとも御子でも宿したいと!」

長橋は後宮の女官・内侍局の長で、後宮と外部の交渉事の一切を取り仕切る。その職掌から役得が千両にも上るといわれている。

「?御子を宿す?」 

「もしかしてそこからなのか?

宮仕えなど働く妾じゃ。お前様が宮仕えをするなら内侍局であろう。主上と口がきけてよかったではないか!」

女官には身分の高いほうから典侍、内侍、命婦、女蔵人等々、どの地位に就くかは家格により決まる。土御門家なら内侍局だ。そして主上と言葉を交わす事が許されるのは典侍と内侍のみである。

心無い言葉に肩を落とす愛しき人を見ても、葛の葉の気持ちは収まらない。

吾はただ、自分の魂分けと衣領樹の下で一緒にゴロゴロしたいだけなのじゃ。たいそうな事を望んでいるわけではない。なのに何故思うようにならない。吾が根源でお前様が分枝なのに心を砕くのはいつも吾。


あぁそうじゃ、お前様に少々罰を与えよう。


葛の葉は何時もの人型に化けた。

「御子はな、コウノトリが運んでくるわけではないぞ。」と、艶っぽい空気を纏った。


「子をなすにはな。こうして指を重ね 」清子の指に白く長い指を絡める。


「唇を重ね 」 吐息がかかるほど顔を寄せ


「心を重ねて 」背けられぬほど目を見つめて


「体も重ねるのじゃ 」甘く囁いて、混乱し、怯え、のけぞる清子の肩を優しく逃さないように掴まえた。







葛の葉のののしり言葉について

注意:後宮で働いた人を卑下するつもりはありません。そういう時代です。血統保存のために必要ですし、花形職業です。大奥より合理的だと思います。

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