雅楽
やりたい放題やったりました!予想を超えられたらうれしいです。
舞妓が1曲舞終えたところで、座敷の右手奥にいた桂さんが口をはさんだ。
「久坂と黒石さんの異国嫌いは極端すぎる。雑掌殿が辟易していらっしゃるじゃないか。」と言い、
「我等は攘夷、攘夷と言っておりますが、真の目的は、その情熱を結集し、政を一握りの特権階級の寡占から、衆議により決する仕組みに一新させることです。雑掌殿も政に参加したいとは思われませんか。」
と葛の葉が開国派だと勘違いをした模様。もちろん葛の葉はどうでもいい派。どうせこの世は仮住まい。
葛の葉はなんだかこの男が気に入らない。他はみな青臭さい正義感に浮かされていて可愛げすらあるのに、この男は一人物知り顔で澄ましている。
だから、「なるほど、こちらが黒幕か。純朴な仲間を焚きつけて、権力を我が手にせんとするのだな。」と意地悪く言ってみる。
すると黒石さんが慌てて言う。「違う!我等は操られているわけではない。攘夷と政体転換、どちらに重きを置くかの違いだけで目指すところは同じ討幕です。」
葛の葉は黒石さんの手をとって甘い声で言う、
「わざわざ死戦などせずともよいではないか、ね?」
いかにもあなた達のことを心配しています風だが、そんなことは更々ない。この手の純朴な輩は、こう言えば益々頑なになっていくことを知っているだけ。どうせ燃え尽きるまでは消えない炎である。どんどん燃えろ。
これを聞いた久坂さんは憤慨して、
「師曰く、死して名を残す見込みがあればいつでも死すべし。死を恐れて大業が成せようか。」と言う。
ところが、これに呼応するように、
――生きて大業を成す見込みがあれば、どんな時でも生きよ。
突然、強固な意志と生命力に溢れる男の声が葛の葉の口からでた。
三人の長州人はみな息をのんだ。それは二度と聞くことの出来ないはずの吉田松陰先生の声だった。
「ただの口寄せじゃ。」葛葉はにやりと笑った。
「我等を弄ぼうとなさるのか?」久坂さんの声に戸惑いと恐れが混じる。
「そなたの心の中はこの男のことばかり。
先生はこう言っていた。
こんなとき先生ならどうする。
今の自分を見たら先生はなんと言うだろう。
まるで恋する乙女のようじゃなぁ。吾は嫌いじゃないぞ。
もっと聞きたいなら、聞かせてやろう。」
手近の黒石さんの両肩を掴んで、にっこり笑い「吾の目を見よ。」と言う。
なんの事かわからない黒石さんが葛の葉の目を見る。
葛の葉が何か囁いた。
突然黒石さんは苦しそうに頭を抱えて倒れ込んだ。
のたうち回りながら息も絶え絶えに言う。
「———確かに私の言葉は不用意だった。
しかし何故、そのような些末なことで屠腹せねばならぬのか。
朝廷だって、幕府だって、殿様だって賛意を表していたではないか。
久坂、桂、黒石、決して許さぬ。お前たちを同じ目に遭わさでおくべきか。」
這って久坂の方へ行こうとする。手を伸ばす。
しかし、その手は届かない。
「あぁ娘が、妻が不憫だ。」口惜しい。口惜しくて仕方ない。
葛の葉がパンと手を叩く。黒石さんは崩れるようにして動かなくなった。
・・・しーん。
「あー驚いた。久坂殿に一番会いたがっている死人を降ろしてみたら、凄いのが来てしまったなぁ。」勿論承知で降ろしている。
「ところでこの御仁は誰か。」葛の葉が尋ねる。
「・・・長井雅楽殿。」と桂さん。
「稀に見る思われっぷりじゃな。」
「それは、長井殿が先生を幕府に渡したからで。」と久坂さん。
「久坂殿の師も罪なき罪で亡くなったのか?」
「・・・そういうわけではないが。」
「・・・ふーん、成程ね。」
にこり。「他にもやってみる?」
いや、やらないでしょ。
「他?死んだ親父に会えたりします?」と吉村さん。
「じゃあ、死んだ友達に会えたりします?」と桂さん。
「その降霊術教えてもらえます?」と和泉さん。
みなさん正気でしょうか。
「死んだ者に何時までもとらわれるなんて女々しい。後向きだ。」
一番死人に囚われている久坂さんが言う。なんとかやめさせたいのだろう。その点はまともだ。
「女々しくてはダメなのか?何度生まれ変わっても会いたい人がいてもよいではないか。」か弱い女子が哀願するような顔で言う。
「まったく、軟弱すぎて聞いていられない。そんなだから事を成す気概も無いのです。緞子の打掛でも買って差し上げますから、お召しになったらどうですか?」久坂さんが嫌味を言った。
葛の葉の辞書によれば、女々しいと軟弱は違う。女々しいとは優しいということで、軟弱は力がないということだ。神使として聞き捨てならない。
たかが人間ごときの戯言と聞き流せばよいのだが、刹那主義の狐脳がそれを許さない。
「緞子の打掛?そなた等のような志士風情が緞子など買えるか?」と鼻で笑う。緞子は模様を織り出して作る絹織物の高級品だ。
「あっ、それは禁句や。」と吉村さん。久坂玄瑞は生まれてこの方、金に困らなかったことがない。
武士の面目を潰す言葉に、場の雰囲気がまたしても異様だ。
「藩の金蔵は我等の金蔵。平堂上などよりよほど持っておるわ。」と久坂さんの売り言葉に買い言葉。
驚いた桂さんが「いや、理由の立つ出費じゃないと経費にはできん。」と即座に反論。
言い返されて面白くない葛の葉は、すっと立ち上がり、床の間へ行く。そこに飾ってある大輪の芙蓉の花の花弁を毟り取る。
「持っておるとはこれの事か?」と腕を真横に伸ばし、ひらひらと花びらを散らして見せた。
白い花弁はすべて小判になって落ちて畳の上で小さく跳ねた。
「すわ、妖か。祓ってくれるわ。
掛けまくも畏き伊邪那岐大神、禍事罪穢れを祓い給い清め給え――」と神職和泉さんが祓詞を唱えだす。
葛の葉は更に腹を立てる。怨霊の降霊術に錬金術、祓われても仕方がないことをしておきながら。
「神使の吾を祓うつもりか、どんだけ使えぬ堕祠官なのじゃ。」
言い終わらぬうちに、桂さんが抜刀し葛の葉に切りかかる。
葛の葉は初太刀をかわし、その手首を掴んでねじ上げると、片膝で背を押さえつけた。与力や同心が使う捕手術に似ているが、その速さと身の軽さは驚くべきだ。神道無念流練兵館のもと塾頭があっけない。
最早、他の座敷の笑い声と桂さんの呻き声しか聞こえない。
一同恐怖で頬が引きつっている。
(やっぱり神使たるものこうじゃないと。)気が済んだ葛の葉は、桂さんを解放し、落ちた備前長船清光を拾い上げ、少しだけ鑑賞すると、鞘に戻し投げ返した。「興が醒めた。帰る。」
「いったい雑掌殿は何をしに来たのか。」と桂さんが肩を回しながら独り言を言った。
それはここにいる皆の胸中を代弁している。
「あぁそうであった。三郎、8月7日の勧進相撲は巳の初刻(9時)に祇園社の南楼門にお連れしようと思うが良いか?」
えっ、何言いだすの?
地雷を踏むという言葉や擬音語じゃないカタカナを使いたい。
長井雅樂の傍詞事件について触れてみました。希少な、まともな長州人だったようです。