比翼の鳥、連理の枝とならん
葛の葉に本作初めて与えられたセリフがこんなのです。
「なんだかいつもと違うわ。なぁに?」
何も知らない無垢な瞳を吾に向ける、そなたは何とも罪深い。
今度こそ、吾の願いは叶う、叶わない、叶う、叶わない、叶う
・・・教えておくれ時計草。
「黒簿を書き換える話をするということは、他にも大切な話をしなくてはならない。
・・・お前様は初めて聞くことでしょうが、吾にとっては何度目になることか。」
この話をするということは間抜けで哀れな吾の話もせねばならぬし、その話をするとなると、やはり、あの話もすることになる。
「?」
「コホン。」意味もなく咳払いをしてみる。
「よいか?黒簿を書き換えるということは冥府に働きかけるということじゃ。お前様は黒簿を見るためにすでに冥府に魂の半分を置いておるが、さらに冥府に干渉しようとするならば、この世の魂の重さより冥府に置いてある魂の重さを大きくしなければならぬ。この呪詛を使うたびにそなたの魂は冥府に移っていく。」
説明も慣れたものだ。
「ちょっと待って。これ以上魂を移すとどうなるの?それは死ぬということかしら、それとも書き換えが終われば元に戻るのかしら?」驚きで一瞬目を見開いたと思ったら、戸惑いで目をしばたたかせる。人というのは表情豊かで面白い。毎日見ているのに何故か飽きない不思議な生き物じゃ。
「冥府に魂を移す術は知っておるが、戻す術は知らぬ(ことにする)。
死んでしまっては転生してしまうではないか。それではまた、お前様の魂を追わねばならぬ。また何百年かかることか。」もう沢山じゃ。
だから吾は術をかける。
お前様の目を覗き、心の奥底を覗き、さらにその奥の魂に向かって言い聞かる。
「魂を冥府に移すということは、冥府に移り住むということです。
その後は吾とともにそこで暮らすのです。輪廻を解脱し永遠に。」
吾の術はちゃんと届いただろうか。お前様は手強い。だって己で己に術をかけるようなものだから。自己暗示などそう効くものではない。
「葛の葉も行くの?私一人きりではないのね、よかった。何回ぐらいその呪いを使えば、冥府に引っ越すことになるのかしら?」
「3回じゃ。」にっこり。
「少なくない!?」
そう、少ない。
「お前様の魂は輪廻を繰り返し、その度に、黒簿を見ようと冥府に半分魂を置いてきた。だから今生の魂は、双子でなければ生れ落ちることができないほどに軽くなった。追いかけること数百年やっとここまで来た。」もはや魂を何度も移せる量ではない。
「? ということは、私の魂の重さはすでに冥府の方が大きいんじゃないの?」当然そう思うだろう。しかし、
「今生のお前様の魂は持って生まれただけ、冥府にある魂とは関りがない。残りは大切にしまってあるから心配せずともよい。」長い年月をかけて、一生懸命集めたのだ。
「ふむ、よくわからないのだけど、葛の葉は私の魂を集めているの?」
「そのとおりじゃ。」たとえお前様が言っても返しはせぬ。
「なぜ?」
葛の葉は一呼吸し、もう一度清子の目を見て、決心したように話始めた。
「吾は、冥府の十王の一人、泰山王(泰山府君)に使える神使の天狐。
三途の川に渡し船ができる前の話じゃ。
泰山王は亡者の行先を決める四十九日目の審判をする王であるが、何でも自分でやらねば気が済まぬ性格で、神使と言えど、吾のすることなど何もない。
吾は一人することもないので、三途の川の畔の衣領樹の近くで、懸衣翁と奪衣婆の仕事ぶりを日がな一日見ておった。奪衣婆が亡者から衣服を剥ぎ取り、懸衣翁が衣領樹に引掛けて枝のしなり具合で罪の重さを量り、その亡者が三本の川のうちどの川を渡るべきか決めるのじゃが、二人の息はぴったり合っておって、たくさんの亡者をするすると捌いていくのじゃ。それはそれは手際のよい仕事ぶりであった。
毎日その様を見ているうちに、吾にもそういった連れ合いがおればどれほど楽しかろうと思うようになった。そこで己が魂を分かち、それを作ることにした。
しかし、吾がもう一人いたところで、鏡に向かって話しておるようなものであろう?故に分ける魂の量を少し減らし、別の者の魂を混ぜ込むことにしたのじゃ。
三途の川に来る亡者を見ていると、六道のうち、来た世界によりだいたい渡る川が決まっておる。天道から来た亡者は橋を渡り、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道から来た者は濁流の強深瀬を渡らされ、人間道から来た者は浅水瀬を行く。しかし中には、そのとおりにはならぬ者もおって、そういう者が一番多いのが人間道から来た亡者であった。
吾は人間道に興味がわいた。
人間道を覗いてみると、人間道には喜びもあるが四苦八苦もあった。人々は苦しみを知るからこそ細やかなことにも喜び、感情豊かに暮らせるのだと知った。
吾は人間道におる者の中で善良な者の魂を己が魂に混ぜ込むことにした。
人間界に降り立ち、手頃な男を見つけて誑かし、その魂を少々剥いで我が魂の片割れに混ぜ込んだ。
だがしかし、吾はそこで大きな過ちを犯した。
あろうことか魂だけではなく魄まで混ぜ込んでしまったのじゃ。魄のせいでそなたは肉体を持ち、吾とは違う速さで年老いて輪廻転生するようになってしまった。」悔やんでも悔やみきれない失敗である。
「・・・何というか、葛の葉、かわいそうね。」清子は、顔に憐みの色を浮かべて、からかうように言った。今生だけでも、二人は辛い話を茶化せるくらいの時を共に過ごしている。
「し、仕方ないではないか、吾は魄など持たぬのだから。」葛の葉はバツが悪そうに言い訳をする。
「そうは言っても、今更一つになった魂を分ける術はない。
もはや吾がお前様と共に生きるには、お前様を魂魄ごと冥府に連れてきて、お前様の時を止めるしかなくなった。
それから吾の求不得苦の日々が始まった。さながら人間道に落ちたようじゃ。
吾はそなたが転生する度に冥府に来るよう話して聞かせる。しかし、お前様はいつも何かに執着し、ともに来てはくれない。
故に吾は考えた、交換条件にすることを。
今生であれば、吾はお前様の大切な死にかけを三度救う。その代わりお前様は冥府にくるのじゃ。」
「神使の狐が男の人を誑かして新しい命を創る。なんだか、葛の葉は本当に信太の森の『葛之葉姫』みたいね。」清子は言った。
信太森神社の葛之葉姫伝説は、神使の白狐葛之葉と安倍保名の異類婚姻譚である。葛之葉と保名は恋をして童子丸が生まれたが、葛之葉は童子丸に正体を見破られ一人森に帰る。童子丸は後の安倍晴明なので、この話は陰陽師としての土御門家の始まりの物語ということになる。
「随分と色付けされておるがそのとおりじゃ。ただ、正体を見破られたから童子丸と別れたのではない。童子丸が冥府には来ぬと言うものだから悲しくて一人冥府に泣き帰ったのじゃ。」
「・・・やっぱりかわいそうね、葛の葉。」清子はまたしても憐みの目を向ける。
「お前様のせいではないか!そう思うなら今すぐ一緒に来てくれればよいでしょう!」葛の葉は思わず声を荒げた。
「くすくす、ここは謝るところかしら?
それでは、私は晴明公の生まれ変わりってことになるのね。なんだか恐れ多いこと。」清子はおかしそうに笑う。
「器の名前は色々変わった。そのようなものは一々覚えておらぬ。お前様はいつでもお前様である。」葛の葉は顔を背けながら言った。
いろんなものに執着し、よく笑いよく泣く。毎度吾を傍らに置き大切にしてはくれるが、吾とともに来てはくれぬ。お前様とのやり取りは楽しいが悲しい。
「よいか、黒簿を書き換える呪詛は××× ××× ×××じゃ。
もう一度言いますよ××× ××× ×××。」
「生者必滅、生生流転というでしょう?であれば黒簿の書き換えに何の意味があるのかしら。葛の葉には悪いのだけど、その呪詛を使うことはないと思うわ。」でもね、葛の葉は思う。
「それはお前様がまだ大切な者を失ったことがないからです。大切な人を失う悲しみを知れば、この呪詛を使いたくなる。例えば親兄弟とか。」愛する人を失えば。そうしてこの術を使ったお前様を吾は知っている。
「確かにそれは困ります。どうやって一人で生きていこうかしら。」
「お前様を一人になどいたしはせぬ。今までも、これからも。」
「そう。葛の葉はずっと私の傍にいてくれたのね。ありがとう。」
吾に向ける柔らかい笑顔と甘美な言葉。毎度毎度同じじゃ。
では、吾とともに今、今すぐに冥府に来てはくれぬか?
今にも言葉に出して迫りそうだ。
どうせ答えはわかっている。口に出して傷つくのはいつも吾である。
本当に質が悪い我が魂の片割れ。いっそこのまま連れ去てしまおうか。
ふいに襖が開いた。
お父上さんが怖い顔で立っていた。中山様との話は終わったようだ。
「清姫、よもや盗み聞きなどしておらぬであろうな?」
「そのようなはしたない事はいたしません。」
お父上さんはかがんで清子の目を覗き見る。
これはバレているかな?清子は気まずくなって顔を背けた。
「黒簿について、葛の葉がそなたに何か言っても、聞いてはならぬ。信じてはならぬ。何もしてはならぬ。」お父上さんは一息に捲くし立てた。
「なぜそのように必死なのですか。」少々面食らう。
葛の葉が、
「少し遅かったな、晴雄。吾はもう告げた。吾の嫁になれとも告げたぞ。」と衝撃発言をさらっとした。
「!!」「?!」
「いったいどこをどう聞いたらそんな話になるのですか?だいたい、さっきの話では私が夫で、葛の葉が嫁でしょう?」と清子。
「吾はどちらでもよいぞ。」少々照れて答える葛の葉。
「どっちもダメ!人の寿命は神が決めること。神の意思を曲げてはならない。人ごときが神意に逆らってただで済むはずがないではないか。」もう、何についてダメなのかわからない。
「だから、それが吾の嫁になるということじゃ。婿でもよいぞ。」葛の葉がまだ続ける。
「ご心配くださいますな。気の弱い清子にそのような恐れ多いことができるわけありませんでしょう?」どうどうお父上さん。
「気弱?いったいどこの清子のことか。よいか、父との約束じゃ。約束を破ったら呑む針は千本どころで済むと思うな。」そう言うと怖い顔で葛の葉を睨んだ。
葛の葉が鼻で笑って言う。
「己が立場を弁えておるのか?」
皆まで言わずとも春雄にはわかる。誰のおかげでこの家の命脈を保てているのかと脅迫しているのだ。春雄の手元には先祖の残した日記や書物がある。信太森神社から連れ帰る狐の正体についても書かれている。その狐がもたらす功も罪もだ。
「清姫、わかっているだろうがそれは式ではない。我らが使役してよい神ではないのだ。
・・・父を悲しませるようなことだけはしないでおくれ。」力ない声で言い、清子の頭を撫でて部屋を出て行った。
頭の整理が追い付かない。葛の葉なら嫁でも婿でも連れ合いでも、何でもいいか。今までと特に何も変わらないだろう。清子は、もう今日は終わりにすることにした。
魂に雌雄はない。LGBT。
土御門家のイメージ戦略すごくないですか?
やむを得ない事情により、8月は投稿をお休みします。9月から引き続きよろしくお願いします。