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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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呪殺


7月9日

夕方から雨が降ってきた。

こんな夜に来客である。お父上さんとお約束をしていらしたらしい。

客は中山忠能様。先議奏、先武家伝奏、若宮の外祖父。家格は羽林家(武官)、我が家は半家(武官でも文官でもない)で家格としては同じ平堂上。我が家にも年頃の娘がおれば!と皆が羨む御栄達です。

忘れていたが私は若宮と同じ年。もしかしてもしかする?まぁ、狐の子孫では無理でしょうけどね。

 そんなお方がこんな時間にわざわざお越しになるなど、人には言えぬ話に決まっている。祓い、(まじな)い、占筮か、いずれにしても悩み相談だろう。欠けたるところもなしと思われる中山様のお悩み、きっと面白いものにちがいない。

清子は柱によりかかりほんの少し襖をずらす。それから葛の葉を振り返っていたずらっぽく笑ってみせた。屋敷の式たちは皆、他人が近くにいるときは人の形をしている。葛の葉も今は麗しい人型である。そんな葛の葉が清子を真似て聞き耳をたてる格好をする。意味が解ってやっているのかは不明。元来清子以外に執着がない。

「夜分に申し訳ありません。今日は、人には申せぬお願いをしに参った次第です。」と中山様。

「どういったお話でしょう?」とお父上さん。

わずかな沈黙ののち、中山様は

「土御門殿は黒簿を書き換えられると聞いております。」と切り出した。

黒簿とは冥府の主神泰山府君の管理する死者帳簿である。当家は、冥府の神を祭り不浄を祓うことができるのだから、その死者帳簿もどうこうできるに違いないと思われている。

「書き換えられるとすればいかに?」お父上さんの声が険しくなった気がする。

「私の孫で実子の忠光の名を黒簿に載せてほしいのです。」

「!?」

黒簿に載った者を生者の帳簿に移し替えるという依頼ではなく、その逆だ。

「三月半ばに勝手に都を出奔した忠光が、先日久しぶりに家に帰って来ました。どこに行っておったかと聞いたところ、長州まで行って異国船を打ち払っておったというのです。石清水八幡宮行幸の際に、忠光が主上さんの拉致を企てたと噂があったが、あれも本当だったようなのです。

 おとなしくしておれと何度言い聞かせても、外夷の危機を前に何もせずにいることなど出来ないの一点張りなのです。若さゆえに血気盛んで片付けるには度を超しております。

周りの声が大きすぎて御叡慮が伝わらぬが、主上さんは、夷狄を憎んでもその船の打ち払いなどお望みではない。主上さんの攘夷は破約攘夷のことである。通商条約を破棄し横浜、長崎、函館を鎖港することはお望みだが、和親条約はご許容なされる。打ち払いの結果、異国と戦になり敗北し、属国に降ることは何よりもご憂慮なされるところです。

もし、忠光が原因で皇国の危機を招くようなことになったらと思うと恐ろしく、しかも、私の立場も立場です。このままにしておいてよいはずがありません。

とは言っても、自ら我が子に手を掛けることもしきれません。

実は、この前の朔平門での不浄の祓いの儀式を拝見しておりました。邸が近くなものですから。

その時からずっと、土御門殿のことが頭から離れません。」

「それはご子息を呪い殺せということで宜しいのですか?」

()に。」

部屋の隅からでは顔は見えないが、息をのむお父上さんの様子が手に取るようにわかる。清子の予想だにしなかった相談である。

しばらくの沈黙の後、

「確かに、当家には時折黒簿を書き換えられる者が存在します。そして今もできぬことはないでしょう。しかし、黒簿から生者の帳簿に移し替えるならともかく、その逆などとてもさせられません。加えて、陰陽師が呪術を使って人を呪い殺すことは大罪です。

この話は決して他言はいたしませんので、どうかご容赦ください。」

陰陽師が人を呪い殺す方法?蟲毒か埋鎮呪法や撫物の悪用といったところだろうか。残念ながら清子は試したことがない。はるか昔に定められた律令は今なお生きているのだから。


「ねぇ、葛の葉、黒簿は書き換えられるものなの?」清子は振り返って後ろにいる葛の葉に聞いた。

「どうやって書き換えるか知ってる?お父上さんがお持ちの有世公や晴親おじいさんの日記には書かれているのかしら?」

陰陽師の端くれとして黒簿の書き換えに興味がわく。と同時に思う。形あるものはいつか朽ちるのだから永遠の命などありはしない。そうであれば黒簿から生者の簿へ書き換えることは一時の延命だ。そのようなことにどれほどの意味があるのだろうか。むしろ中山様が願ったように、生者を黒簿に移すことの方が有意義ではないか。するかしないかは別にして。


「知っていますよ。書き換える呪詛を教えようか?」葛の葉がほほ笑んでいる。

「さすがね、葛の葉。」清子は目を輝かせた。


葛の葉は、清子を清子の部屋に連れて行き、座布団に座らせた。それから自分も神妙な顔つきで向かい合いに座った。

沛然(はいぜん)たる雨の音が部屋に響いている。


前話の人は、中川宮でもと青蓮院宮で自称獅子王院宮です。

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