家職
今回は清子のお父上さんが主役?です。
文久3年3月18日
陰陽寮にて
陰陽寮の奥の間にて、この部屋の主、陰陽頭土御門晴雄は、二条斉敬右大臣殿を応接中である。
「また行幸が決まった。今度は石清水八幡宮です。
良い日取りをいくつか選んでください。今回は、大樹公は大阪城にて湾を守り、主上さんだけで諸藩公を従えてお出かけになるそうな。」右大臣は浮かない表情で言う。
こんなことは蔵人を寄越せばすむことで、右大臣がわざわざ出向いて指示することではない。陰陽頭の口が堅いことをいいことに、要は愚痴を言いに来ているのだ。
昨年、江戸から京都に向かう薩摩藩の国父・島津久光公の一行が、行列に乱入した英国人を切り捨てるという事件が起きた。そして今、この一件の報復に英国艦隊が横浜に襲来する可能性が高まっている。この機を捉え、即今攘夷派の公家は、国家安寧のために行幸が必要であるとしきりに説き、去る3月11日に賀茂両社に行幸が行われたばかりだった。
「七社七寺すべて行幸なさるのですか?」と陰陽頭。
七社とは伊勢神宮、石清水八幡宮、賀茂神社、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社のことで、七寺とは仁和寺、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、東寺、広隆寺のことである。主上さんが加持祈祷をする社寺は代々この七社七寺と決まっている。
「本当に苦々しい。国家安寧祈願にかこつけて幕府に無理な攘夷を迫っている。関白の鷹司さんが長州とその息のかかった公家どもに何も言わないからこんなことになる。関白が不甲斐ないから、主上さんも御嫌と仰せになることができない。」
即今攘夷派の公家とは、政に疎い陰陽頭がぱっと思いつくだけでも議奏の三条実美さん、国事参政の姉小路公知さん、国事寄人の中山忠光さん・三条西季知さん等々、両手両足の指など余裕で足りぬほど大勢いる。
「御嫌さんですか。」
「ここだけの話、大嫌さんじゃ。」
3月29日
また二条右大臣が来室。
「石清水八幡宮への行幸は中止になりました。」
陰陽頭は行幸出発に際し、道中の安全を願う儀式を執り行う。よって中止の知らせは重要であるが、やはり右大臣が自ら知らせに来ずともよいことである。
「またどうして?」
「中山忠光さんが、行幸の途中で主上さんを鳳輦ごと拉致して、討幕の号令をだすという計画があるらしい。」右大臣は声を潜めて言った。
「まさか!?」
「忠光さんのところには、土佐藩の脱藩浪士や、長州藩士が足しげく通っておるし、過激な攘夷派公家ともつながりが深い。あり得ぬ話ではないと思う。」
「ご子息がそのように過激では、中山忠能殿のご心労はいかばかりでしょうか。」
「本当に。若宮の外祖父で前議奏であるのに、家から咎人をだしそうな勢いじゃ。」右大臣は顔をしかめて言った。
4月1日
また×2、二条右大臣来室。
「すまないが、また行幸の日程を選んでほしい。議奏の三条実美さんや国事参政の姉小路公知さん、長州の毛利元徳公がうるさいのじゃ。朝威にかかわるとか何とか言って、ギャンギャン騒ぎよる。」
つらつらと愚痴をこぼして出て行った。
姉小路公知さん来室。
「おや珍しいお客さんで。なにか御用ですか?」と陰陽頭。
「行幸が延期になった話は聞いておられるでしょう?次の日程をできるだけ早い日にちにしてほしいと思い陰陽頭殿に頼みに来ました。国家安寧を神に祈るは主上さんの御務め、これをいつまでも先延ばしにしては皇国中の信頼を失うでしょう?次の11日などどうでしょうか、ちょうど10日後です。」姉小路さんの押しが強めだ。
「確かに、11日は厄日ではないが。」以前した選日を思い出して答える。
「では決まりです。議奏の三条さんに私から伝えておきますよ。」と言って、さっさと退室していった。
4月8日
また×3、二条右大臣来室。
「また行幸の延期じゃ。主上さんが行幸のことを思い詰められて、ご病気になってしまわれた。」
「そんなに御嫌さんでしたか。」
「もう、お食事も喉を通らぬご様子でお労しい限りじゃ。」
つらつら×2と愚痴が続く。
4月9日
また×4、二条右大臣来室。
「行幸じゃが、やはり予定通り11日に行うことになった。」右大臣の顔色が明らかに悪い。
「主上さんのお体の方は大丈夫なのですか。」昨日、病と聞いたばかりである。
「よくはないが、議奏の三条さんなどが、『どうせ仮病じゃ、鳳輦に詰め込んでおけばよい。』などと恐ろしいことを聞こえよがしに言うのじゃ。過激な公家や尊攘志士が暴発しそうで恐ろしく、行かぬわけにいかない。」
「なんと、不敬な。」
「まったくだ。しかし反対すればこちらの身も危うい。もはや制御不能じゃ。」
宮中はそら恐ろしいことになっていた。
4月11日
主上さんは無事(?)行幸にご出発なされた。陰陽頭は、出発前の儀式も卒なくこなし、自室に戻ってほっと一息ついた。朝廷内の緊迫がどこか他人事な空間である。
4月13日
剣術稽古場
三郎が稽古場で剣術の稽古をしていると、店から丁稚の弥助がやってきた。
ずっと走って来たのか、弥助は息を切らしながら言った。
「今、店に黒石様というお侍様がいらしています。旦那さんからのご伝言です。話がややこしくなるのでしばらく戻るな、だそうです。」
嫌な予感しかしない。
「わざわざありがとう。蛸薬師で講談でも聞いて時間をつぶすよ。」三郎は答えた。
蛸薬師は寺町通り沿いで、三条通から二本下った蛸薬師通にある永福寺のことだ。三郎は講釈場の入り口を入ってすぐの床の間に腰掛けた。祭日ではないので人があまりいない。滑稽噺をしているようだが少しも頭に入ってこない。黒石様は何をしに来たのだろう。
一刻後三郎は恐る恐る帰宅した。黒石さんはいなかった。
「次郎兄、黒石様がいらっしゃったそうですが。」
店主は見ていた帳簿から目を離し、
「ああ。お姫さんがうちにいらっしゃっていることをご存じでした。お姫さんのお父上さんに会わせろという話です。
しらを切り通してみたが、あれで納得したとは思えない。これから土御門家に知らせに行ってくれないか。もしかしたら、お姫さんはもうここにはいらっしゃらないかもしれない。お前が行った方がいいだろう。」と告げた。
起きていることは理解した。これは自分の失態が招いたことだろう。迷惑をかけるわけにはいかない。
梅小路土御門邸
お父上さんとお姫さん、狐二匹を前に三郎は店での出来事を伝える。
「今日、うちに長州藩士の黒石様という方がいらして、当方に土御門様と繋げと言って参りました。いかがいたしましょうか。」
ため息ほどの間があってから、お父上さんが話始めた。
「そなたの話は娘からよく聞かされております。そなたの家の家職は何であろうか?」
家職?商人、それともこの場合は堺奉行与力と答えるのが正解だろうか?
三郎の家は商家であり武家である。もともとは与力家の次男坊だった曽祖父が士分を離れて商売を始め、祖父が商売を継ぎ、父が子のない本家に養子に入っている。長男がいる以上三郎が与力を継ぐことはないだろう。祖父の商売を次郎兄と分けあうものと思われる。
「はは、迷うたな。当家の家職は代々官人陰陽師である。
陰陽師が政に口を出せば、誰が我等の占筮や占星、選日の結果を天の意思として信じてくれようか。
当家は政に口をはさんではならぬ。よって、長州と関りを持つつもりは微塵もない。
もはや娘をそちらに遣るのは適当ではないだろう。
短い間であったが大変世話になった。かたじけなく思う。」
それを聞いたお姫さんは、
「それは致し方ありません。ですが...ですが一緒に祇園社で相撲を見る約束をしておりました。せめてそれくらいは行ってもよいでしょう?」と言い、お父上さんを潤んだ目で見つめた。
念のため断わっておきますが、この潤みは三郎とともに時を過ごしたいといった類ではなく、心底相撲見物に出かけたいだけですよ。残念ながら、たった3日で潤んだ瞳でみつめられるほどの色男ではないことぐらいわかっています。ひそかに目指すところではありますが。
それでもこのように言ってもらえるのはやはりうれしかった。あまりに突然すぎる終わりだから。
お父上さんはお姫さんをしばらく見つめて、その頬を優しく撫でる。
「仕方ない子じゃ、一日だけ楽しみなさい。」
お姫さんがにっこり微笑む。(お父上さんがちょろい。)
「申し訳ないが、一日だけ面倒を見てくれないだろうか。」
「承知いたしました。」三郎の心も少し晴れた気がした。
帰り際、三郎は一匹の狐の頭を撫で、「また八月にな、葛の葉。」と言う。
「これは槐です。」お姫さんは笑った。
帰り道、三郎は家職について考えていた。
自分は商人になりたいのか、武士になりたいのか。
与力は長兄が継ぐのだから三郎は武士である必要がない。さらに言えば、祖父の築いた商売を継げるのだから商人として恵まれている。
ではなぜ自分は未だに剣術の稽古をしているのだろうか。やはり武士に対する未練があるのだろうか。
もし、武士として生きるとすればどうやって職を得るのか。自分の齢からすれば武士として生きたいならば何かしら手を打たねばならぬ時期だ。
三郎は立ち止まり、鞘ごと刀を抜き取って月にかざしてみる。十三夜の月が明るく照らす。
結局自分には覚悟が足りないのだ。
自分が何者であるかを即答できるお姫さんたちがうらやましいと三郎は思った。
三郎の身分設定で、同心にするか与力にするかすごく悩みました。大差ないようですが、お金で身分を買うとすると与力は厳しいが、今後のことを考えると同心では心もとない感じがします。そこで与力家の分家の商家ということにしました。そうすると成田家はそれなりに裕福だといえます。