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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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六道が辻

今日は答え合わせです。


男は、酒臭く目が座っている。

先に声をかけたのはお姫さんだった。

「刀があなたの執着に迷惑しておりますよ。

いったい何に囚われたらこのように嫌われるのでしょう。

穢れを祓ってあげないと、怒ってあなたの魂を喰ってしまいます。少々貸して下さいませ。」と手を差し出した。

男は、「餓鬼が知った風なことを言う。」と吐き捨てた。

対峙するお姫さんは怯まない。

「刀は昔からよい依代ですから、心の弱い者がむやみやたらに頼みにしてはいけません。」

「笑止!前の肥前吉弘ならいざ知らず、コイツはただの安物だ。

それより儂の心が弱いといったか?聞き捨てならん。」

「弱くなければ、無益な殺生など繰り返しはしません。」お姫さんがきっぱりと言う。

三郎は背筋が寒くなってきた。

「志のために剣を振るうことを無益と言うか!」男が声を荒げた。

「志?」

「そうじゃ。老公の無念を晴らし、異国から皇国を守る。これがわし等の志じゃ。」男は胸を張る。

「・・・でもあなたのしたことと言えば、大樹の葉っぱを刈るばかりで、皇国を守ったと言えるでしょうか?あなたが守りたかったものは、他にあるのではないですか?」小首をかしげて男の真意を窺う。

どうやらお姫さんの言葉に思うところがあるようで、男は黙り込んだ。


「・・・儂は武市瑞山先生を深く敬愛している。

儂の剣術の師、瑞山先生は、皆が欲しがる才能をすべて持っている。世の中にはそんな人がいるんだよ。

儂はその才能に魅せられて、先生の行く所はどこへでもついて行った。

先生が勤王党を作ると、儂はすぐに加わえてもらった。先生と儂は同志になった。うれしかった。」男は懐かしそうに遠くを見つめる。

「先生は他藩応接役として、長州の桂小五郎、高杉晋作や薩摩の樺山三円といった錚々(そうそう)たる攘夷家と日々交流し、攘夷を実現するため日々奔走していた。

だから儂も何かしなければと思った。

だが儂に出来る事など、せいぜい人斬りぐらいだ。」

「同志として役に立ちたかったと。」お姫さんの口調は穏やかで優しい。

「これではまるで、己の思慕の情のために剣を振るってきたようだ。言葉にすれば何と女々しい。」

先生のために刀を振るったはずなのに、先生は藩での立場を危うくし、自分は傍にいられなくなった。自分のしてきたことの意味がわからない。これからどうすればいいのかもわからない。どうすれば先生と一緒にいられる?

「あなたの師もあなたにそれを望んだのですから、まったくの無意味とは申しません。同志であり続けるには、人を殺め続けなければならないという考えが、刀への執着となったのでしょう。

ただ、同志なのにあなただけが汚れ役なのは何故でしょう。師はあなたが思うのと同じようにあなたのことを思ってくれているのでしょうか。

・・・もう終わりになさいませんか。

そうすればあなたはきっと心穏かでいられます。」

そんな言葉、聞きたくない!聞きたくない!

もうわかっている。―――でも認めたくない。

「もう、もう十分だ。」男は苦しそうに声を絞り、柄に手をかけた。

刹那、男めがけて三本の刃が突きつけられた。

1本は首筋、1本は喉もと、1本は手首へ。

男は最早微動だにしない。


姫さんは、男から刀を預かるのは無理だと思ったのか、呪文を唱えながら紙に五芒星を描いて差し出した。

「気休めにしかならないかもしれませんが、常に持っていて下さい。」

男はそれを受け取ることはせず、足早に店を出ていった。


通りで誰かが男を呼びとめた。

「おい、以蔵。」


君がため 尽す心は 水の泡 消えにし後は 澄みわたる空

岡田以蔵辞世の句 (慶応元年閏5月11日(1865年7月3日) 斬首)




以蔵に向けられた刃は3本。

1本は三郎、1本は葛の葉、ではもう1本は?

「ふぅ、危ないところでしたね。でも、僕が出しゃばる必要はなかったかな。」

屈託なく笑う若者。

「京都見物中に偶然この行列を見つけて、面白そうだから並んでたんだ。折角だから、僕にさっきの護符をくれないかなぁ?」

「いいですよ。助けて頂いたお礼です。」

「ありがとう。でもただじゃ悪いよ。8月7日から5日間祇園社(八坂神社)の境内で相撲の興業があるんだ。僕たちがその警備をする事になっているんだけど、そこに君たちを招待するよ。壬生浪士組の沖田総司の紹介と伝えてくれれば、ただになるようにしておくよ。それじゃあ、また。」

相撲と聞いてお姫さんの目が輝いた。

ただはいいけど、この向こう見ずなお姫さんのお守りをするくらいなら、味噌樽を運んでいるほうが百倍ましだと三郎は思う。

列が乱れたのをよいことに、お姫さんの仕事を終わらせることにした。

稼ぎは、飲食代と場所代を差し引いてもまだ余裕で残る。

お姫さんはにっこり笑って、

「今日のお礼です。」と残りの銭をすべて三郎に差し出した。

三郎は、教育係は恩返しなのだから何もいらないと答えるが、

「では、また次に使ってくださいませ。」と返される。

その他意の無い微笑みを曇らすわけにはいかない。「はい、承知しました。」


千成屋への帰路、三郎は、教育係としてお姫さんに話掛けた。

「さっきの男に言った言葉、あれは良くないと思います。」

「あれ?」お姫さんが小首をかしげて三郎を見上げる。

「言っていることは至極正しい。しかし、あの男は自分の師を心の支えにしていました。

お姫さんはあの男の心の支えを容赦なく折りました。

人は見たいものだけを見たい生き物です。真実を見せる事が常に正しいとは思いません。」

お姫さんは、少し逡巡し答えた。

「報われない執着から解放されてこそ、人は迷いなく輪廻の旅路につくことができると思いました。」

そうか、お姫さんは人の寿命が見えるのだ。今を見ているのではなく先を見ている。三郎とは見ている景色が違うから、紡ぐ言葉も違う。

「なるほど。」

あの男の輪廻の先は何道か。

ちょうどこの坂を登れば六道が辻。

清水寺に続くこの坂には、辻々にお地蔵さんがいらっしゃる。

「行ってみますか?」と三郎が言う。

葛の葉が、お姫さんの腕を掴み首を横に振った。

お姫さんが、「わかっております。」と、そっとその手を取った。

輪廻から外れる事こそ御仏の説く解脱。

でもなぜでしょう、私達は次の生を望む。


今回は思想を語る部分が多くて苦労しました。以蔵は人気のある人物なので、皆さん独自の解釈をお持ちだと思います。一解釈と寛大な心で流してくださいませ。


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