揚羽蝶
揚羽蝶が三郎のところに降り立ちます。
話が進んでなかったので、だいぶん追記してしまいました。是非もう一度読んでください。
明後日辰の刻(朝の8時)お姫様ご来店。
三郎の目の前に可愛らしいお姫様と若侍。店主とその妻である雅さんと三郎が向かい合って座っている。
お姫様は、少し釣り目で色白、まだあどけなさが残っている。空色にたくさんの揚羽蝶が描かれた華やかな振袖を着ている。その隣には布衣(無地無柄の簡素な狩衣)を着た、やはり釣り目で色白の従者が侍っている。
三郎たちは若君が来ると思っていただけに、また、我が家に本当に貴種が訪ねてくるのか半信半疑だっただけに、失礼ではあるが、ついついまじまじと見てしまう。
清水寺で出会ったときは水干を着ていたので、当然男の子だと思っていたが、職業上?着ていたということだろうか。あの時の子だと言われればそのように思うが、なんだか着ている振袖のせいか雰囲気がだいぶ違っている。本当に人間なのか疑わしかったあの時に比べ、今目の前のお姫様は確かに生きていると思える。
お姫さんは知らない場所で緊張している様子だ。
「あらためまして、土御門清子と申します。こちらは葛の葉と申します。どうぞよろしくお願いしたします。まずは、父からの手紙をお読みください。」といって、手紙を差し出した。
読んでみると、お姫さんが他所で普通の人がしないようなことをしてしまうので困っている。ときどきお姫さんをそちらに遣るからその悪い癖を直してもらいたい。といった内容が書かれている。
「普通の人がしないようなとは?」店主が尋ねる。
「実は先日、とある貴人の前で手近にいた鬼を使って柳行李の中から桜吹雪を出しました。それでお父上さんは怒っているのです。」と泣きそうな顔で答える。
確かに貴人は驚いたでしょうね。相当怒られた様子だ。
すると、店主はくすりと笑って、「まるで手妻ですね。」と言った。
手妻は稲妻のように早い手捌きという意味の奇術のことである。
雅さんも三郎も、不安げに店主を見る。
何がいけないかと言えば、手妻は兄の得意な宴会芸で、いつも披露する機会を狙っているのだ。得意と言っても大したことはできない。
「手妻?」姫さんが首をかしげています。
さっそく、兄はどこからか1文銭をだしてきて、あからさまに左手で銭を掴み、
「さ、銭はどちらにあると思います?」と聞く。
すかさず「左です。」と姫さんが答える。
兄がにっこり笑って、左手を広げて見せる。もちろん何も入ってはいない。
次に右手をあける。やはりそこには銭があった。
「どうして?左手に銭が入るところをこの目で見たはずですのに。」
兄は「ね、不思議でしょう。不思議なことができるのは何もあなただけではないのです。ですからそんなに気にする必要はないですよ。」と励ます。
兄の言葉に雅さんが、ふふっと笑って、
「3日前に文をいただいた時はどうなることかと心配しましたが、あまり心配をする必要もなさそうですね。やはり、お姫さんの教育係は三郎さんで大丈夫ですね。」と兄を見る。
三郎は慌てて、
「ですが姫君です。私ではなく雅さんの方が適任なのではありませんか?」考え直すよう促す。
店主は「三郎、お姫さんは時折こちらにいらっしゃると仰っている。お前はお姫さんに手習いでも教わるつもりでいるのかい。それとも店の仕事をさせるとでも?
ずっと、店の中にいるわけにはいかないだろう。町は治安が良くない。お姫さんの安全のために護衛は多いほうがいい。お前は少しは剣術をかじっているじゃないか。
雅が御供では、心配で仕事に身が入らないよ。」と言った。
三郎は、小さい頃から、武家家業を継ぐ長兄一郎と一緒に剣術の稽古場に通っていた。次郎兄も通ったことはあったが、あまり好きではなかったようで続かなかった。次郎兄は頭がよかったから祖父も始めから商家を任せるつもりだったのだろう。三郎は、一郎兄と次郎兄どちらの補欠もできるように育てられた。
やはり、次郎兄にはかなわない。いつも考えなしに話しているようで、ちゃんと考えているのだ。
「そうですね。わかりました。わたしが務めさせていただきます。」口を尖らせて言った。
それから、店主と雅さんはいくらかお姫さんと言葉を交わし、「何か不自由なことがあれば遠慮なく申し付けてくださいね。では私たちはこれで失礼します。」と笑顔で退席していった。なんとなくうまく逃げられたような気がする。
さて、これからどうしたものか………。
「えぇと、私は何をすれば良いのでしょうか?」と聞いてみる。
「そうですねぇ、町歩きなどしてみたいです、お師匠さん。」
目をキラキラさせてお姫さんが答えた。この様子では最初からそのつもりだったに違いない。
鴨川沿いを歩けばいいのかな、近くて助かるけれど。
三郎は手早く支度をし、
「そういうことだから、菊さんちょっとその辺廻ってきますね。」と菊蔵さんに告げる。
菊さんは「行ってらっしゃいませ。」と気の毒そうにこちらへ顔を向けた。
うちの店で自分のことを気遣ってくれるのは菊さんくらいなものだ。悲しい。
数歩歩いてすぐに気が付いた。この二人はものすごく目立つ。何が違うのか、公家には市中をうろついてはいけないという法度がある。実際は、お姫さんは子供で適用されないだろうが、それを差し引いても、お姫さんの髪型や振袖の華やかさ、従者の出で立ち、すべてが公家然としている。これではいろいろ危険ではないか。
そこで、「お姫さん、髪を結直させてください。それからお召し物も替えさせてください。」とお願いする。
ここは祇園の近くなだけあって髪結い屋はたくさんある。問題は着物をどうしよう。今から作るわけにはいかないので、貸衣装か中古かしかないだろう。しかし、子供用普段着の貸衣装などないだろうし、中古屋というのも恐れ多い気がする。
雅さんはうちにお嫁に来た人なので、子供の頃の着物は持っていない。
考えた結果、三郎は、通り向かいの両替商泉屋さんの娘鈴さんを頼ることにした。鈴さんは、歳は20代半ばくらいだろうか。婿養子を取っているので子供の頃の着物を持っているのではないかと思う。
泉屋さんに行って鈴さんに事情を話すと、三郎の読みは当たった。
「かわいい妹ができたみたいでうれしいわ。お着替えのお手伝いをしますからどうぞこちらへ、お姫さん。」と鈴さんは言ってくれた。あいかわらず面倒見が良い。
その間に若侍の着替えだ、葛の葉さんには自分の小袖を着せることにした。
姫さんは、桜色の小袖に裏葉柳(淡い黄緑色)の帯を締めている。
前の振袖に比べれば随分落ち着いた雰囲気だ。商家の娘あるいは武家の娘くらいには見えるようになっただろう。
葛の葉さんには秘色色(青系薄灰色)の小袖を着流し、煤色(赤系灰色)で七宝つなぎの柄の帯を締めてもらった。
なかなか良し。どちらもお古を着せたわけだが、特に従者、自分の時と着物の印象がだいぶん違う気がする。何が違うのだろう、悔しいがそこは目を瞑ることにした。
鈴さんに丁寧にお礼を言って泉屋さんを後にする。次は髪結屋だ。
髪結屋は泉屋さんの三軒となりにある。
「こんにちは」と三郎が呼びかけると、
「あれぇ三郎さん、珍しいね。」と女主人が答える。
「ミツさん、今、お忙しいですか。」と聞くと、
「暇だよ。うちが忙しくなるのは申の刻(午後4時)あたりからだから。」
髪結屋は夜見世前の遊女の髪結いに行くのだ。
「よかった。この子の髪型をもう少し、町娘風にしてほしいんだけど。」と三郎が言うと、
「ひとつぶ髷だね、誰?」とミツさん。
ひとつぶ髷は公家の若いお姫様が好んでする髪型だが、若いといっても、お姫さんには少し背伸びをしている髪型である。
「うーん、大事な預かり物。」と濁すことにした。
するとミツさんはそれ以上詮索せず、
「いいよ、今流行の髪型にしてあげる。」と請け負ってくれた。さすが、訳ありの扱いには慣れているといったところか。
ミツさんは慣れた手つきでお姫さんの髪を結い直しにかかった。
四半刻くらいで完成。お姫さんが珍しそうに鏡を覗いている。
「このお嬢さんなら稚児髷で十分だと思ったんだけど、ひとつぶ髷なんてしてるってことは、背伸びをしたいお年頃かなと思って先稚児にしてみたんだけど。」とミツさんは言う。
稚児髷とは頭の高い位置で髪の毛を二つの輪っかに束ねる、七夕の織姫を想像させるやつだ。この髪型は人気があり、稚児とはいえない年齢の娘もする。一方、先稚児髷は島田髷の変種で、束ねた髪を二つに割って鹿の子をみせる。二つに割るところが稚児髷みたいなのでその名がついている。
「さすが、ミツさん。すごく似合ってるよ。おいくらで?」
「28文、よしみで安くしてあげる。」
古き良き時代の値段だ。
「了解。ありがとう。」
三郎たちは、店を出た。
知らない女の人に小袖を着せられた。髪は何だかいつもよりかわいらしい感じだ。
今日出会った人は知らない人ばかりだけれど、みんな優しい。私はとても幸運なようです。
「なんだかうれしいね、葛の葉。」振り返ってそっと囁いた。
葛の葉が優しく微笑み返す。
揚羽蝶は家紋に因んでいます。
今回は少し苦戦してます。初めての町なかということで2番めに登場するには意外な人選になっています。知る人は知るでしょうけど幕末に興味がなかったら知らないかもな人が次話か次次話で登場します。誰だか当ててみてください。