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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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もう一つの鏡

幕朝戦争開始

大坂港に薩摩の軍艦が現れ、数百人の兵士が中之島の薩摩藩邸に入ったという知らせが大坂町奉行所から所司代、町奉行所に届いた。

三郎は、土御門泰清の使者の千成屋として薩摩藩の大坂蔵屋敷にやってきた。安治川周辺には各藩の蔵屋敷が立ち並ぶ。その中でも薩摩藩の蔵屋敷は川沿いで立地がよく、しかも広い。薩摩藩は蔵屋敷を三つ持っており、兵士など容易に収容できる。

表門は立派な長屋門であり、その巨大な門扉は閉じられている。三郎は一度門扉を見上げてから大きく息を吸い込み、覚悟を決めて門番の一人に話しかけた。土御門家の書状を見せて幸徳井少年に面会を求める。その門番は潜戸(くぐりど)から屋敷内に入っていき、暫くすると、大門が開けられた。

薩摩藩への使者ではないし、公式な使者でもないのに大門は開いた。土御門家恐るべし。

三郎は玄関に案内されながら邸内を観察した。

邸内は蔵が立ち並び、裏手の川から荷揚げされた荷物がひっきりなしに蔵に運び込まれている。兵士を入れたのだからもっと物々しい雰囲気かと思っていたが意外に普通だ。

応接間に通され、留守居がやってきて挨拶をする。世間話を装って兵士の上坂について尋ねると、

「もしもの時に、禁裏御所をお守りするためでございもす。」という返事が返って来た。

薩摩のせいで幕府方は大坂も京都(守護職)も神経過敏になっているというのに、ものは言いようである。


留守居と入れ替わるように、一人の少年が現れた。

散切り頭に日焼け顔、伸び盛りに入った初夏の青葉のような少年だった。予想していた少年像とあまりに違い、三郎の目は頭に釘付けになった。

「髷のこと?公家髷の方がここでは目立つからな。」真備は笑って言った。

「あっ、失礼しました。私、土御門泰清様から使者を仰せつかりました千成屋の三郎と申します。幸徳井様でいらっしゃいますか。」

「そうだよ。」そう言って真備は三郎の向かいに座った。

「泰清様が大変ご心配されています。薩摩藩の兵士になられたのですか?」

「うーん。千成屋さんは俺の事はどれだけ知っている?」

「若君を誘拐して薩摩へ逃亡し、洋学を学んでいる幸徳井家の廃嫡子ってことくらいです。」

「全部知ってるじゃないか。もぅ、姫様と俺だけの秘密なのに。」口を尖らせる。

「すみません。」

「洋学は、手始めとして英語の翻訳から始まったんだけど、勉強と薩摩の実利を兼て、本の翻訳をさせられた。本は、用兵術や航海術、あとは機械の取扱書とか。何とか翻訳ができるようになって、次に何を学ぼうかと考え始めた頃に、海軍の士官候補生にならないかと誘われた。

薩摩は海軍が弱くて、士官、機関員、ボイラー員全部絶賛増強中なんだ。薩摩って進んでいる印象があるだろう?だけど実際はそうでもなくて、武士は刀って考えが強いんだ。だから水兵のなり手がいなくて困っている。俺は一応、名の通った官人の出だからな、俺が入るといい宣伝になるんだよ。」

「お連れの皆さんも同じく海軍所属で?」

「養成学校所属だよ。悪い選択じゃないと思うんだけど、姫様はどうお思いになるだろうか。」

「・・・驚かれるかもしれませんね。」

「そうだよな。でもこれからは水兵は重宝されると思うんだよな。」心配そうな顔をする。

それから、

「姫は、どうなさってますか?つつがなくお過ごしですか?」

「ええ。」

「若様はどうなさってますか?つつがなくお過ごしですか?」

「ええ。主上の御寵愛篤く、よく御所へ参内なさっています。」

「その言い方はやめろ。」

?!さっきから三郎は泰清について、少年は姫について話している。

「なぜでしょうか。」

「いや、若様は早く政局を引退しないといけないんだ。あー、俺がこんなことにならなければ、助けられるのに。」

「どういう意味ですか?」

「だから、俺が土御門家の婿養子になればすべて解決したんだよ。」傍らに置いた刀の下緒をもて遊びながら、いかにも不満そうに、しかもどうせ三郎にはわかりっこないと思って言っている。三郎は、少年が秘密を知っているなんて一言も聞かされていない。悔しいので、それは二人だけの秘密ではないと言ってやる。

「ご存知なんでございますね。お姫さんがなさっていること。」

真備は一瞬で険しい顔になり三郎を睨む。

「お前は何者だ?ただの御用商人じゃないだろ。」

「私は、・・・常々お姫さんの力になりたいと思って動いている者です。」

「力になりたいって何?」真備は食ってかかる。

やっぱり余計な対抗心だった。話が面倒臭くなりそうなので、迷ったが、ごくごく小声で自分の正体を明かす。

「私は京都町奉行所の与力です。泰清様の警固を仰せつかっています。」少々嘘も交えて。

「ふーん、間者か。」そう言うと、真備は、与力を寄越した姫の意図と幕府との距離について考えた。それから、

「あんたにこんなことを言うのはどうかと思うが、別に俺は薩摩人じゃないからな。

いいか、薩摩は長州と結んだ。それどころか西国のほとんどは薩摩と意を通じている。幕府は終わりだ。俺は若様を薩摩方に引き込みたい。そのために俺はここにいる。今はまだ、こうして幕府に脅しをかけているだけだが、薩長はこれから幕府の息の根を止めにかかる。そこには当然朝廷内の佐幕派の排除も含まれている。薩摩はやる。このままだと姫様は危険だ。」

長州と薩摩が手を結んだ噂は京でも囁かれている。だからって幕府が終わる?薩摩と長州を合わせたところで徳川には及ばない。ましてや幕府など。

薩摩方に引き込む?自分は幕吏なのに?容易には受け入れられない。

「すみません、ちょっと頭の整理がつきません。他の方法は無いんでしょうか?」

「後は・・・・・俺が掻っ攫うとか?」笑いながら答えた。

この少年が言うと冗談に聞こえない。三郎はますます黙り込む。

「顔色悪いけど、大丈夫?」

「あぁ、すみません。大丈夫です。私には判断がつきかねますので、そのままお姫さんにお伝えします。」

「うん、頼んだよ。それとこれを渡して欲しい。」

真備が三郎に差し出したのは八稜の鏡。三郎はドキッとして自分の鏡を上衣の上から確認した。ちゃんとある。姫がくれた鏡には空色の房がついている。差し出された鏡には濃紺の房がついている。

全く眩暈がする。我が姫はやっぱり鬼だ。三郎は、くらくらするのに必死に堪えて鏡を受け取った。


三郎は舟で京へ戻った。

舟に乗りながら、どれほど受け取った鏡を沈めてやろうと思ったか知れない。しかし、真備の話が三郎の中で引っ掛かって、捨てられなかった。いつか必要になるときが来るかもしれない。不安が心に住み着いていた。


そのまま梅小路に行き、幸徳井少年の現状について報告する。

「そうですか。私はもっと伝授しやすい知識を学ぶものと思っていました。」戸惑い、落胆、心配、とりあえず姫は、面白そうな顔はしなかった。

「他には何か申しておりませんでしたか?」

「特には仰っていませんでした。」それ以外のことは伝えないし、渡す物などない。どちらも三郎の中で消化不良を起こしている。消化不良どころか消化拒否だ。

清子は物足りなく思ったが、

「そうですか。わざわざ大阪まで行っていただき恐れ入りました。」

そう言って三郎に謝礼を差し出した。秘密のお使いなので、もちろん清子の稼ぎの中から出している。

三郎は、後ろ暗くて謝礼など受け取れるはずもなく、逃げるようにして邸を後にした。

 全部意地悪な我が姫が悪い。濃紺の房の鏡は、いなくなった義父の部屋で文鎮になった。

終始乙女な三郎。

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