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ー2ー

 オレンジ色のエプロン姿の長身男性が、キッチンでテキパキと動いている。

 鍋を覗き込む横顔、サラサラの黒髪から溢れる形の良い耳、プライベート用の太いフレームの黒縁眼鏡。

 ソファーからぼんやりと眺める僕は、グラスの中の野菜ジュースを一口含む。征臣のエプロンと同じ色の液体は、程よく冷えて口当たりが良い。柑橘の爽やかな香りも、気怠い身体に染みていく。


 意地を張ることも、拗ねることも出来た。けれども、そんないじけた感情を、強大な動因――会いたい――が全て打ち負かした。


『今、お前の部屋の前に居る。開けてくれ』


 躊躇ってタップしたスマホの向こうから、温度の低い、いつもの声。


『……はあっ? な、何言って……イッ、テテ……』


『二日酔いか。俺は帰る気はない。早く顔を見せろ』


 上から目線の命令口調。誰のせいだよ、勝手なこと言うな――反発が浮かぶのに、言葉に変わるより早く、スマホ越しの声が触媒となって胸の奥を熱くする。

 ……まだ酔ってるんだ。きっと。


「おい、赤い顔して、熱あるんじゃ……」


 玄関のドアを開けた途端、目の前のコートにガバッと体重を預けていた。彼の香りと一緒に、冬の朝の冷えた匂いが、フワリと僕を包み込んだ。


「そろそろ出来るぞ。食えるか」


「……うん」


 彼はダイニングではなく、ソファー前のローテーブルにランチョンマットを敷いて、次々に運んできた。ササミとレタスの回りにパプリカがカラフルに踊る、チキンサラダ。大きい南高梅が中央に埋まる、白粥。シジミがたっぷり入った、白味噌の味噌汁。少しハチミツのかかった、バナナヨーグルト。

 どれも小振りの器に、八分(はちぶ)の適量で盛られている。食欲なんか、まるでなかったのに、腹がクゥと素直な感謝を告げる。


「――あ」


 ククッと笑って、もう一度キッチンへ戻る。彼は自分用にもランチョンマットを敷き、作り上げた4品を並べた。僕の目の前と違うのは、白粥に梅干しが入っていないことくらいだ。


「もしかして、朝食まだだった?」


「ああ」


 壁掛け時計は、9:45。彼のマンションからここまで、電車で大体1時間だから、悠長に食べる暇はなかったろう。でも――多分。一緒に食べたかったんじゃないのかな。


「ありがとう」


「いや……冷めない内に食え」


 照れ臭そうにボソッと応える。そんな彼が、愛おしい。


「うん」


 向かい合って食事する。どんな高級レストランの豪華なフルコースより、ずっとずっと嬉しい。鼻の奥がツンとしたので、慌てて味噌汁をすすった。


 征臣の朝食が効いたのか、彼の存在に安心したのか、食後の僕はソファーでウトウトしていた。

 ふと、目を覚ますと、彼が隣に座って雑誌を読んでいた。


「なに……読んでんの?」


 頭痛は薄らいだけど、ひたすら眠い。半開きで覗き込むと、オリオン座大星雲の赤紫色の写真が飛び込んできた。シロサギが羽を広げたような華やかな形が、三つ星と並んで天文ファンに人気の天体だ。


「ん……M42、トラペジウム?」


「懐かしいな。まだ読んでいたのか」


 有名な某天文雑誌。何だ、僕の本棚から持ってきたんだ。


「あの頃から定期購読してるからね、習慣みたいなもんだよ。この街じゃ、ほとんど、見えない……けどね……」


 話す間にも、また強い睡魔が襲ってきた。瞼がゆっくり下がっていく中、頬にヒヤリと冷たい指先が触れ、少しだけ意識が引き戻される。


「ん――んっ……」


 指先とは対照的に、熱を持った唇が重ねられる。彼の為すがままを受け入れていると、頭の芯が甘く痺れ出し、身体が溶けていく感覚に溺れ――。


「北斗……眠ったのか」


 夢に浚われる直前に、彼の低い声が耳の奥に流れ込んで、しっとり染み渡った。



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