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鬼の花  作者: やいろ由季
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第七話 花と共に

 頂上の風は心地よかった。青い空には大きな白い雲が泳ぎ、眼下に広がる山裾は雄大で、その末端から奥へ広がる田畑はのどかなものだった。


 善治はハナを抱えたまま、撫子畑の斜面を降りた。吹き上げてくる柔らかい春風が優しい花の香りを運んできて、ハナの髪を撫でた。


 しかしハナの目は開かない。大きな透き通る瞳は長いまつげに縁取られた瞼の中だ。


 花畑の中ほどまでくると、善治は墓石の間に腰を下ろした。腕の中のハナを見下ろして、それから少し揺さぶってみるが、ハナはそれでも目を覚まさなかった。


「ハナ……」


 鬼の宿命とはいえ、大切な者の血を飲み干してしまったことに善治は後悔していた。さっさと殺されていればよかったと思った。

 片岡などにではない。初陣のあの日、親友の代わりに自分が殺されていればよかったのだ。そうすれば鬼にならずに済んだし、ハナに出会うこともなく、ハナの血を飲み干すこともなかった。


「すまなかった、ハナ。俺が弱いばっかりに」


 善治はハナの細く柔らかい体をそっと抱きしめた。

 その時、ハナの小さな小さな吐息が聞こえた。


「泣かないで、善治」


 驚いてハナを離し、顔を覗き込んだ。すると、真っ青な唇がわずかに動いて、瞼がうっすらと開いた。ハナはかすかに笑ってみせた。


「大丈夫、生きてるわ。死ぬ気なんてこれっぽっちもなかったから、傷は浅いはずよ」

「ハナ……!」


 ハナの手が伸びてきて、善治の前髪をかき分けた。前髪をかき分けられても、涙のせいで視界はぼやけていた。


「ほら、優しい目。私の善治だわ」


 善治は身震いするほどの喜びに、ハナをもう一度抱きしめていた。ハナの体が壊れてしまわないように優しく、それでいて強く、善治は大切に抱きしめた。


「善治、泣かないで。泣かないでってば! 痛い、痛いのよ!」


 善治は慌てて腕を解いた。


「傷口に涙が入って痛いのよ! ああ、体の芯までひりひりしたわ」

「すまなかった。早く手当てをしよう」

「嫌よ」


 ハナは即答だった。


「もう少しこうしていたいわ」


 ハナは嬉しそうに目を瞑った。


「こうしているとね、あなたの鼓動が聞こえるの。とっても力強くて、大きくて、落ち着く音よ」


 そっと目を開けると、ハナは善治を見上げた。そして撫子のように可憐に笑った。


「ねえ、善治。私、あなたのこと好きよ。目だけじゃなくて、あなたの全てが」

「俺もだ、ハナ。誰にも渡したくない。俺だけのものだ。愛している」


 まっすぐに言うと、ハナの白かった頬は、みるみる薄紅色に色づいていった。少し驚いた表情をしていたが、すぐに嬉しそうに目を細めると、頭を善治の胸に押し付けた。ハナの髪は柔らかかった。


 暖かい風が二人を包む。撫子の花は、まるで春風に踊っているようだった。


「これからも俺と一緒にいてくれるか?」

「もちろんよ。私の居場所はここなんだから」

「だが俺は死人の血を飲まなければ生きていけない」

「生き血が欲しい時には、私でよければいつでもあげるわ。死体の血を飲むよりずっといいと思うわよ」

「お前の血はもう飲まん。痛い思いはさせたくないし、お前の体に傷をつけたくはない」

「今日の事は気にしないで。私が勝手にやったことだもの」


 確実に痕の残る傷なのに、ハナは善治の心の傷の方を気にして微笑んでみせる。


「すまない」

「謝ってばかりはだめよ。そろそろその言葉を『ありがとう』に変えたらどうかしら」

「……ハナ」

「何?」

「ありがとう」


 腕の中でハナは幸せそうだった。それが善治も嬉しくて、幸せだった。

 強い風が吹いた。撫子を揺らし、空へ舞いあがり、山肌を滑って眼下の人の世へ広がってゆく。


「どこへ行っても撫子を咲かせましょうね。あなたの親友と、あなたが殺してしまった人たちと、戦で死んでいった人たちのために。私、手伝うわ」

「ああ、そうしよう。二人でやれば、もっと広い撫子畑ができるだろう」


 善治は遠くの空を見上げながら確信した。骸だらけの合戦場にさえ、撒いた撫子はきっと咲いていると。この心にさえ芽生えたのだから。


 撫子は咲き続ける。弔いのために。償いのために。そして根深い傷を癒すために。


   了

【あとがき】

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

感想等いただければ励みになります。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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