約束
こっそり覗いていたのがバレてしまった。
(お、怒られる……?)
固まりながら内心でビクビクするシルフィオナ。そんな少女の様子を知ってか知らずか、少年はてくてくと歩み寄ると手紙についた砂埃をパンパンと払い、少女に差し出す。
「これ、君のだよね?」
「あ、うん……」
「大事なものなんでしょ? しっかり持ってなきゃだめだよ」
ちょっと休憩、とつぶやきながら少年は少女の側に腰を下ろす。どうやら覗かれていたことを気にしてはいなさそうだ。
しかし、この少年は誰なのだろうか。隣で汗を拭う少年をチラチラと見ながら少女は内心で首をかしげる。
同年代の子供からことごとく避けられていた彼女はこの街に住む子供の顔を全員覚えているなんてことはもちろん無いが、それでもこのような珍しい色の髪を持つ子供なら──自身も人のこと言えないのだが──どこかで見かけたら記憶には残るはずだ。
そしてなにより。
(普通に話してくれる人、初めて……)
今まで出会った人たちは、貴族という肩書に怖気づき少女のことをはれものを触るかのように扱うか、それか関わらないように避けるばかりだ。先程のように優しい言葉をかけられたことなど片手で数えられる程しかない。
隣の少年の様子には、貴族相手に畏れたり忌避する様子が無い。もしかして、少女の正体に気づいてないのだろうか。
それならば、もしかしたら初めて友達というものを作るチャンスではないか。そんな淡い期待を抱き……。
(……いや、そんなわけないよね。どうせまた裏切られるんだ)
思い返せば、ついこの前期待が裏切られたばかりだったではないか。そんな都合のいい展開が自分の人生にあるはずがない。きっと、隣に座る少年も表には出してないだけで内心では早くどこかに行って欲しいはずだ。
一度に顔を出し始めた暗い考えは、瞬く間に少女の思考を覆い尽くしていく。
(どこにも、私の居場所なんか無いんだ。期待しちゃう前に早く行かなきゃ)
「じゃ、じゃあ私もう行くから……!」
「あ、ちょっと待っ……」
泣きそうな表情を浮かべ、シルフィオナはその場を駆け出す。こぼれそうになる涙を目をギュッと瞑ることで抑え、不要な感情は抱かない様に聞こえてくる言葉の意味は考えない。
「──痛ぁ!?」
「……そこ、木の根出っ張ってるから気をつけてって言おうとしたのに……」
コケた。盛大に顔面から音を立てて転んだ。
地面に突っ伏したままぴくりとも動かなくなったシルフィオナに少年は手を伸ばす。
「立てる?」
「うん……」
──グゥ〜
醜態に追い打ちをかけるがごとく、少年の手を取り立ち上がりかけたシルフィオナのお腹が気前のいい音を響かせた。
羞恥に顔を真赤に染め、硬直する少女の姿に少年は苦笑いを浮かべ、カバンから昼食用に買っていたサンドイッチを差し出す。
「食べる?」
「……イタダキマス」
もうどうにでもなれ。そんな投げやりな思い出少女は差し出されたサンドイッチを手にとった。
◇◆◇
サンドイッチを食べ終えた二人は、木陰の元並んで午後の一休みをとっていた。両者の間に会話はなく、ただ沈黙のままに過ぎていく時間にシルフィオナはひどく気まずさを覚えていた。
(ど、どうしよう……何か話せばいいのかな……!?)
表面上は無表情を保ちながらも内心ではぐるぐると思考を慌てふためかせる。しかし、今まで身内以外の人間とロクに会話をしたことがない少女にとって初対面の人間との話の仕方などわかるはずがない。しかも、その相手が先程醜態をさらしてしまった人となればなおさらだ。
少女は、コミュ障だった。
かといって隣に座る少年は先程から目をつむり考え事をしているようで、会話のきっかけは期待できそうにない。
「あ、あうぅ……」
言葉にならないうめき声を発し、シルフィオナは気まずさを誤魔化すため何故か膝の上に乗せられていた竜の人形に手を伸ばす。どうやら魔道具になっていたようで、背中のスイッチを押してみればゆっくりと羽根を羽ばたかせた。
(あ、これ動くんだ……)
「それ、かっこいいでしょ?」
「──うひゃい!? 」
変な声が出てしまった。真っ赤になった顔で振り向けば、考え事をしていたはずの少年はいつの間にか少女をニコニコと見つめている。
「イフリートのフィギュア、さっき魔道具屋で買ったんだ」
「あ、うん、かっこいい、ね……それに、すごいそっくり」
「ん? そうでも無いよ?」
「えっ……?」
そう言われ、シルフィオナは手元のフィギュアの姿と教会に祀られていたイフリート象の記憶と照らし合わせてみる。しかし、隅々まで見ても特に間違いは見つけられない。
首をコテンとかしげ疑問符を浮かべる少女に、少年は間違い探しの答え合わせをするように一つ一つ指摘していく。
「まず角。二本角になってるけど実はその後ろに小さい角がもう一対あるんだよね。それと目はこんなに怖くなくてもっと優しげな感じだし、尻尾はこんなに長くなかったかな?」
「そ、そうなんだ……すごく詳しいんだね……」
(もしかして、竜の研究をしている家なのかな……?)
だとしたら、少年の家系は少なくとも教会の司教クラス──イフリートを守り神とするこのイーフリア竜王国について竜の研究者は神聖職とみなされる──ということになる。それならば貴族相手に物怖しないのも納得だ。
「だって、実際に会ったことあるからね」
「そうなんだ……って、えぇ!?」
最も、実情はシルフィオナの想像をたやすく超えてきたのだが。
「あ、会ったの? イフリートに?」
「うん、半年前に翔蛇に襲われてたところを助けてもらったんだ。それで、僕を背中に乗せて空を飛んでくれたんだよ」
「わ、翔蛇……!? 空……!? もう、なにがなんだか……!」
さらりと話される言葉の突拍子のなさに、少女はぐるぐると目を回す。そんな少女に、少年は空の向こう、厚い雲の切れ間に覗く遥か遠くを見つめながら一つ問いかける。
「……ねえ、空に高く飛び上がって見る景色ってどんなのだったと思う?」
「え……そんなのわかんないよ……」
「すごく広くて……そして、すごくちっぽけだったんだ」
少年の言葉は、まるで矛盾していた。矛盾していたが、それこそが少年が空から見た景色から感じ取ったものだった。
「空に昇ったら、僕らの住む街がひと目で見渡せたんだ。そうしてみる街はすごく広くて、それで全部が同じだったんだ。貴族の家も孤児院もみんな違いなんか全然無くて……人だってそうだった。貴族も貧民も、動物だって同じだった。皆同じ様にちっぽけで、でもそのすべてが揃って街が出来上がっていたんだ」
少年は空から少女へと視線を向ける。
「ねえ、信じられる? 空から見ると皆同じで、そこには身分の壁も貧富の差も何もなかったんだ。僕らが小さい頃から教えられていた事実と違う。どんな本にだって書いてないようなことが空から見下ろした世界にはあったんだ」
少年の言葉は、確かな熱を帯びていた。
少年は、決して身分社会の被害者でも貧困にあえぐ民でもなく、社会に対する価値観など人並み程度にしか持っていなかった。領主や貴族には敬意を払い、スラム街で暮らすことを余儀なくされている人々には同情する。そんな程度の価値観だ。
しかし、そんな平凡極まりない少年でさえ価値観を完全にひっくり返してしまうほどの感動と魔力を、空という未開の領域は秘めていたのだ。
再び、少年は顔を上げ、遠く、遠く空を見つめる。
「……竜、イフリート達が住んでるのは、雲の上よりずっとずっと高い、天空っていう場所なんだって。そこから見た景色は僕の想像にもつかない、素晴らしいものなんだと思う。僕はそれを見てみたい。いつか自分の力で見に行くと、イフリートと約束したんだ」
「……そのために、魔法の練習を?」
「うん。魔法は遠くに声を届かせることもできるし軽いものを浮かせることだってできる。うんと練習すれば、きっと空を飛ぶことだってできるはずだ」
シルフィオナは目を閉じ、少年の言葉に思いを馳せる。
はっきりと言ってしまえば、少年の語った夢は突拍子も無いものだ。空を飛ぶことがどれだけ不可能なことぐらいシルフィオナも知っている。まして、生態系の頂点たる竜の住む世界にいくなんてどうやって叶えられるだろうか。
しかし。
「素敵な夢、だね……」
その言葉は、少女の本心から出た。人生に希望を持てない少女にとって、少年の夢は、そしてそれを語る少年の姿はとても輝いて見えた。
なによりシルフィオナが心惹かれたのは、少年が空から見た世界に見出したものだ。
『空から見ると身分の差も貧富の差も無い、皆同じだった』
それは、身分の呪縛によって人生の希望を奪われ続けた少女にとって、一筋の光明になるものだ。
(それが本当なら、もしそれが世界の本当の姿なら、私もいつか皆と仲良くすることができるのかな……)
街の皆と、そして父親と笑顔で手を取り合う自分の姿。そんな夢のような景色を少女は目を閉じ想像する。……その横で、少年が目をキラキラとさせながらこちらを見つめていることに気づかずに。
ガシィ!
「ありがとう! 理解してくれたのは君が初めてだよ!!」
「ふぇっ!?」
いきなり手をとり白熱して語りだす少年にシルフィオナは変な声をあげてしまう。少年の頬は興奮のあまり紅潮し、目は宝石もかくやというほど輝きに満ちている。
シルフィオナの手を熱く握ったまま、少年はぐいっと顔を近づける。急な接近にシルフィオナの頬が赤く染まるのにもお構いなしだ。
「そうさ! 皆は笑って否定するけど、空はそして竜は素晴らしいんだ! 君はそれをわかってくれるんだね!?」
「え、えと……?」
たじたじになるシルフィオナ。しかし少年は、己の夢に対する初めての理解者を得た……と思い込んでる少年の勢いはもはやとどまるところを知らない。
「そうかそうか、それなら僕がいつか空を飛べるようになった時には必ずや君も一緒に……いやもういっそ二人で共に空を目指そうじゃないか!」
「あの……その……」
「大丈夫! たとえ困難な道だろうと二人で力を合わせればきっと乗り越えられるよ! 今日から君と僕とは同士いやパートナーだ!」
「パートナー……! う、うん、わかった……」
(パートナーってことはつまり友達ってことだよね……! やった、初めての友達……!)
実は大変なことに巻き込まれてしまったんじゃないか。そんな気がしないでも無いシルフィオナであったが、パートナーという言葉の甘美な響きに魅了されて二つ返事で承諾してしまう。
「よし! そうと決まれば話は早い! 今から早速一緒に修行を……」
「あ、今日はちょっと……明後日なら」
「んじゃ、明後日ね! 師匠……マリアナさんの家の前に来てね! 約束だよ!」
「うん、約束……!」
「それじゃ僕はそろそろ帰るね! ……あ、そうだ」
帰り支度を始めた少年は、ピタリと動きを止めると少女の方へ振り返る。自己紹介をすっかり忘れていたことを思い出したのだ。
「僕の名前はエイルーク・アルヴァンス! 君は?」
「シルフィオナ・フォン・エアリア……あっ」
やってしまったと、少女はサッと顔を青ざめさせる。少年──エイルークにつられてフルネームまで名乗ってしまったが、これでは少女の身分は一目瞭然だ。
(貴族だって、ばれちゃった……)
シルフィオナの名前を聞いた者は皆急に態度をよそよそしくさせて彼女の側から離れていった。今まで少女の正体に気づいてなかっただろう少年も、きっと他の皆と同じ様に……
「シルフィオナ……いい名前だね! でも長いからフィオナって呼ぶね。僕のこともルークでいいよ。それじゃ、また明後日に!」
「あ、あれ……?」
エイルークの様子に特に変わった様子は無い。それどころか、少女のことを愛称で呼ぶほどだ。
初めての事態に困惑するシルフィオナを置き去りに、エイルークはイフリートフィギュアをプカプカと浮き上がらせると街の方へと姿を消していく。
──ゴーン、ゴーン──
「あ、もう帰らなきゃ……」
しばし呆然としていたが、時刻を知らせる鐘の音に意識が引き戻される。予定ではもうすぐ明日のパーティーのための準備の時間だ。
少女は一人帰路へとつく。いつもなら憂鬱なはずのその足取りは、今日は初めて軽いものとなっていた。
「これから、楽しみだな……」
エイルークの言葉がもたらした温かい光を胸に感じ、シルフィオナは珍しく笑顔を浮かべていた。
次の投稿は一週間後……にできるといいなぁ