半年
インフルにかかってたりバイトが忙しかったりで投稿遅れました……
「……エイルークが俺たちのもとを離れてから、今日で半年か」
「ええ、そうね」
コーヒーを飲みながら、ルーカスとアンネは心配の声を漏らす。エイルークが隣町の魔法使いマリアナに弟子入りしてから幾度となく繰り返された会話だ。
親元を離れたとはいえ、行き先は隣町。頻繁にやり取りされる手紙からエイルークの無事はわかっている──なぜか文字に覇気が感じられないのが気になるが──ものの、それでも心配になるのが親心。
「あの子、寂しがってないかしら? ちゃんとご飯食べてるかしら? 修行、厳しくて泣いてないかしら?」
「大丈夫だろう。手紙を読む限り元気みたいだし、ルークはあれで強い子だ。きっと私達がいなくても立派にやってるさ」
「……そうよね」
「どうした? まだ不安なのか」
「ええ……ちょっと前にね、昔に隣町に住んでたっていう老夫婦と話したのよ」
井戸端会議の中で老夫婦の出身を知ったアンネは、早速とばかりに気になっていたことを訪ねてみたのだ。
マリアナはどんな人物なのか、実は怖い人ではないのか、と。
そして、それは杞憂だったと言えよう。話を聞く限りマリアナと言う人物は、魔法使いらしく少々偏屈なところもあるものの、特にトラブルを起こすような人物ではなかったという。
しかし、同時に何やら不穏な噂も聞いたのだ──かつて、マリアナの住む屋敷から連日のように少女の悲鳴と何かが壊れるような音が聞こえていたらしいと。
「他にも、前にマリアナさんの弟子になった人が夜逃げしたとか、昔大きな事件を起こしてそれであの街に逃げるように越してきたとか……そんな噂を聞いたらやっぱり不安になっちゃって」
「……はは、そんな噂なら大丈夫だろう」
ルーカスは、アンネの不安を笑い飛ばす。歴史を学ぶものとしてよく知ってるのだ。魔法使いという人物は、総じて突拍子もない噂話がついて回るものだと。
「そういう話は、結局はただの噂だったり話が誇張されてるだけだったりするものさ。考えてみろ、マリアナさんはルークの捜索にも協力してくれたんだ。きっと優しい人さ」
「……ええ、きっとそうよね!」
アンネは立ち上がり、暗い気分を追い払うように頬をペチペチと叩く。
「うん、ルークは一生懸命頑張ってるもの、私がこんなうじうじしてたらあの子はきっと修行に身が入らなくなってしまうわ! しっかりしなくちゃ!」
「ああ、そうだな! ルークを信じて、今日も一日頑張ろう!」
◇◆◇
一方、その頃エイルークの様子といえば。
ピクニックでもしている方が似合うような穏やかな木漏れ日の差し込む森の中で──今月何度目かわからない命の危機を感じていた。
「のおおおおおおお!?」
「Gyauuguau!!」
死に物狂いで逃走するエイルークを追いかけるのは、全身の赤毛を逆立たせ、牙の隙間からよだれを垂らす巨大な獅子の魔物だ。
この巨大な魔物はこの森に生息しているというわけでは無い。マリアナが訓練用と称してどこかから連れてきたものだ。
『今日はこいつをぶっ殺してもらうよ』
『は?』
三十分前、朝イチでそんなことを言い放ったマリアナについこいつ何言ってるんだという眼差しをエイルークが向けてしまったのも仕方ないだろう。
檻の中でガリガリと爪を立てているのは、爪を切られてもいなければ首輪の一つもつけられていない、どうみても捕まえたてホヤホヤといった獣だ。その様子からは、調教師に調教されてるといった面影は全く感じられない。
なお、補足をすると、この世界において魔物を従えるような魔法は未だ存在していない。獰猛そうに見えて実は魔法的な力で従えられているなんてことは無いのだ。
総論、危険。超危険。まかり間違っても齢十一になりかけの少年の前に姿を現して良いような存在ではない。
嘘でしょ? 冗談だと言ってよと視線で訴えかけるエイルークにマリアナはニヤリと笑うと、檻の扉を閉ざしていた縄を解き放ち──エイルークはその一秒前に既に全力ダッシュを始めていた──そうして、地獄の訓練が幕を開けたのだ。
「無理無理ムリむり死ぬムリ死ぬこれ死ぬっていやムリだって!!?」
「Ggyuuraaaarr!」
全力で悲鳴を叫びながら、エイルークは走る。魔物は追いかける。
そんな最中、エイルークの右肩に貼り付けられた魔法陣が輝きを放ち、この惨状を作り上げた元凶の声を届かせる。無属性五階級魔法、遠話の魔法だ。
『全く、何やってるんだい。そんな体たらくじゃ修行にならないじゃないか!』
「む、無茶言うなぁ!?」
『無茶なことがあるかい。今日はそいつを殺すまで終わらないからね』
「ちょ、待っ……」
文句を言う暇もなく、通信は一方的に切られる。
「やるしか無い……大丈夫……翔蛇よりは怖くない……そうだ、翔蛇よりは全然怖くないんだ……」
逃げ惑いながら、エイルークはそう自己暗示にも似た鼓舞をかける。比較対象が少々おかしいことには気づかない。
そうして己を勇気づけたエイルークは、魔物と戦う意思を見せ、振り返る──まずは今にも振り下ろされんとしている爪への対処を。
右手を突き出し、思考の一部で術式を演算すれば、徐々に若草色に輝く術式が形作られる。
「"ウィルシルド"!」
発動を誘起する魔法名を放てば、獣の爪を遮るように不可視の風の盾が出現した。風属性二階級の防御魔法だ。
風がうずまき、層を成した盾の上で獣がガリガリと爪を滑らせる。その好きにエイルークはすばやく次の魔法を組み上げた。
組み上げられた魔法陣は"エア・シールド"のものに比べてひときわ大きく、複雑に組まれたものだ。陣の色は、同じく若草色。
「"バースト"!!」
放たれたのは、エイルークが今使える最大級の魔法だ。言霊に合わせて発現された風属性四階級魔法が、獣の頭上で空気の爆発を起こす。
衝撃を脳天に直接受けた獣は意識を飛ばし──しかし一瞬後には再び殺意と食欲を滾らせた瞳でエイルークを睨む。大したダメージにはならなかったようだ。
「うっそー……!?」
渾身の魔法が効果を発揮しなかったことにエイルークは絶望の声を漏らす。更に悪いことに、両者の間を隔てていた防御魔法も獣の猛攻に耐えきれず砕け散ってしまう。
瞬く間に距離を詰め、獣が牙をむき出しに襲いかかる。迫りくるその姿にエイルークは目をつぶり身を竦ませ──
「Ggryau!?」
『全く、世話のやける』
「……師匠?」
牙が届く直前、獣の上空に青藍色の魔法陣が現れ、不可視の力が巨体を地に押さえつけた。悲鳴とともに轟音が轟き、土埃が舞い上がる。
遠くから監視していたマリアナが放った"グラビティア"だ。
「あ、ありがとうござ……」
『全く、へっぽこだね。そんな体たらくじゃこの半年間何をやってきたのかと聞きたくなるよ』
……カッチーン。そんな擬音が響きそうな感情が体の内側から湧き上がるのをエイルークは感じた。
「そもそも、こんなどでかい魔物を一人でどーにかしろって言う方が無理があるでしょ! 一体何考えてるんだ!?」
『何っていってもね。そいつは第三級魔法が使えりゃ十分殺せる相手なんだよ。第四級まで身につけたあんたなら一人で倒せて──』
「うそつけぇ!? 全然聞いてる感じなかった『お黙りっ!』いったぁ!?」
どこからか飛来してきた"アクアバレット"に後頭部を強打されエイルークはうずくまる。
『ロクに効かなかったのはあんたの術の構築が甘かったからだよ。形だけは様になってたようだけど、あんなガタガタの陣じゃよくて第二級程度の威力しか出ないさ。特に風の十二番と純化の八番の式の構成をもう一度見直してみな。ああ、あと防御魔法もてんでボロボロだね。それに術の構築に時間をかけすぎさ。もう一度基礎から叩き込まれなきゃできないのかい?』
「うぅ……」
『ついでに言やぁ、術の使い方も問題だね。"バースト"の強みは術起点の定点における最大火力さ。真に威力を出そうと思ったら起点の制御まで気を抜かず精密な制御が必要なんだよ。間違っても、馬鹿みたいに何も考えず打つような術じゃないのさ』
ぐさりぐさりと、容赦ない言葉の槍がエイルークの心に刺さる。
しかし、言葉の槍を放った当の本人たる師匠は弟子に落ち込む暇を与えない。獣の動きを封じる術式がマリアナ自らの手で解除されたことに気づき、エイルークはぎょっとする。
「え、ちょっ……」
『仕切り直しといこうか。ああ、今日はそいつを殺すまで終わらないからね』
「はぁー!?」
再びけしかけられた獣。脱兎のごとく逃げ出すエイルーク。遠話の名術に乗せて老女が偏屈な笑い声を響かせる。
尚、今日のような光景は何も特別な修行というわけではない。エイルークが弟子入りしてから半年に繰り返された、ごくありふれた光景である。
あるときは魔物をけしかけられ、あるときは師匠直々に打ちのめされ、またあるときは山のような知識を無理やり詰め込まれ。
過剰とも思えるような訓練をこなしながら、少年は徐々に魔術師としての道を歩んでいく。
次話は、早めに投稿できる……といいなぁ……