術士マリアナ
「母さん!」
「ルーク! 無事だったのね、よかった……!」
ラルファの森を抜け、無事に街まで送り届けられたエイルークは門の前で待っていた母親──アンネへと駆け寄る。
息子の無事に安堵する熱い抱擁が解かれると、エイルークはいても立ってもいられずに話題を切り出した。
「母さん、僕、竜に会ったんだ!」
「まぁ、竜に……?」
「うん! 悪い翔蛇を追い払ってくれて、そして僕を背中に乗せて空を飛んでくれたんだ!」
「まぁ……!」
アンネの驚きの声に合わせて、周囲の捜索隊の面々にもざわめきが広がる。
翔蛇といえば、一体で街を滅ぼすとまで言われるほどの災厄とも言える存在だ。そんな存在に出会って生き延びている上に半ば伝説上の存在の竜に出会い、あまつさえ背に乗せてもらったとは!
ある冒険者は翔蛇が出たという事実に慄き、ある者は竜という存在に思いを馳せる。
エイルークの言葉に端を発するざわめきが次第に大きくなる中、それを沈めたのもまた同じ少年の言葉だった。
「それでね、竜と……イフリートと約束したんだ。僕も強くなって空へ行くって。強くなって、一緒に同じ空を飛ぶって!」
力強く、希望に満ち溢れた宣言とは対象的に周囲はシーンと静まり返る。コテン、とエイルークは不思議そうに首をかしげた。
「……ルーク、よく聞くんだ」
「父さん?」
エイルークの方に手をそっと置き、、父──ルーカスは真剣な眼差しで話し始める。
帰還の道で、ルーカスは既にその話を聞いていた。その時は優しく微笑んだものの、ルーカスは父親として悲しい現実を……夢を諦めさせるための残酷な言葉を告げなければならない。
「ルークと同じように、今まで多くの人が大空を飛ぶことを目指してきたが、それを成し遂げた者はいない……かの大魔導師エルメスでさえ、箒にまたがって屋根の高さまで浮くことが限界だったんだ……いいかい、"人は空を飛ぶことができない"んだ」
「それは……で、でも、だからってできないと決まったわけじゃ……」
たじろぎながらも反論するエイルークに、ルーカスはゆっくりと首を横にふる。彼には諦めさせねばならない確固たる理由があるのだ。
「空を目指した皆がお前のように考え……そして、皆が不幸な末路を遂げている。空を目指すことで幸せになった人はいない。"人は空を飛べない"という言葉は決して文字通りの意味だけじゃなく、その事実を伝えるためにもあるんだ。……ルーク、私はお前に不幸になってほしくない」
ルーカスの職業は、歴史の検証と編纂を主とする学士だ。ルーカスが今まで調べてきた歴史の中では、空を目指した人々の末路がはっきりと描かれている。
ある技師は飛行道具の制作に人生のすべてを掛けたが一つのせいかも得られず、やがて全財産を失い自殺した。飛空魔法の完成を目指した魔法使いは、術式の開発の中で不幸な事故を起こし命を落とした。竜の飛行の秘を追い求めるあまり、竜の逆鱗に触れ焼き殺された冒険家もいた。他にも、同じような事例はいくらでもあった。
そのような事実を歴史の研究を通して眺めてきたルーカスにとって、空を目指すということは到底許せることではないのだが……それを齢十歳の少年に理解しろというのも酷なものだろう。
「嫌だ! 僕は空へ行くんだ!」
「駄目だ、諦めなさい!」
真剣な眼差しで諦めることを訴え続けるルーカスと、頬を膨らませ涙目で反抗するエイルーク。睨み合ってた二人は、突如響いた老婆の笑い声に、声の方へと視線を向けた。
声の主は、捜索隊の中にいた魔法使いの老婆だ。
「カッカッカ、助かったばかりだってのに親子喧嘩なんて、若いってのはいいねぇ」
「あなたは……?」
「あたしかい? マリアナだよ。"偏屈魔法使いのマリアナ"って言えば聞いたことあるだろう……まぁ、それはどうでもいいことだね」
老婆──マリアナは、ぐいっとエイルークへと顔を近づける。鷹のように鋭い目が、ニヤリと細められた。
「坊主、アンタ空へ……まだ誰もたどり着いたことの無い空へ行きたいんだって?」
「う、うん……イフリートと約束したんだ。だから」
「無謀だろうね。アンタみたいな何のとりえもなさそうなガキにゃ、到底叶いっこない話さ」
「なっ……!」
あなたに一体何がわかる──とっさにそう反論しようとしたエイルークであったが、しかし再び大笑いを始めたマリアナに遮られてしまう。
「無理、無茶、無謀! 大いに結構! 坊主、あたしゃぁねえアンタみたいな叶いっこないような夢を愚直に追いかけようとする奴が大好きなのさ!」
「……結局、何が言いたいのさ」
「何が言いたいのかって? そりゃあね……」
ニヤリ、と口元を弧に歪めたマリアナは、エイルークの人生を変えることとなる決定的な一言を放つ。
「アンタ、あたしのもとで魔法を覚える気は無いかい? 強くなりたいんだろう?」
◇◆◇
マリアナの提案はさらなる議論という名の言い争いを呼んだものの、一人の冒険者が言い放った"理由がどうであれ魔法を教えてもらえるというなら悪いことはない"という言葉でもって受け入れられることとなる。魔法使いという存在がまだ多くないこの世界において、貴族でも無い限り魔法を習える機会というのは決して多くないのだ。
そうして"先のことはまず魔法を覚えてから決める"というある意味玉虫色な結論で持って、エイルークの弟子入りは決定され──療養を終えた一週間後、エイルークの姿はマリアナの邸宅前にあった。
「……おっきいなぁ。それに、なんか不気味」
マリアナの邸宅は、まさに魔女の屋敷というのにふさわしい様相だった。広大な庭は通行のための道を除きあらゆる種類の雑草で背高く覆われており、そこから見える屋敷はところどころ老朽化していて風にあおられギィギィと不気味な音をたてていた。
日当たりも悪く、薄暗い。
「──なにぼーっと突っ立てるんだい。はやく入んな」
「うわぁ!? あ、はい」
いつのまにか背後に着ていたマリアナに先導され、エイルークは庭を進む。庭を抜けている間両者の間に会話は全く無く、それが屋敷の持つ薄暗い雰囲気と合わさってエイルークの緊張感は高まっていった。
広大な庭を数分かけて歩き屋敷の扉へたどりつく頃には、エイルークの緊張の糸は限界まで張り詰められていた。これから始まるであろう修行の日々に覚悟を決めるエイルークの前でマリアナの手によって扉が重々しく開かれ──
「あれぇ!? ご主人様、その子どこから誘拐してきたんですか!?」
「冗談言ってるんじゃないよ」
「あたぁ!?」
──開かれたドアの先で待ち構えていた赤髪のメイド姿の女性のバシーン! と小気味のよい音を響かせたことで緊張感が一気にどこかへ飛び去ってしまった。
「コイツが来ることはとっくに言ってあるじゃないか」
「ええ、とっくに説明されてましたね~」
割と手加減なしにマリアナの杖にぶっ叩かれたはずのメイドは、しかしケロッとした様子で答える。メイド姿の女性はマリアナを押しのけてエイルークの前に歩み寄るとニコリと笑顔を浮かべた。
「はじめまして、この屋敷の家事を一手に担っているメイドのカレンと申します。以後お見知りおきを」
「あ、はい、エイルーク・アルヴァンスです。よろしくおねがいします」
「ふふ、アルヴァンス君が来るの楽しみに待ってましたよ」
カレンは身をかがめて視線を合わせ、エイルークの頭を優しく撫でる。さっきまで屋敷に感じていたはずの不気味さと目の前の現状に、エイルークの頭は混乱中だ。
「何ぼさっとしてんだい。遊びにでも来たつもりかい? さっさと行くよ」
「あ、はい!」
マリアナの鋭い声が届き、現実に引き戻される。カレンが見送る声を背中に更に先導されたどり着いた先は、屋敷の裏にある庭だ。ここは正面の庭とは違い草が刈られて広いスペースが確保してある。
「……さて、あんたはそもそも魔法ってのがなんなのかは理解してんのかい?」
「え? えっと、魔力を使って火とか水とか出したりするものですよね……?」
「……ま、とりあえずはそれでいいだろう。あんたの言う通り、魔法ってのは魔力を使う方法の一つさ」
マリアナが杖を構え集中すると、杖の前に水色の魔法陣が現れ、やがてマリアナが魔法名を小さく唱えれば魔法陣は一瞬発光し次の瞬間そこには人の頭ほどの大きさの水の球がふわふわと浮かんでいた。
水属性二階級魔法、"ウォーターボール"だ。
「魔力ってのは多かれ少なかれこの世のあらゆるものに宿ってるものださ。けど、それを使おうと思ったらまずは己に宿る魔力を感じることを覚えなきゃいけない。……それができなきゃ、そもそも魔法を覚えるなんて夢のまた夢さ」
「つまり、それが僕の夢のための第一の関門……」
「そういうことになるね。事実、魔力を感じるってのは誰でもできるってものじゃあない。才能が無けりゃそこでおしまいだね」
ゴクリ、とエイルークはつばを飲み込む。これが超えられない限り、イフリートとの約束を果たすことはできないのだ。
しばしうつむいて震えていたエイルークであったが、やがて覚悟を決め顔を上げる。
「……それで、魔力を感じるにはどうしたらいいんですか?」
「そりゃあ、決まってるさ」
ニヤリ、とマリアナは猛禽類が獲物を狙うときのような意地の悪いえ笑みを浮かべる。さっと杖の動きとともにこちらに向けられた"ウォーターボール"にエイルークの脳裏に嫌な予感がよぎった。
「魔力を感じるのに一番手っ取り早いのは、実際に魔力に触れてみることさ。つまり……」
「つまり……?」
「実際に魔法を受けてみるってことさ!」
「のわぁ!?」
間一髪、放たれたウォーターボールその場を大きく飛び退いて避ける。エイルークの頭の横スレスレを通り抜けた水の球は、やがて背後の気にぶつかりドゴォ! と大きな破壊音を響かせた。
「何避けてるんだい! そんじゃ意味ないだろう!」
「そりゃあ避けるに決まってるでしょうがぁ! …・・・ってまた来た!?」
次々と放たれる水球を、エイルークは軽やかな身のこなしで避けていく、しかし、それも長くは続かなかった。
「うぐぅ!?」
「やっとかい。全く、手間かけさせんじゃないよ!」
(このババア、あとで覚えてろ……)
"ウォーターボール"をみぞおちに喰らい、ゲホゲホとえづきながら脳内で恨み節をこぼす。
──ドクン
(これは……何か、体の中に熱い塊が……??)
「……どうやら、スタートラインには立てたようだね」
何かを感じ取った様子のエイルークに気づき、マリアナはニヤリと笑みを浮かべる。
「さて、これでアンタは晴れてアタシの弟子ってわけだ。これからビシバシ行くから、覚悟しておきな」
「……はい、師匠!」