第九説
「きっかけ……か。 芥ほどの価値もない。
余計なお世話を越えて滑稽だな。 下手な喜劇よりも笑えてくる。」
冷たい瞳と冷たい口調で淡々と告げてくる。
男の言葉に対してもソルダの態度は変わらない。
「ははっ! 芥ほどの価値もないなんて、酷い言われようだな。 けどよ、そのちっぽけなもので変われたのは、そいつ自身が強かったからだと、俺は思うぜ。
普通なら異端扱いされてる野郎の意見なんか、聞き入れもしねぇもんさ、そうだろ? だが、菊梨花は……アンタの娘さんは俺の言葉を取り入れ、変わった。
ま、程度は知らんがな。」
十四歳とは思えないほどの達観した発言・態度。
彼が異端扱いされる一つの理由である。
ソルダは正しい。
否、正しすぎるのだ。
だからこそ、歪んだ猫神家の常識で染められた集落の住人は、彼が異端であると認識してしまう。
ソルダだけが集落の意向とは違う、真に正しき道を突き進んでいる。
彼の考えに基づいて進んでいけば、この世界の統一も不可能なものではないだろう。
「なるほど……つまり菊梨花は強かったからこそ、父の言葉ではなく、異端扱いを受けた貴様の言葉を受けた、と。
貴様も、菊梨花も、この私に……猫神誠一に勝てぬというのに強い、と。 そういうことか?」
男は誠一と名乗った。
猫神誠一。
猫神家当主にして菊梨花と蓮華の父親。
娘を娘と思わぬような男。
ソルダは誠一に対し、不敵な笑みを崩さぬままに告げる。
「その通りだ。 力のぶつかり合いで勝った負けたじゃねぇ……人間としての強さの度合いさ。
己の進むべき道を貫き通し、立ち向かっていく姿勢……それが人間の強さだろう。 自分が信じた道であり、自分が果たしたい道であり、自分が突き進みたい道だ。
その道は長く、険しく、困難なものかもしれねぇが、それでも諦めない心を持つことが、人間の強さだ。」
言い切りながらソルダは言葉を紡ぐ。
その言葉はまだ続いた。
「つまり、何が言いたいかってぇと……アンタが菊梨花を思い通りにしたくても、菊梨花自身はそれに抗い続け、今も屈伏できてないんだからアンタの負けってことさ。
アンタが正しいと思った道に反を唱え、自分がどうなろうと正しいと思った道を菊梨花は突き進み、それを止められない父親……どっちが勝ちか、一目見りゃ判るだろ?」
ソルダは言い切った。
菊梨花自身の、人間としての強さを称賛しながら、それを止められない誠一に対する敗北宣言。
それを受けた誠一は尚、冷たい瞳をソルダに向ける。
「フン、下らんな。 ゴミが、人間と背比べして何になる? ゴミの言葉を受けて菊梨花が変わったのであれば是非もない。
菊梨花……貴様も等しくゴミだ。 掃除されてこそ、この集落の役に立てる存在に成り下がった。」
「なっ!」
「……お、お父、様?」
ゴミ。
そう言った。
異端扱いされたソルダだけでなく、娘であるはずの菊梨花すらもゴミと称した。
その言葉に、流石のソルダも目を見開いて驚愕してしまい、菊梨花に至っては信じられないと言いたげな面持ちだ。
「聞こえなかったか、菊梨花? 父の言うことを聞けぬ娘など、ゴミとして扱って然るべきと言ったのだ。
それとも、糞扱いされた方が嬉しいか? 選ばせてやろう……ゴミか、糞か。
お前が正しいと思った道として、選択するが良い。」
誠一は菊梨花に視線を向け、冷淡に、冷徹に、冷酷に告げた。
菊梨花が進んだ道を逆手に取り、選択させる。
この状況に、今の彼女が耐えられる訳もなく、困惑する他ない。
「そ、そんな……こと……」
「出来ぬのか? 出来るだろう? 妖怪を逃がすという選択と大して変わらないではないか。
神聖な父の道ではなく、ゴミや糞に等しい妖怪を逃がす道を選んだのだからな。
それに、選択の余地を与えたのは父親としての愛だぞ。 父の言うことを聞けない菊梨花を思い、敢えてお前の道の上に立ちながら話をしているのだ。
私の道で話を進めればゴミと確定するものを、糞とどちらが良いかを選択させているのだからな。」
誠一は微笑みながら、菊梨花に告げた。
その内容は優しさなど微塵もないというのに。
そんな誠一の言葉に、ソルダは睨みつけた。
「お前……いい加減にしろよ。 俺はともかく、娘の菊梨花まで同じ扱いってのは納得いかねぇ。」
「口出しするな。 これは我々親子の問題なのだからな。」
「何だと?」
「…………。 わ、私……私は……。」
「おい、菊梨花。
アンタは気にすることじゃねぇよ! 人の家庭に勝手に口出すのは確かに筋違いだが、これは家庭云々以前の問題だ。」
菊梨花は声を震わせる。
ソルダは彼女を、必死でフォローしていた。
しかし、一度叩き落された彼女の心を前に向かせるなど、生半可なものではない。
ゴミ呼ばわりされることや、糞呼ばわりされることならば大したことはない、と菊梨花は思う。
だが、そのように扱うとなれば話は別だ。
これまで父を想い、集落を想い、苦しい時も我慢しながら父のため、集落のためと自分に鞭を打ってきたのだ。
その父からゴミや糞呼ばわりされることはまだ我慢の範囲ではあっても、同等に扱われるとなると、これまでの苦労が全て水の泡と化す。
娘として認められないことは勿論、人間として認められなくなるのだ。
その道の未来を連想したとき、菊梨花は悲嘆を通り越して絶望した。
そして同時に思い出す。
ソルダの言葉を。
『テメェは俺のことは何も解ってねぇだろうが。』
確かにそうだ。
彼のことを何一つ解っていなかった。
これほど絶望する心情を、ソルダも抱いていたのだ。
未来を連想すればするほど恐怖する。
親に捨てられるばかりかゴミや糞として扱われ、孤独に生きていく未来を。
選択の余地など、何処にもなかった。
だからこそ、彼女は
「……。 ごめん、なさい……。」
屈伏する他なかった。
それを受けて誠一はニヤリと笑みを浮かべる。
「ふむ……許しを請うか。 足りんな。 ただの一度、それも土下座すらせずに許して貰えると思うてか? 甘い……その甘さが、今回の事態を招いたのだぞ。
娘として認めて貰いたくば、五分以内に土下座をすることだな、菊梨花。」
「っ! そん、な……そんなこと……。」
追い打ちを掛けられる。
壁に磔にされ、その状況で土下座を求めるという、無理難題を叩き出す誠一。
どうしようもない状況に、菊梨花の双眸に涙が溜まる。
「テメェ! 今の状況で土下座なんか出来る訳ねぇだろうが!!」
「勘違いするな。 誰も土下座を強要していないだろう? 土下座をしないというのも選択の内だ。
寧ろ、あらゆる選択肢を設けたことに感謝して欲しいものだな。」
「野郎…………もう我慢ならねぇ!」
反論するソルダに対し、笑みを浮かべながら告げる誠一。
そんな彼の言動にソルダは怒りを露わにし、突っ込んでいく。
木刀を振り上げ、誠一に向けて振り下ろされる。
その速度は並大抵のものではない。
凄まじい速度。
目にも留まらぬとはこのことだろう。
ガッ!!!
「ッ!?」
だが、彼の木刀は寸前で止められた。
止めたのは茶髪の少女。
相手は真剣だ。
「そう、カッカするなよ……異端児。」
「っ……蓮華……お前……。」
余裕に満ちた蓮華の笑みを見て、ソルダは驚愕の面持ちで見つめた。