第七説
ザッ、ザッ、ザッ……
土を踏みしめる音が闇夜に響く。
こちらに徐々に、徐々に近づいてくる。
足音としては二人だろう。
「……。」
「……。」
二人して押し黙る。
息を殺し、足音が通りすぎるのを待つ。
「猫又が逃げたというのは本当か?」
男の声。
その声は菊梨花がよく知る声だった。
ソラの方も、聞いたことがあるような、ないような、という曖昧な声音。
猫又特有のお気楽精神によるところも、多少あるかもしれない。
「フン、そんなにオレの言うことが信じられねぇのか。」
「いや、お前の……蓮華の情報収集力は確かだからな。 信じているよ。」
男の声の後に聞こえたのは、菊梨花と同質の声音。
いや、ほぼというより全く同じといってもいい。
その少女は蓮華と呼称されていた。
『っ! どうして、あの子がここに!?』
「……?」
菊梨花が息を呑み、驚愕の心情を抱く中、ソラは聞き覚えのある声音に猫耳をピクンと動かす。
ソラは、今がどういう状況なのかを把握しようと考えた。
聞き覚えのある声でありながら、聞き覚えのない名前を持つ人物。
抱き寄せてくる菊梨花の心拍数が急上昇し、尋常ではないことだけは解った。
だが、ソラの小さな理解力では全貌を知るに至らない。
そんな領域で、事の展開は進み続けている。
「あと、気に入らねぇ臭いがするぜ。 そこの茂みからな。
おい、出てこいよ、クソ女!」
「っ!?」
気づかれた。
蓮華からの暴言混じりの言葉に、菊梨花はソラをその場に置いて立ち上がる。
目の前には父親と蓮華がこちらを向いて立っている。
父親は黒髪をオールバックにし、黒装束を全身に纏っていた。
その瞳は冷酷で、娘を娘と見ていないかのようだ。
彼はこちらを冷たい目で見つめていた。
その隣に立っているのは黒の袴姿をした少女。
背は菊梨花と変わらず、茶髪をショートヘアにしている。
蓮華は菊梨花を睨みつけ
「妖怪を逃がすとは、猫神家の風上にも置けねぇ野郎だ。
こんなことして、どうなるか分かってんだろうな?」
といった。
それに菊梨花は無言で頷き、足元で聞いていたソラは体が硬直する。
「菊梨花、ついて来い。」
「はい、お父様……。」
そうして三人はその場から離れてしまった。
残されたのはソラ独り。
「……。」
突然の出来事に呆けてしまう。
どうしよう
どうしよう
どうしよう
徐々に、徐々に焦りの心情が出てくる。
不安になる。
「い、いかなきゃ!」
目的はない。
目標もない。
ただ、ソラはジッとしていられず、灯りが林道の向こうに消えたのを確認した後、茂みから出てきた。
でも、これからどうしようと考えてしまう。
キョロキョロと周りを見回す。
誰も居ない。
聞こえるのは規則正しい虫の声だけ。
ソラは考える。
何か、事態を打開できる方法を、小さな頭で必死に考える。
そして、一つの結論に至った。
「あの人……どこに居るのかな?」
ソラは先ほど菊梨花が対峙していた少年を思い出す。
金髪が目立つ少年・ソルダのことを。
ようやく目的を見出したソラ。
彼女の瞳が縦筋状へと変化し、白髪が一気に足首まで伸びる。
両手を地面につけると、見る見る間に体が縮小していった。
やがて白猫の姿へと変化し、駆け出した。
この姿になれば嗅覚、聴覚、視覚が跳ね上がる一方、力が大幅に下がる。
この姿でソルダの居場所を探る。
ソルダの家は、聖錬の儀式を行った更に森の奥を進んだ場所にあった。
木造の家が見え、ソラは家の前で立ち止まる。
今度は見る見る間に体が大きくなり、髪が元通りの長さになった。
瞳も縦筋状のものから普段の形へと変化。
ドン、ドン、ドンッ!
「……。 誰も居ませーん」
ドアを叩いた後にソルダの声が中から響く。
再び無言でドアを叩くソラ。
ドン、ドン、ドンッ!
「だから、誰も居ねぇって!」
ドン、ドン、ドンッ!
「だぁ、もう! 出りゃ良いんだろ!?」
なんて中から聞こえた直後
バンッ! ゴッ!
「ぎにゃッ!!」
勢いよく解放された扉に頭をぶつけ、悲痛な声と共に数歩後退るソラ。
「……。」
その光景を見たソルダは、やや困惑の面持ちとなる。
「い、痛いにゃあ~……。」
「あ~……大丈夫か? あんまりしつこいから勢いよく開けちまったが……祠で閉じ込められてた猫又だよな。
お前、どうやって出たんだ? あの封印札、妖怪にはどうにもできないはずだが……。」
痛みを訴えるソラに対し、一つ尋ねるソルダ。
それにソラは、頭を抑えながら口を開く。
「き、菊梨花に開けてもらった……。」
「菊梨花? ……あぁ、あの猫神のお嬢か。」
「ん。 ……はっ! 菊梨花!! 菊梨花が危ない! 助けて! 早く!!」
ソルダが菊梨花について思い出し、ソラも肯定。
と同時に本題を思い出したソラは、一気に混乱しながら彼の服を引っ張り始める。
「ちょ、やめろ! 服が伸びるだろうが!!」
「やめないにゃ!! 菊梨花が危ないにゃ!! 早く行くにょよ!!!」
「分かった、分かったから落ち着けよ猫坊!! その、菊梨花が何だって!?」
服が伸びるという言葉もお構いなしにソラは引っ張り続けていた。
その声音は焦りそのもので、状況を読み込めないソルダは、一先ず彼女の脇に両手を突っ込み、持ち上げる。
簡単にヒョイッと持ち上がるほど、彼女の体重は軽かった。
「だから、菊梨花が菊梨花に連れてかれたにゃ!!」
「あ? 何言ってんだ、おま……。 ……。 ……今、なんて?」
ソラの状況説明に首を傾げ、意味不明と一蹴しようとした矢先、暫く黙考した後に訊き返す。
「連れてかれたの!! 菊梨花が菊梨花に! ……フーッ!」
「痛って! 爪立てんなよ、テメェ! ……イテェなぁ……。」
再度説明したソラは、焦りのあまりイライラも溜まり、爪を立ててしまった。
ソルダは慌てて彼女を下ろし、傷を見つめる。
「しかし、菊梨花が菊梨花を、ねぇ……まさか、蓮華か? ……チッ、面倒くせぇ。」
なんて舌打ち混じりに吐き捨てながら、玄関口に立て掛けていた御神木の木刀を手に取り、肩に担いだ。