第十九説
飛び散った血がシェリド・レ・カーミラの爪に吸い込まれていき、傷口から出血した血液もまた、彼女の爪に吸い込まれていく。
「なんだよ、これ!?」
跳躍する中、現実的にはあり得ない現象を見つめ、驚愕する蓮華。
そんな彼女に対し、シェリド・レ・カーミラは不敵に笑う。
「私の爪は他の吸血鬼と比べても特殊でね。
ちょっとしたかすり傷から吸血が可能なのさ。
お前が、私の一定距離に存在すれば、流血分の血液は全て私のもの。」
クスクスと笑いながら、手を掲げる。
既に有効距離外なのか、蓮華の傷口から吸血はしていない。
「待って! カーミラ!」
ソラが叫ぶ。
その声音は、必死にシェリド・レ・カーミラを止めようとする意志が感じられた。
何かの勘違いであると示すかのように。
だが、当のシェリド・レ・カーミラの耳には、ソラの呼び掛けに関する真意など読み取れずにいた。
ただ彼女の思考に存在したのは、蓮華を殺すということだけだ。
外野からの呼び掛けなど、どうでもよかった。
「蓮華!」
同時に、菊梨花も叫んでいた。
こちらは双子の妹である蓮華を案じての呼び掛けだった。
その声音には、できればこのまま逃げて欲しいという願望のようなものが感じられた。
相手は最強の吸血鬼。
彼女の力でも敵う相手ではない。
それは、両者と対峙したことのある菊梨花が知るところである。
そして同時に、菊梨花は白い札を手に持ち、式神召喚を試みる。
「式神召喚・白狼!」
現れたのは巨大な白い狼。
蓮華が召喚した黒狼とは対照的。
その狼は、蓮華を護るように立ちはだかると、シェリド・レ・カーミラへ向けて突っ切った。
そしてそのままシェリド・レ・カーミラを喰いつこうとして
「邪魔だ。」
両断されて消失。
余裕の笑みを浮かべ、自身の爪で引き裂いていた。
当然、無傷である。
「っ、そんな……。」
この光景を目にした菊梨花が呆然と立ち尽くしてしまう。
一瞬にして消失した自分の式神。
全く動じることなく笑みすら浮かべるシェリド・レ・カーミラに対し、恐怖する。
「式神か……舐めるなよ。
この程度で私を仕留めるなど……」
「馬鹿が!」
「ッ!?」
シェリド・レ・カーミラが菊梨花に注意を引かれている隙に、蓮華が彼女の背後から斬りかかる。
超高速。
常人では剣筋を見極めることすら不可能であろう速度で刀を振るい、葬ってやろうとする。
すぐさまシェリド・レ・カーミラが後ろを振り向く。
もう遅い。
そんな絶対的に命中するであろう剣筋と、速度だ。
だが、シェリド・レ・カーミラは蓮華の刀の刀身を受け止めていた。
「果たして、馬鹿はどっちだ?」
なんて言いながら、シェリド・レ・カーミラが凶悪な笑みを浮かべる。
「ッ!!?」
蓮華が信じられないと言った風情で目を見開かせる。
渾身の一撃を、軽々と受け止められてしまった。
それも、完全に相手の不意を突きながらだ。
絶対に反応できない速度。
絶対に対応できない攻撃。
絶対に受け止められない角度。
だが、受け止めた。
「フン。 ゴミにも劣る剣筋で驕り高ぶるとは、大した喜劇にもならんぞ。
斬るとは、こうするのだ!」
そうしてシェリド・レ・カーミラが蓮華に対して爪を立てる。
右手で刀身を持ったまま、左手で顔面に向けて横薙ぎに一閃する。
それを紙一重で避けようとしつつも、右頬を掠めてしまう。
「ハッ! 新たな傷の出来上がりだな、人間!!」
「くっ!」
ニヤリと不敵に笑うシェリド・レ・カーミラ。
圧倒的不利な状況に歯噛みする蓮華。
力の差が歴然だった。
まるで歯が立たない。
流石に『最強の吸血鬼』と名乗っているだけのことはある、と蓮華は思った。
そうこうしている間にも、傷口から吸血されていく。
「100ml吸血。」
「ッ!」
不敵な笑みのまま、吸血量を呟くシェリド・レ・カーミラ。
すぐさま距離を置こうとする蓮華。
そんな彼女を解放するかのように、シェリド・レ・カーミラは刀身から手を離した。
「フフッ……自分から攻撃しておいて、自分で距離を取ったか。
勝てるとでも思ったか? 殺せるなどと思ったのか?
ククッ……ならば訊いてやろう。 何故、今になって距離を取ったのだ?」
「ッ!!! テメェ……舐めてんじゃねぇぞ……。
……殺してやる。」
馬鹿にするかのように笑い、問い掛けてくるシェリド・レ・カーミラを、蓮華が睨みつけた。
そして、静かに呟く。
怨嗟の言葉を。
シェリド・レ・カーミラの行動。
シェリド・レ・カーミラの言動。
シェリド・レ・カーミラの攻撃。
シェリド・レ・カーミラの嘲笑。
全てが気に入らない。
全てが苛立つ。
全て、全て、全て、全て、全て、全て、全て、全て、全て、全て
憎い!!!
蓮華の中で、憤怒の心が燃え上がる。
憎悪が増す。
何が最強の吸血鬼だ。
相手も所詮は妖怪なのだ。
数多の妖怪を屠ってきた自分が、その妖怪から完膚なきまでに愚弄された。
彼女にとって、怒りを覚えるのは無理もないことだった。
一方のシェリド・レ・カーミラは、それを望んでいた。
蓮華が本気で戦う瞬間を。
更に強大な力を発現させるために。
その者と、久方振りの再会をするために。
「…………。」
菊梨花は呆然と二人を見つめる。
既に、菊梨花が止められる場ではなくなってしまった。
ソラが止められる場ですらないのだ。
この場に居る人間も、妖怪も、そうでない存在も、止める術などない。
この戦いを止められる者など、存在しない。
「200ml吸血。」
それなりに距離を置いているにも拘らず、蓮華の傷口から血の筋が形成され、シェリド・レ・カーミラに吸血される。
そして、先ほどと同じように吸血量をカウントされた。
「弱い癖に威張る事しかできぬ無力極まりない地虫が、この私に勝てると思うなよ?」
「ッ!?」
そうして彼女の白目が真っ赤に染まり、瞳が金に輝く。
その目を見た瞬間、重力が跳ね上がったかのような感覚に陥った。
体が重い。
いや、重いなんてレベルではない。
地面に強制的に倒されるような感覚だ。
先ほど菊梨花が両膝をついてしまった瞳。
シェリド・レ・カーミラの特殊な瞳術。
すぐさま視線を逸らすと、それが一気に軽減される。
瞳を合わさなければ、そこまで戦いに支障は出ないようだ。
だが、確実に体の力が抜けていく。
「目を逸らそうと無駄だ。
私がお前を視界に収める限り、お前の力は失われ、私の力が跳ね上がる。」
自身の能力について軽く説明するシェリド・レ・カーミラ。
相手の力を削ぎ、自分の力とする。
吸血するかのように、力を奪い、喰らうのだ。
「……殺すと言った。
力を奪う? 吸血する? そんなもの、関係ねぇよ。」
蓮華は居合の構えをしたまま呟く。
視線は外し、力を奪われているものの、相手に対する憎悪によってこの場に踏ん張っている。
「要は、殺せれば良いんだからな!!」
ドッと踏み込む。
その踏み込みのあまり、地面が破裂し、砂埃が舞った。
残像が後を引くほどの速度。
一瞬にしてシェリド・レ・カーミラとの距離を縮め、そのまま居合で横薙ぎにする。
だが、余裕の笑みを浮かべたまま回避するシェリド・レ・カーミラ。
そのまま距離を置いて着地した。
まるで体重や重力を度外視にしたように、フワリと柔らかく地面に足を付ける。
そして、凶悪な笑みを浮かべた。
「……フフフッ……1000ml吸血。
力を奪われながらその速度で攻撃するとは、人間にしてはなかなかやる。
だが、私には通用しなかったらしいな。」
「ぐ、あッ!」
蓮華の横腹から大量に出血する。
先ほど掠めただけの部分が、更に深い傷を刻んでいた。
全く反応できなかった。
いや、寧ろ回避しただけのように見えたほどだ。
シェリド・レ・カーミラは蓮華の居合を放つ前に、横腹を爪で引き裂き、回避したのだ。
人間では目で追うことすらもできない速度であり、残像が後から引くほどの速度である。
人の目で映った姿は、蓮華の事後行動に過ぎない。
それほどの速度で以っても事前に攻撃を加え、尚且つ攻撃を回避したのだ。
更に距離を空けたところで、吸血される。
これほど理不尽な戦いがあっただろうか。
人間に対しても、妖怪に対しても圧倒的な力で捻じ伏せてきた蓮華が、まるで幼稚園児とお遊戯をするかのように戦うシェリド・レ・カーミラ。
小柄な体からは想像もできないほどの凄まじい身体能力で、蓮華を圧倒する。
「1500ml吸血。
そろそろ、終わりにしようか。
このままいけば出血多量で死ぬことは目に見えるが、人間の癖にここまでよく頑張った。
褒美だ……この私が直々に手を下してやる。」
「っ、はぁ……はぁ……上等だよ、ヴァンピー。
オレが、殺して、やる。」
シェリド・レ・カーミラは左手を伸ばす。
一方の蓮華も霞む視界を集中して補い、しっかりと相手を捉え、居合の構えを取る。
シェリド・レ・カーミラは、蓮華の横腹の傷から吸血していた血液をグッと掴んだ。
と同時に血液が急速に凝固。
それをグイッと引っ張る。
その瞬間、凝固した血液を急速に吸引。
先ほどの蓮華以上の超高速で接近した。
その間に右手の爪を展開。
振り上げる。
対する蓮華は、まるで反応できない。
だが、相手が動いたと同時に左親指で刀の鍔を弾く。
飛び出した柄を右手で握る。
数秒と掛からないやり取り。
一度の瞬きの間には終わる一撃。
シェリド・レ・カーミラは、振り上げた爪を急接近中に振り下ろす。
蓮華は感覚で切っ先を鞘から抜いて振り払うだけ。
刹那。
一つの影が、彼女等の前に飛び出してきた。