第十七説
蓮華は内心で焦っていた。
シェリド・レ・カーミラという名を聞いただけで、東西南北の魑魅魍魎達は震えあがる。
絶対的な力を持ち、世界そのものが認める最強の吸血鬼。
その強さは他の妖怪を圧倒する。
最上級の力の強さを持つ妖怪であったとしても、シェリド・レ・カーミラの前では赤子に等しい。
たとえ蓮華であっても危ういだろう。
もっとも、実際に目撃するのは初めてで、手合わせなども当然したことはない。
蓮華の家から集落の門へと向かう。
東側を守護し、外界へと続く門。
門の前では菊梨花と猫又達の群れ。
やがて群れの真ん中が割れ、道ができた。
その中央を歩く、一人の少女を遠目に視認する蓮華。
非常に長い銀髪。
足首まで伸びるその髪を、一切引きずることなく悠然と歩いている。
黒コートを着込んで体の線は見えないものの、纏っているオーラが違った。
圧倒的なまでの気迫と殺気。
遠目で見る蓮華ですら少々気圧されるほどだ。
「……カーミラ……やっぱり……。」
ソラは悲しげな顔をする。
まるで、戦って欲しくない戦いに身を投じた、一人の家族を見るかのように。
「っ、想像以上だな、コイツは。」
蓮華は気圧されながら、冷や汗をかく。
これまで数えきれないほどの妖怪を屠ってきた自身が抱いた、恐怖という名の感情。
何年振りともなる感覚に、武者震いする。
「ハハッ! こりゃあ、菊梨花には荷が重いぜ。
果たして、どこまでやれるのかな?」
「菊梨花がカーミラに負けたら……どうなるの?」
不敵な笑みを浮かべて見守る蓮華。
そんな彼女に対し、ソラがジッと見上げて問いかける。
「あ?……そりゃあ、お前……。」
ソラの問いに答えが喉まで出かかったところで
「……。」
無言になる。
ジッとソラを見つめたまま、何も言えなくなる。
そうだ、と蓮華は思う。
菊梨花が負ければ、誠一の言った通り、妖怪を殺さなければならない。
誰が殺すのか。
それは当然、自分だろう。
蓮華は内心で自問自答する。
できるのか?
当然だ。 今まで殺してきたように、オレは迷いなく殺す。 相手が妖怪ならば尚更だ。
妖怪だから殺す?
そう。 妖怪だから殺す。
そこに善も悪もないのか?
妖怪に善なんかあるものか。 オレの光は、妖怪に奪われたんだぞ。
目の前の妖怪が悪いのか? 殺すのか?
オレは……オレは……。
蓮華は自分の中で葛藤する。
殺すか、生かすか。
正直、菊梨花の力で伝説の吸血鬼を殺せるはずがないのだ。
いや、歯が立つとか立たないとか、そんな次元の話ではないだろう。
菊梨花とシェリド・レ・カーミラが戦えば、菊梨花自身が自分の死を認識するよりも早く殺されるに決まっている。
戦う、負ける、殺される、などという生ぬるいものではない。
戦いにすらならず、猫神菊梨花という人物の歴史は終焉を迎えるだろう。
そうなれば、殺すのは蓮華自身なのだ。
「……どうなるの?」
無言を貫く蓮華を、不安げな顔で覗き込むかのように見つめ、問いかける。
「ソラ、殺されちゃうの?」
「ッ!!」
無邪気に問い掛けてくる。
その問いに、蓮華は思わず目を見開かせる。
そんな反応を見て、ソラ自身も気づいたらしい。
ソラは尚も続ける。
無邪気で、何の穢れもない純真無垢な瞳で見つめながら。
「ソラ、悪い子?」
またその質問かよ、と蓮華は内心で舌打ちする。
ソラの口から発せられるこれらの問いは、蓮華自身を迷わせた。
「…………。」
またも答えられない。
善か悪かを判断すれば、普通に考えてソラが悪いことはないのだから。
しかし、彼女は妖怪である。
そして、蓮華は妖怪を嫌っている。
それはすなわち、妖怪であるソラを善として判断してしまえば、自分が今まで斬り捨てた妖怪を絶対悪と、判断できなくなってしまうことを意味するのだ。
蓮華が自分の言葉により、自分自身を否定する行為になってしまう。
だから、答えられるはずがない。
しかし、そんな彼女の葛藤をよそに、ソラは純粋な心のままに続けた。
「ソラ、蓮華のこと、傷付けちゃった?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあソラ、良い子?」
「別にそうは……言ってねぇよ……。」
ソラのペースに流された。
度重なる質問に対し、蓮華はソラを直視できなくなってしまった。
ソラを良い子か悪い子かを判断すれば、当然良いことして見られる性格をしている。
だが、相手は人間ではなく妖怪。
人間の子どもならばいざ知らず、妖怪の子どもに対しては違う。
妖怪は絶対悪であり、妖怪の子どもは悪い子なのだ。
敵の子は敵。
たとえその子どもが、どれほどの良い子であったとしても、『妖怪』というだけで悪い子なのだ。
妖怪というだけで。
敵というだけで。
全て悪となる。
「妖怪だから、悪い子なの? 友達になれないの? ……ソラが妖怪じゃなかったら、蓮華の友達になれた?」
畳み掛けるように問いかけたソラ。
その顔は、酷く悲しげな顔だった。
その声は、酷く切なげな声音だった。
今すぐにでも泣き出してしまいそうな顔と、不安を包み隠さず発した震えた声音。
ソラの問い掛けに対し、蓮華は視線を戻し、もどかしそうに顔を歪めた。
「……お前、何がしてぇんだ? オレを困らせて、そんなに楽しいのか?」
「……困ってるの?」
「あぁ、困ってる! お前、さっきからオレが答えられねぇような質問ばっかしてんだよ。
一体、何が言いたい!?」
ついに怒鳴ってしまう蓮華。
自分がどうするべきなのか分からず、訴えかけるように怒鳴る。
それに対してソラが口を開く。
即座に問いに答える。
「蓮華と友達になりたい。 ……ダメ?」
可愛らしく首を真横に倒している。
当然、本人は意識していない。
ただ猫好きの蓮華がそう感じた程度だ。
しかし、行きついた先が友達になりたいという答えに対し
「…………。」
呆れたような顔をする。
黙り込む。
「お前、それを聞くためだけに、オレをこんなに悩ませたのか?」
「……悩んでたの?」
蓮華の問い掛けに、またも首を真横に傾げる。
「テメェ……いい加減にしろよ。」
「れ、蓮華……ちょっと怖い……。」
両手の五指をパキパキと鳴らし始めた蓮華に対し、ソラは委縮し始める。
思わずソラはギュッと双眸を閉じた。
しかし、何も来ない。
「うにゃ?」
思わずトボけた声を発してしまう。
何も来ないことに拍子抜けしていると、蓮華は既に背中を向けていた。
「シェリド・レ・カーミラ……奴が退けば考えてやるよ。
だから、さっさと行くぞ。」
「……うん!」
肯定はしない。
約束もしない。
ただ、条件の身を提示するに至る。
いや、考えると言った時点で条件かどうかも怪しい。
それでもソラにとっては余程嬉しかったのか、背を向けて歩く蓮華に駆け寄っていった。