第十五説
菊梨花がソルダを治療し始めた頃。
蓮華はソラの浴衣の襟首を掴み、自室へと入っていた。
部屋の壁中に猫のイラストが描かれたポスターを貼り、三匹の子猫を飼っていた。
ソラを部屋の真ん中で無造作に落とす。
ドサッ!
「うにゃッ!」
思わず声を上げるソラ。
部屋の周りを改めてキョロキョロと見渡す。
猫のポスター以外にも猫グッズが色々と散りばめられていた。
「あんまり見んなよ。 妖怪のための部屋じゃねぇんだから。」
「……蓮華。」
「っ、気安く呼ぶな!」
「っ!」
名を呼ぶソラを睨み、怒号を上げる蓮華。
それに驚き、ソラは目を見開かせる。
「チッ、本当だったらテメェのことも今すぐ殺したいところなのによ。
只でさえイライラしてんだ。 話しかけんじゃねぇ!」
なんて吐き捨てるように言い、部屋の隅へと移動する。
そのまま猫耳のような装飾が付いた、一人用ソファに腰を下ろす。
抜刀し、刀の手入れを始めた。
その間、ソラは三匹の子猫に近寄っていく。
三匹とも警戒するようにソラを見つめていたが、彼女が空色の瞳で見据えながら手を伸ばす。
それに一匹が恐る恐る近づき、掌に頭を乗せると、ソラは顎の部分を撫でた。
最初こそビクビクしていたが、やがてゴロゴロと喉を鳴らし始める。
それを皮切りに二匹の子猫もソラの方へと寄って行った。
「…………。」
ソラはクスッと微笑む。
それは無邪気な彼女の微笑みというよりも、慈しみを多分に含ませた聖女のような微笑み。
彼女にとって三匹の子猫は、自分の子どものように思えるのかもしれない。
ソラはその場に座り込み、初めに自身の元に来た猫を抱き上げる。
そして、その猫の鬚に自分の頬を宛がう。
目を閉じ、ギュッと双眸を閉じる。
再度目を開けると蓮華に視線を向けた。
「蓮華。」
「気安く呼ぶな。」
先ほどと同じように告げられる。
視線はずっと刀に向けられていた。
「…………。 蓮華。」
「…………。」
再度呼び掛けても返事がない。
しつこいと思ったのだろう、ソラの相手をする気はないようだ。
「……蓮華?」
「…………。」
「蓮華。」
「っ、気安く呼ぶなって言ったろうが!!」
無視していた蓮華に構わず、繰り返し名を呼ぶソラに、再度怒号を上げる。
だが、ソラは物怖じすることなく
「……蓮華。」
呼んだ。
それにもう、うんざりといった顔でソラの方へと視線を向けた蓮華は
「だぁ、もう! 何だよ、何なんだよお前! 妖怪のくせに、ちょっとは警戒しやがれ!!」
叫んだ。
余程嫌だったらしい。
だが、警戒しろという蓮華の言葉に対し、ソラは
「その必要はない。」
と言い切った。
「あ? ……何でだよ?」
それに怪訝な表情を浮かべる蓮華。
「この子たちが、悪い人じゃないって教えてくれたから。」
尋ねられたことに即答するソラ。
視線は自分が抱き寄せている猫に注がれていた。
その光景に、蓮華は驚いたように目を見開く。
「…………。 お前、猫の気持ちが分かんのか?」
「ん。 ソラは猫又だから……。」
「そういう問題かよ。」
「そういう問題。」
蓮華の問い掛けにコクコクと頷くソラ。
そして、ソラはジッと蓮華の方に視線を移す。
「この子たち……蓮華が刀抜くところ、怖いって。
それしてる時、近寄らないでしょ?」
「あぁ、確かにな。」
猫の気持ちを代弁するように口を開く。
言葉を持たない猫の言葉を、ソラが紡いでいるように。
そして、ソラの問い掛けは蓮華も自覚する範囲内だった。
だからこそ、蓮華のソラに対する警戒が、僅かにも解けていた。
「…………この部屋のことは、どう思ってんのかな?」
「それに関しては問題ない。 蓮華も優しいから、過ごしやすいって。」
「そ、そうか! ……うん、それなら良かった!」
どこか不安げに問い掛ける蓮華に、ソラはまたも即答する。
自分の愛猫が喜んでいると知り、嬉しそうに笑顔を浮かべて声を弾ませた。
その様子は菊梨花とそっくりで、彼女たちが双子の姉妹であると納得できる。
「猫、そんなに好き?」
「あぁ。 猫は可愛いからな。 見たら分かるだろうが、オレは猫が一番好きだ。」
ソラの問い掛けに頷く蓮華。
彼女は意外ともいえる好みも堂々と発する。
それに対してソラは視線を逸らす。
「……。 じゃ、じゃあ、ソラは……」
その言葉を蓮華は遮り
「お前は妖怪だろ?」
と言った。
それを聞いたソラは再度、蓮華の方をジッと見つめて
「でも、猫。」
と言った。
更に蓮華は即座に
「だが妖怪。 本職の猫の可愛さには足元にも及ばねぇよ、化け猫。」
と言い切る。
いつの間にやら猫の話題で盛り上がりを見せ、蓮華は蓮華なりの猫観というのが存在するらしい。
それにソラはムッと頬を膨らませる。
「蓮華、細かい。 猫は猫でも、妖怪だったらダメなの?」
「あぁ、ダメだね。」
「……。 どうして、妖怪ならダメなの?」
「妖怪ってだけで殺意が芽生えるからさ。」
「……どして?」
「関係ないだろ。 知る必要なんかねぇよ。」
繰り返されるソラからの純粋な問い掛けに、即座に答える蓮華。
それは自身の信念に近いもので、彼女の行動指針の軸ともいえる問い掛けばかりだからだ。
迷いなく、当たり前のように答える。
「でも、ソラは妖怪。 妖怪のことなら、関係ある。」
「…………。」
ジッとこちらを見つめて断言するソラ。
それにうんざりしたように視線を逸らし、黙り込む。
本当にうんざりだった。
蓮華の言動も行動も、嘘偽りなどどこにもない。
それから暫くの静寂が場の空気を支配し、ソラが口を開く。
「猫又のこと、知ってる?」
「あ? 知るわけねぇだろ。
だいたい、妖怪のことなんざ知りたくもねぇし、興味もねぇよ。」
ソラが問い掛ける。
それに蓮華はまたしても即座に答えた。
その答えを聞き、ソラは悲しそうな、寂しそうな表情を浮かべる。
そして告げた。
『猫又』という妖怪が生まれた経緯を。
『猫又』という妖怪が生まれた理由を。
「……猫又は、ね。 ……人間から捨てられた猫が化けた妖怪なの。」
「っ!?」
ソラの言葉に、蓮華は目を見開く。
流石に驚きを隠せない様子だ。
ソラは続ける。
「悲しくて、悲しくて……すごく寂しくて、お腹もすいて……苦しくて……そのまま死んじゃった猫。
その猫が、色んな想いを抱いて生き返ったのが、猫又。
…………ソラも、その一人。」
猫又の説明を一通りして、ソラは自分に指を差す。
その顔は、悲しみに満ちていた。
その顔は、寂しさに満ちていた。
その顔は、切なさに満ちていた。
いや、一言で言い表せるような表情ではない、悲哀な顔とでもいうべきか。
彼女の純粋さの裏には、そうした悲しみの過去が内在していた。
「……お前も、元は捨て猫なのか?」
蓮華は真剣な顔で問いかける。
妖怪としてのソラではないソラを、見つめているかのように。
「ん。」
蓮華の問い掛けにソラが頷く。
そして、続けた。
「凄く昔だけど、ソラも、ここに住んでいたから。
でも、やっと戻って、帰ってきても皆……妖怪は悪いからって……。」
「…………。」
蓮華はソラの出自の話を聞き、黙り込んでしまう。
そして、考えた。
元々は『妖怪』ではなく、自分が好きな『猫』であったこと。
妖怪は『絶対悪』という固定概念。
この集落でも、猫神家でも当たり前とされる概念だ。
そして、かつては『猫』であったソラも、今は敵である『妖怪』。
今の自分は、そんなソラを殺さなければならないかもしれない。
「……チッ!」
蓮華は芽生えそうになる心情に舌打ちする。
妖怪は絶対悪でも、ソラは違うのではないかと思う自分に。
妖怪はすべて殺さなければならない。
根絶しなければならない。
その考えが頭にありながら、同時に妖怪になる前のことを話されたことで芽生えた甘え。
舌打ちする蓮華の態度を見たソラは、首を傾げた。
「ソラ、悪い子?」
「っ、いや……それは……。」
答えられない。
普段の蓮華であれば、即答しても可笑しくはないはずだ。
だが、それができない。
ソラはさらに続ける。
「妖怪、だから?」
「ッ!!」
核心を突いてきたソラに、蓮華は目を見開かせる。
そして、ソラも純粋に問い掛けを投げかける。
先ほどの、問いを。
「人間は……よく判らない。
どうして、妖怪ならダメなの?」
「……。」
答えられない。
妖怪ならダメ。
先ほどの蓮華ならば、また「関係ない」と一蹴していたかもしれないが、今の蓮華には、それができそうになかった。
理由は簡単だ。
妖怪は絶対悪だから。
だが、それは本当に正しいことなのか、少なくない疑問を蓮華は抱き始めた。
妖怪なら、人間と関わってはダメなのか。
妖怪なら、人間と友達になってはダメなのか。
妖怪なら、人間と暮らしてはいけないのか。
『妖怪』というだけで、人間の敵として認識され、『猫』であれば受け入れられる。
ならば、「元」猫であるソラのような妖怪はどうなのか。
その結論は単純に『妖怪』として扱われ、殺される。
黙ってしまう蓮華に、ソラはまた口を開く。
自分の身に降りかかったものを、淡々と明かす。
「……人間にママが殺されて……ソラも捨てられて……妖怪になったソラを悪い子って言う。
でも、友達になれれば……」
ソラの言葉に蓮華は遮り
「っ!? お前……母親を殺されたのか?」
「……ん。」
問いかけた。
その問い掛けに、ソラは頷く。
「……。」
蓮華は今度こそ、何も言えなくなってしまった。
彼女の悲しみに酷く共感してしまったからだ。
「でも、ずっと昔のことだから……あまり、憶えてない。
でも、人間と友達になりたいのは……今もずっと変わらない。」
「なんで、そんなに人間と友達になりたいって思うんだ? 親の仇なんだろ?」
ソラの独り言のような呟きに、蓮華は問いかける。
真剣に。
それに自分で馬鹿か、と思う。
自分は妖怪を憎んでいるのだぞ、と。
猫神家である以上、妖怪と敵対して当然のはずだ。
その上、自分は妖怪が大嫌いなのだから。
それが妖怪に対してこのように仲良く話し、問い掛けをするなど馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
だが、その心情と裏腹にソラの話に耳を傾けてしまう。
「友達になれれば、人間のこと、もっと知れると思うから。
それに、ママの仇は取ろうなんて思わないよ? ママを殺したのも、ソラが捨てられたのも、今の人間には関係ない。
もちろん、蓮華にも、関係ないよ?」
ジッと見つめながらソラは告げる。
友達になりたい理由と、仇を討ちたいとは思わないこと。
直接関係があるのは、ソラの母親を殺した人物と、ソラを捨てた人物だけということだ。
人間全体に対しては友人でありたいと、ソラは考えている。
人間であるが、自分に危害を加えた張本人ではないからこそ、蓮華には関係ないと。
気にしなくていいと。
「っ!?」
その言葉に、蓮華はまたも驚いてしまう。
ソラが未だ友達同士ではない人間の蓮華を、案じるように言葉を紡いだから。
「お人好しな野郎だぜ。」
蓮華はそんなソラに対し、初めて笑みを向けた。