第十四説
「あ……うッ!」
ドサッと体が倒れる。
地面に倒れた痛みはあるものの、今の痛みと比べれば大したことはない。
独りだ。
菊梨花はあの時のように、心の中で叫ぶ。
痛い、と叫ぶ。
苦しいと叫ぶ。
助けを求めたいと願う。
このままずっと倒れていたいと考える。
もう立ちたくないと弱腰になる。
しかし同時にこう思う。
集落が危ない目に晒され、自分はそれを守りたいと。
罰として今は全うしているのは確かだが、その根底には集落を守りたいと願う自分がいるのだ。
「ふっ……ッ……うっ……。」
だからこそ、菊梨花は想像を絶する痛みを堪えながら、立ち上がろうとする。
独りの状況下でも、自分を奮い立たせようとする。
地面に手をつく。
「ッ!!」
激痛が両肩全体にズキッと響く。
その状態から動けない。
だが、動かす。
次いで上半身を起こす。
「ッッッッ!!!!」
重く鈍い痛みが腹に来る。
更に両肩から両脇腹に掛けて、裂かれるような痛みが襲う。
上半身全体が痛くも苦しい。
大粒の汗が次から次へと流れだした。
「っ、くっ!」
負けない、と菊梨花は心の中で叫び、自分を奮い立たせた。
そのままゆっくりと片膝をつき、両足で地面を踏みしめ、立ち上がる。
「ッ!?」
またも激痛が上半身を駆け巡る。
立ち上がろうとする際に動く上半身の筋肉の動きさえ、痛みの対象として響いてきた。
思わず身を屈めると、ゆっくりと、ゆっくりと痛みが引いていく。
いや、実際は痛みに慣れているだけだが、それでも楽に感じた。
そうして前を見る。
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
息が苦しい。
目が霞む。
一歩進む毎に痛みが響く状況で、なるだけ早く、早く歩こうとする。
三歩まで頑張って歩いて止まり、三歩まで歩いて止まりの繰り返し。
そうでもしないと進めない状況だからだ。
やがて三歩が四歩になり、四歩が五歩になる。
徐々に、徐々に痛みに慣れさせながら歩を進める。
時に屈めた上半身を上げ、堪えたりもした。
一種のリハビリのようなことをしていたが、無論リハビリなどしている場合ではないのだ。
だから、短期間で今の痛みに慣れ、戦闘できる態勢を整える必要がある。
完全な根性論だが、実際にしなければならない状況であればするしかない。
菊梨花は自身の身と心を奮い立たせ、痛みを堪えながら集落の南門を目指して歩いた。
やがて、南門までやってきた。
既に日は昇り、菊梨花自身も痛みに慣れていた。
南門の前では大勢の妖怪が騒ぎ立てていた。
「ソラを返せー!」
「返せー!」
「人間から取り戻すニャー!」
「ニャー!」
大多数が猫又だった。
数で勝負しているといった風情だが、彼らはお世辞にも強くはない。
せいぜい猫よりは強いといったところだろう。
それでも数で攻められれば人間も危うい。
知能も良いとは言えず、これまた猫よりは知能があるという程度。
それ故に説得はまるで通用しない。
ソラも猫又だが、彼女は猫又の中でも突飛して頭が良い。
通常の猫又相手では、ある意味人間にとって厄介なのかもしれないのだ。
猫に小判を渡したところで価値など分かるはずもない。
「……皆さん。」
菊梨花が猫又達の前に出てくる。
すると、一斉に視線を彼女に向けた。
「人間ニャ!」
「来たニャ!」
「ソラを返せニャー!」
「人間に捕まったのを見たニャー!」
口々に発する猫又達。
たちまち南門前は騒がしくなった。
猫又たちの後ろから妖精たちも続く。
近くで見るとかなりの数だった。
ソラの人気がどれ程なのかを身をもって知ることができる。
彼女を想う仲間がこれほど沢山居るのだ。
ただ、この状況には菊梨花も苦笑が絶えない。
ソラの友人たちであれば尚更、退治するわけにもいかず、説得が通用するとも思えないからだ。
ただ、それでも説得して事が済むなら、そうする他ないだろう。
この妖怪たちも、悪い妖怪ではない。
皆が皆、妖怪は悪いわけではない。
そうした考えを、ソラと友人関係になった菊梨花は抱いていた。
「皆さん、落ち着いてください。
ソラさんは、私のお友達ですから、悪いようにはしません。」
その言葉を受け、猫又達が反応する。
「ニャッ!? ソラの友達!?」
「ニャニャッ!? 人間の友達なんて、いつ作ったニャ!?」
「とにかく、友達なら安心ニャ!」
「ソラの友達なら、ボク等の友達ニャッ!」
「一緒にお魚食べる人が増えるニャ!」
口々に発言し、ソラの友人だと告げた菊梨花を友達として認識し始める猫又達。
酷く、平和的だった。
そして、楽観的だった。
今この瞬間を全力で楽しんで生きているような、それこそ猫のような妖怪たちだった。
そのまま平和的な解決ができるのではないかと考え、内心でホッと胸を撫で下ろす菊梨花。
しかし、後ろに控えていた妖精が口を開く。
「でも、相手は人間でしょ?」
その一言で猫又達は
「ニャッ!!?」
一斉に我に返った。
そして再び
「ソラを返せー!」
「返せー!」
「人間から取り戻すニャー!」
「ニャー!」
と騒ぎ立てた。
人間からソラを取り戻すという大目標を思い出したように。
とにかく、彼らにとって人間である以上に友達であるかの方が重要らしく、本来は何者であっても友達であれば受け入れる妖怪なのだ。
しかし、同時に仲間意識や目的意識が強いのも特徴で、今回のように人間からソラを取り戻すことを目的としている場合、如何なる状況下でも目的を優先する。
但し、気まぐれな点や興味が目移りしやすいこともあるため、知能の低さがどうしても目立つ。
菊梨花はまたも苦笑せざるを得ない。
他にも付喪神の類の妖怪や、動物系の妖怪など、名の知れた中級妖怪たちが騒ぎ立てる。
「っ……あ、あの! 本当に落ち着いて、下さい! ソラさんは……無事ですから。」
痛みを堪え、大声で呼びかける。
なるだけ争いたくはない、と菊梨花は思う。
ソラの友人たちであり、悪い妖怪ではないのならば退治する意味もない。
お互いに血を流さず、力ではなく心で対話したいと。
しかし、仮に集落を攻めてくるようなことがあれば、こちらも相応に対処しなければならない。
「ソラを返せー!」
「返せー!」
猫又達が騒ぎ、他の妖怪もそれに便乗して騒ぐ。
既に収拾がつかない状況だった。
ここで立ち往生していても、集落の人からの不信を買うこともある。
それは、なんとか避けたいと考える。
しかし、争うことも避けたいと考える。
「ど、どうすれば……。」
菊梨花は困惑し、対処に迷ってしまった。
その時。
「…………。」
一気に周囲の喧騒が止み、静寂がこの場を包み込む。
あれほど騒いでいた猫又達も黙り込んでいる。
気が付けば風すらピタリと止まり、まるで時間が止まってしまったかのようだ。
やがて、群れの奥から手前に掛けて道を開けるように左右に移動し、列が割れ始めた。
その奥には、一人の少女の姿が遠目で見えた。
かなり離れた場所に居るために姿は判然としないが、全身を黒のコートで包み、足首まで伸びる銀髪をしている。
ここからでは何も分からない。
だが、圧倒的なまでの存在感を遠目から発していた。
「邪魔だぞ、貴様。」
「ッ!!?」
瞬きして目を開けると、既に少女は目の前に立っていた。
速いなどという次元ではない。
遠目からしか見えなかった少女の姿が、一瞬にして目の前に広がっているのだ。
見た目はどう見ても人間で、何かの妖怪である証や特徴などは見当たらなかった。
強いて言えば異常なまでに白い肌を持ち、白目の部分が朱色に染まり、瞳が金色に輝いているという特殊な眼を持っていることくらいだ。
完全に戦闘状態となっており、背は菊梨花よりも低く、ソラと大して変わらないだろう。
だが、その存在感は遠目で見た時以上に圧倒的だった。
「ソラをどこへやったのだ?」
「う……あ……。」
彼女の存在感に圧迫され、問いに答えられない。
言葉が出ない。
先ほどまでの激痛など、凄まじい恐怖と緊張で治まってしまっており、体が動かなかった。
少女はジッと見つめながら続ける。
「答えられんのか?」
「そ、それ、は……。」
見た目は少女でも、彼女の言動は威厳に満ちていた。
菊梨花は、あまりの恐怖に上下の歯をカチカチと打ち鳴らしてしまい、上手く言葉が紡げない。
「……いいだろう。 ならば選ぶがいい。
今すぐソラの居場所を吐くか、大量の血を吐くか。
このまま何も答えず、皮一枚になるという選択肢もあるぞ? さぁ選べ、人間。」
「っ、ソ、ソラさん……なら……」
凶悪な笑みを浮かべながら選択を迫る少女に、菊梨花は必死に震えを抑えながら答える。
ソラの居場所を。
「…………。」
少女はそんな菊梨花の言葉に耳を傾け、不敵な笑みを浮かべる。
まるで、いつでも殺せると言い聞かせるように。