第十一説
「っ、ソルダさん!」
傷つくソルダに、縛られたままの菊梨花が呼び掛ける。
次いで蓮華に視線を向け
「蓮華、これ以上彼を傷つける意味なんて」
それを遮り、誠一が口を開く。
「意味があるからやらせているのだ。 お前こそ関係ないだろう。
お前が動かない内は、蓮華の好きにできる。 まだそうしている気か、菊梨花。」
「っ!? ……ッ!」
誠一は冷めた目でジッと菊梨花を見つめる。
自分が動かない限り、ソルダは傷つけられる。
動かなければ、蓮華の好きに傷つけられてしまう。
父の言葉によってそう理解した途端、菊梨花は行動に出た。
自分の腕に力を込めた。
なんとか脱出できるように
なんとか縄が解けるように
なんとか自由になるように
だが、彼女の想いとは裏腹に、縄は固く結ばれてしまっており、解ける気配すらない。
「解けないか? お前が何の抵抗もなく、何の対策もなく縛られたことが原因で、今の醜態を晒しているその縄を、解けないか。
自分が正しいと思った道だと? 正しいと思った道でありながら、拘束されることを受け入れた。
その時点で、貴様のしたことは間違ったことを自覚したのだろう? 自分でも気づいているのではないのか? ……父のしたことが真に正しい道だと。」
「ッ!? それは……違います。」
菊梨花の行動を見て、誠一は淡々と述べる。
それに彼女も目を見開く。
だがすぐに言い返した。
「ほぉ……では、何が違う?」
「……私は、お父様の道が真に正しいと、そう思ったわけではありません。」
「なに?」
「ッ!」
菊梨花の言葉に睨みつける誠一。
それに、菊梨花は一瞬だけ怯んでしまう。
『大事なのはお前が、お前のしたいことをしろってことだ。
それがたとえ周りから見て『普通』ではなくても、自分がしたいこと、正しいと思うことをやり通せ。』
菊梨花の脳内に唐突に、ソルダの言葉が思い浮かぶ。
周りから見て『普通』ではなくても、自分がしたいこと、正しいと思うことをやり通す。
どれほどの困難だろうと、周りから蔑まされようと、自分が正しいと思ったことをする。
それを、ソルダから教わった。
菊梨花にとって、ソルダは恩人と称してもいい存在だ。
今まで、『普通』に囚われていた菊梨花を解放した言葉。
恩人から紡がれた言葉。
それを思い出した菊梨花は、強い意志を秘めた黒目で父を見据える。
「私は……私の正しいと思った道を進み、そしてこの拘束も正しいと思ったからこそです。
ですが、お父様の道が正しいから拘束されたのではありません。」
凛とした雰囲気を纏わせながら、言葉を紡ぐ菊梨花。
その言葉を、蓮華も耳を傾ける。
「猫神家を、集落の人たちを裏切ってしまったからです。 それでも、私が正しいと思った道。
拘束されても良いと考えながらも、正しいとも考えましたので……抵抗はしませんでした。」
拘束への抵抗をしなかった理由。
拘束されることこそが、菊梨花の考えた道だからだと。
自分が正しいと思った道であっても、集落の中で『普通』ではない、間違った行為であることは解っていた。
だからこそ拘束された。
「ならば今、拘束を解こうとしている動機はなんだ? 土下座の決意が固まったのか? それともまさか、この男を救いたいなどと考えているのか?」
「……両方です。 その人の命を救えるのなら、何度でも土下座をします。
お父様から何と呼ばれようと、どう扱われようと、ソルダさんの命を保障してくれるなら、私は構いません。」
父の問い掛けに、菊梨花は頷く。
キッパリと言い切る。
「ふっ、ふははっ、ははははははは!!! 面白いことを言うものだな、菊梨花。
ならば、お前ならばどちらを選ぶのだ? 猫又か、異端児か。」
「え?」
反抗的な菊梨花に対し、大声で笑う誠一。
そうして凶悪なまでに楽しそうな表情を浮かべた彼は、菊梨花に問いかける。
それにキョトンとする。
「うにゃああぁぁぁッ!!!」
固まる菊梨花をよそに、猫の叫びが入り口から響き渡ってきた。
視線を向けると、入り口から巨大な黒狼が現れる。
その口には襟を咥えられ、宙吊り状態となったソラがぶら下がっていた。
足をバタバタさせて抵抗するも、黒狼はものともしない。
その様子を見た菊梨花は、驚きのあまり目を見開く。
「ソラさん!?」
「き、菊梨花……ソラ、捕まっちゃった。」
菊梨花の呼び掛けで視線を向け、視認したソラは、悲しげな表情を浮かばせながら全身を脱力させた。
そして、菊梨花は父に視線を向け、尋ねた。
「いつから、式神召喚を?」
「さて。 蓮華が行ったことだからな、知らん。」
「え?」
父の言葉に、信じられないと言いたげに固まる菊梨花。
式神召喚。
文字通り、式神を召喚するということ。
式神とは、動物の『聖霊』の別称である。
ここでいう『聖霊』とは、精霊と人の魂が融合した存在のことだ。
本来は下級妖怪の一種である精霊だが、人間の魂と融合することで『聖霊』へと昇華し、上級妖怪である鬼やヴァンパイアと同等の力を得る。
猫神流神術では精霊を自分の魂の檻で飼い慣らし、『式神』として戦闘や日常生活で活用する。
式神召喚では多大な集中力や、特殊な呼吸法によって自分の魂の檻を解放するため、すぐにできるものではない。
さらに言えば、召喚直後に式神が出現するため、誰かがここで召喚しても、菊梨花が視認できるはずなのだ。
だが、菊梨花は式神を初めて見た。
当然、召喚された瞬間すら見えなかったのだ。
だからこそ、驚いている。
「異端児を斬ると同時さ。 式神を展開したのはな。」
先ほど菊梨花が父に放った疑問に答えるように、蓮華が答える。
「ッ!? そ、そんな……そんなことって……。」
菊梨花は、今度こそ信じられないと言いたげな顔で呟く。
それもそのはずだ。
蓮華の言ったことが本当ならば、限りなく零に近い時間の中で斬撃と式神召喚を同時にこなしたということなのだから。
あり得ない、と菊梨花は思う。
「蓮華は猫神流神術の発祥以来、随一の使い手だからな。
剣術、弓術、格闘術、神術の悉くがお前より遥かに優れている。」
それに誠一が補足するように告げる。
ソルダが剣術で圧倒されると同時に、菊梨花は神術で圧倒された挙句、猫神家の巫女としても圧倒されたといっていい。
どう考えても、菊梨花よりも蓮華の方が、全てに於いて上なのだから。
正統後継者として、巫女として、菊梨花よりも蓮華の方が、相応しい能力を秘めている。
「ハッキリ言ってやろう。 お前は所詮、父の駒でしかない。
どれほど努力したところで、それは変わらぬよ。 今も、昔もな。」
「そ、そんな……では、今までの……私は……」
「さて、立場は理解して貰えた上で選んでもらおうか、菊梨花。」
冷酷な瞳で菊梨花を告げる誠一。
娘ではなく、所詮は体のいい駒であると。
自分の集落内での権力と権威、それのみのために菊梨花は利用され、昔からそれは変わらないと。
父からの言葉に、菊梨花は悲嘆の想いを吐露する。
だが、彼女の想いなどお構いなしに遮り、話を続ける誠一。
そして、菊梨花にとって極限とも、絶望とも言える選択肢を叩きつけた。
選択肢は二つ。
「猫又か、異端児か。」
それは、友人と恩人の名前だった。