猫様はすべてを知っている
あの映画は面白いです。
家に帰りたいという旨を伝えるとべメリスさんは戸惑っていた。それは当然、王様にまで買って出た監視の役目が意味を成さないからだと思う。しかし俺も一応フェべロスとの約束をはたさなければならない。そのためには家に帰ってあっちの世界の生活を保つ必要があるのだ。
それともなんだ。今この場でべメリスさんにあいつの存在を打ち明かして助けを求めるべきか?
巨大王国のロワイヤンの王様とも関係ある彼女なら確かに何か手助けをしてくれるかもしれない。
しれない、が。
フェベロスの話が本当ならあいつは一度破られてはいるけど、勇者とも刃を交わした強者ということだ。
勇者とか魔獣とか、王国の兵隊とかのパワーバランスが全く分からない俺が、軽んじて打ち明かしていいものだろうか。
しかし、ほかの頼れるところは……。
「どうかしました? エイさん」
「いえ、なんでもないですよ」
俺から持ち出した話の途中で勝手にだんまりになっているところを怪しんだのか、べメリスさんが俺の顔色をうかがってきた。
「なら、なにか帰らないといけない特別な理由でもあるのですか」
「ま、まあ。いつかは帰らないと行けないですからね。お金、稼がないと生きていけませんから」
まだ就職先はおろかバイト先すら決まってない俺はそれはもう地道に頑張るしか無い。
べメリスさんは少し考えことをしてから淡々と話した。
「正直に言いますと、私やこの国にとっては貴方が自分の世界から二度と来ないほうがご都合です。それに貴方が元の世界に戻っていると知っていれば、私もこのような手配はしていません」
そう。俺がこの世界に現れないのなら、あの噂が実現される可能性が一つ減ることになる。しかし運がいいのか悪いのか、ゴルモーイのせいで俺は再びこの世界に現れてしまった。彼女が俺にこの訪問証を与えたのはほかでもない。俺がこの世界に在住することを前提として行ったことだ。
そんな俺が自分から帰るとか言っているのだから、随分と拍子抜けになるとは思う。
しかし、フェベロスの件でここに来るしかなくなった俺としては彼女の善処は手助けになっている。
それを言うわけには行かないけど、もし彼女が訪問証を返せ、と言ったらどうなるんだろうか。
「エイさんはこの世界、アルトメシアをどう思いますか?」
アルトメシア。あの雑貨屋の前でゴルモーイから聞いた言葉だ。
常識から外れたこの世界のことを聞かれても思い浮かぶ回答など無い。
ただ、ぱっと見て。
「平和だと思います」
平和。その言葉に口ごもった彼女は重々しく言葉を並べた。
「このロワイヤンの防壁の外は、貴方の思うようなところではありません。クリームザル、ハルバーティア、ミセスティカ、ルナプラヤ、ラセラ・クェーベン……数えるのも難しい多くの国や町、地域が血で血を洗う戦争を繰り返しています。それは種の生存のため。人間だって、その戦乱の渦巻きに乗じているだけ。このロワイヤン王国も、激動の守護者の加護下で限られた平和を謳歌しているに過ぎません。それでもこの世界が平和といえるのは、まだ貴方がこの世界に来たばかりだからです」
彼女は別に俺を叱っているわけではない。
ただこの話を通して伝えているのだ。
自分の世界に戻りなさい、と。
でも俺に選択権はない。もし訪問証を奪われるとしても、俺は夜までにでもここから情報を集める。
じゃないと、俺は、クロは。
……畜生め。
「明日、また絶対来ます。だから元の世界に戻る方法を教えてください。あと、ここに帰ってくる方法も」
「そう、ですか。ここに来る理由は言えないということですね」
「やましいことじゃないから。そんなに気にしなくてもいいですよ」
嘘はついていない。ただ俺は自分の命を守るためだけにここに来るのだ。
たとえ、どんなことがあろうと俺は生き延びる。俺は常にそう思っているんだ。
「わかりました。来るも来ないも所詮貴方の自由、私に他言はできません」
その答えだけで俺は少し報われた気がした。この人ならできるはずだ。俺のために"あれ"を何とかしてくれる。
お手を煩わせなくとも、そのための何かを、いつかこの人はなしてくれるんじゃないかという根拠のない確信があった。
それからベメリスさんは帰る方法について説明した。
それは訪問証の誤用と言えるものだった。
王国固有の識別魔法を解くことで元の世界に弾き飛ばされる。理屈としてはとても簡単である。
だがそれはこのロワイヤン王国の国境から一歩も出ていないことが前提だ。不審者を弾き飛ばす魔法はあくまで探知魔法と反射魔法、そして大規模移動魔法の組み合わせ。その結果、"王国に踏み入る前にいた場所へ飛ばす"という仕組みになる。
魔法など全然心得てない俺でさえも、異世界に飛ばすほどの魔法ってどれぐらいすごいのか予想すらできない。
聞いただけで大掛かりな大魔法をこの国は毎夜施しているのだろう。
俺達は居酒屋をあとにして町並みを歩いた。
べメリスさんから俺が最初に目を覚ました場所を聞かれたからだ。
どうやらその場所が俺の世界とつながりやすい可能性がある、とのことだった。
平和の証なのか、まだ外には人が結構いる。大体は酔いつぶれたり、そんな人を運んでいる人が多い。所々に子供と保護者に見える人々が談笑を楽しんでいた。
この平和な光景を前にしてさっきの話を思い返す。
激動の守護者の加護下で限られた平和。
その守護者という名のものたちが神に等しい存在ということがすぐ推測できた。
「ここ、ですか」
「はい。俺の世界にもこういうところがありまして、そのせいなのかもしれませんね」
目の前にはあの時シスターに追い出された何らかの神聖な礼拝堂。十字架はないにせよ、蒼い垂れ幕に星と三日月のシンボルが目立つ立派な建物だった。
「なんて皮肉なんでしょう」
「えっ、あのーべメリスさん。大丈夫ですか?」
彼女の声が震えていた。
そう聞こえた気がした。
「え、ええ。少し眠くて」
ベールに囲まれて顔色がうかがえない。多分俺の勘違いなんだろうな。
「では、お帰りください。方法はもう知ってるんですよね?」
「はい。あの、ありがとうございます、いろいろと……」
彼女が軽く頷くのを見て俺は紙切れに手をあてがった。そして教わったとおり解除の呪文を唱える。
『De'cler』
手の甲から文様が引き取られる。紙切れにその光の文様が戻った瞬間、空間が俺を押しつぶしている気がした。
「おやすみなさい」
寝付きの挨拶を投げかけるべメリスさんの姿はもう見えなかった。
ジェットコースターにでも乗ったように震え上がる体が静まるのを待つ。自分の手の中に王国の訪問証があるのを確認してから深く息をついた。
あれは現実なんだと、今更ながら緊張感が湧いている。
「何ぼーっとしてんだ?ってか遅いぞお前。何かわかったか」
「あ? あ、ああ。情報か。情報……そう、情報。あれだ。激動の守護者ってやつがどうやらロワイヤン王国を守ってやってるらしい」
「ほーう、そーなのか……。猫キック!」
「くっぷわっ、て、てめぇ!? なにすんだよいきなり!」
「お前は『人間は息をしないと死ぬ』みたいなことを情報というのか? ロワイヤンはもともと激動の守護者が沈黙の守護者と戦う時、前のやつの肩をもってやって、そこから国が成り立ったんだぞ?」
そういえばそんな話街中のモブキャラっぽいおじさんから聞いた気がしたりしなかったりする。
「あ、あとはローパルの王様が精霊王に」
「それ、モガシの盃な! 滅んだ国の話なんかどうでもいいんだぞ! 子供かお前は!」
おい、滅んだのかよローパル王国。だから歴史に残るってわけか。
まったく、こっちは考えることが多いのにわがままばっか言いやがって、このくそ猫。
いや、猫はうちのクロだから悪口しちゃダメだっけ。
「今日はそれ以外ねーよ。仕方ないだろ。俺、新入りなんだからさ。まだまだ水臭くて話に参加できないんだよ」
ため息をついて、何言わずにフェベロスの返事を待っていた。
「猫パーンチ!」
「ぶくっ! なんでだよ!ってか猫パンチなのになんでお前が直接攻撃してんだ! 今朝はクロ使っただろーが!」
「ようやく聞いたか!」
するとフェベロスは俺から少し距離を取って、何かに集中していた。そのうち両手を空に伸ばして、口ではごおおお、とめんどくさい効果音まで出している。
「地球のみんな! たのむ、毛玉を分けてくれ!」
おい、元○玉かよ。こいつ絶対テレビでドラ○ン・ボールみたわ。
ってか毛玉分けてもらってどうすんだ。
「はああああっ!」
しかしそれはただの芝居ではなかった。また、ゴルモーイのときと同じく部屋の空気が変わる。
フェベロスは部屋の中に充満している魔力を使っていた。
そして術が成功したのかフェベロスが「おっす!」と腰のところで拳をあてがっている。
「ほれ、どうだ?」
「は?どうだ、って……。おい、マジですか」
俺はその変化に最初は気づいてなかった。何がどう変わったのか。しかし目をパチクリしている間、嫌でもわかってしまった。
目の前のフェベロスにそれは生えていた。黒い、ふかふかな耳、そして尻尾。
猫耳少女の誕生であった。
「ってかボケがなげーよ! それ見せるだけでパンチやらキックやら人に当ててんじゃねーよ! 痛いんだよこっちは! 痛いの嫌いなんだよ!」
「おお! このタイミングでツッコミとはさすがだ! 感心したぞ。最後はもう駄々こねてるようにしか聞こえないが」
感心しても対応に困るだけである。
「残念ながら俺はメガネ派だ。猫耳や尻尾は猫がもってこそ意味がある。お前がいくら頑張ったところでクロの可愛さの一ミリにも及ばないからな」
ちょうどいい高さにあるその黒い耳を少し引っ張ってみた。触るとぴょこぴょこ動いて面白くはある。
あと、このふわふわは認めよう。確かに触り心地が良い。
「別にお前に見せるために使ったんじゃねぞ。テレビでこういうCMがやってたからさ。ちょうど色も同じだ。試してみただけ。ってか触んな」
「ああ、あの化粧品CMか。あのアイドルは確かにかわいい」
「聞いてんのか。触んなって」
さすがに触りすぎだったか、飾りと思っていた尻尾でアタックされた。
「メガネ派とかほざきながらさんざん触りやがって。んで、ご飯は?」
「はあ? お前食ってなかったのか。そもそもお前ご飯食う必要あんのか? チョコのくせに」
「バカにしてるのか。殺すぞ。この体を構成してからはもう人間と同じだ。それにオレも帰ってきたばっかだから食ってねーぞ」
どうやらこいつもどこかに出かけていたようだ。もしかしたらアルトメシアで自分なりに対象の居場所を探っていたかもしれない。
「というと、クロは今日丸一日腹ペコなのか」
「ふん、毛玉のフードは用意してから出たんだし、心配ない。ちゃんと言われたとおり少なめにしてやったんだからな」
「お、おう、そっか」
クロは食欲が旺盛でたくさん盛ってたらそれを全部食べてしまう。だからこまめにやるのが必須とされるんだが、案外こいつは気配りがいいのかもしれない。
「なあ、フェベロス。なんか食べてみたいものないか?」
「パフェとクレープ。あとせんべい」
「即答かよ」
どうやら漫画などで毎回毎回定番に表現されるから気になるらしい。
「よし、じゃあ食べようか」
「おお! ホントか!?」
俺は買っておいたカップ麺ふたつを用意した。
「おい」
「なんだ」
「これの名称はカップ麺ではないのか? もしかして今からこいつらを飼うのか。名前をパフェとクレープにして?」
「カップ麺だ。パフェやクレープ屋ってもう店閉めてる時間だしな」
時間はすでに夜の11時を回っていた。
「なんでやねん! だったら最初から話切り出したりすんなよ! 殺すぞ!?」
「殺されてもしかたないもんはしかたないんだよ! 俺だって言い出してから気づいたんだからさ! おとなしく食え! 食わないなら俺が全部いただくぞ!?」
3分が経ち、麺をすすって、食事を終えるときまで、俺たちはずっと口喧嘩した。
明日の昼、お望みのやつを食わせてやると言って手を打ったものの、風呂に入りたがらないフェベロスの駄々を堺に第二次戦争が起きた。
やつをなんとか説得する間、俺はすでに言葉だけで5回殺されたのである。そうやって水に触れたがらないところがやけに獣っぽくて、やつが本来人間ではないことをいやでも思いしる。
何回のやり取りのあと、クロを洗う権利を譲ることで手を打って、現在湯船の中でやつの髪を洗っていた。
一応外見は女の子なんだが、どうもペットが一匹増えた気がしてならない。って髪長いしめんどいな。
「お前、本来はどんなやつなんだ? ほら、ライオンとかトラとか。クロがやけに懐くし、やっぱネコあたりかな?」
「ほざけ、ぼけ。あんな下等な毛玉どもと一緒にするんじゃない。あと人間もな。お前らみたいな卑劣で傲慢な奴らと一緒にされたくはない」
「へーん、よく言うよ。そっちだって今は人間に化けてるんだろ」
最初は俺やクロにチョコを食わせたがったように、どこかの女の子を依代に使っているのかと思ったが、どうやら自らの力で化けたらしい。
モデルを聞いたらテレビで見たとかなんとか。
「これはやむを得ずだぞ。木を隠すなら森ってわけだ。ほれ、今日だって変なやつが嗅ぎついてきたんだろ」
「あれ、知ってたのか。やっぱお前、クロに変身してたのか?」
「いや、あのときは近くの学校でガキどもとケイドロやってた。帰ってきたらなれない臭がしてな」
あっさりとんでもないこと言うな、こいつ。身を隠すとか言って何でしゃばってんだ。
しかし、ケイドロか。この情報社会になってまだやる子供がいるとは、懐かしい。
そもそも小学校以来一緒に遊んだ友達がいなかったから体を動かして遊ぶこと自体が懐かしいな。
「んでさ、帰ってみたらお前いねーし、変な匂いするし。助けでも呼びに逃げたのかと思って毛玉殺そうとしたけど、お前があれを残して行くわけないと思ってな。何か魔法の痕跡あって追ってみたらまさか拉致られたとは」
魔法の痕跡とかわかるのかよ。それともあっちの世界のやつらにはそれが普通なのか。
「え……。ちょ、お前ついてきて、たのか」
「まあな。しかし以外だったよ。お前があの連中にオレのことを言わなかったのはさ。見た目よりは頭がきれるやつで助かったな、お前」
その時、背中がゾッとした。
昼頃、家にこいつがいなかったことでまさかとは思ってたけど、やっぱりこいつもあの世界に行っていたんだ。
それも他でもなくロワイヤン王国で俺を監視して。
「どうした。手が止まってるぞ。終わりか?」
「い、いや。もう少しだ。染みるから目開くなよ」
「おう、わかった」
フェベロスは返事をして両目をぎゅっと閉じた。これで、俺の動揺が伝わらないことを祈った。
俺はあの時迷っていた。
いっそロワイヤンで身の回りの世話をしてもらったほうが良いかもしれない、そうしたらこいつから逃れるんじゃないかと。
あの夜の魔法とやらもある、自分を魔獣と紹介したこいつが識別魔法などを持ち合わせているわけないし、不審者としてはじき出されるはずだ。
なら、安全かもしれない。安全なはずだ。
だから俺は、明日クロを連れて逃げ込もうつもりだった。
王様とのコネがあるべメリスさんがいて、その王様すら異界人である俺の存在を知っていて、それこそ予言を相手にギャンブルに出るほどの太っ腹で俺を駒と見なしている。だからどうにかなるんじゃないか、そう思っていた。
オレには通用しないと遠回しに言ってるつもりか。
「そういえば今朝、お前がいない間にお前の借りた、ゴッド○ァーザーだっけ。あれ見たんだけど。面白かったぞ。特に最後の、裏切りものの片付けとかさ」
……白々しい口調しやがって。
「心配すんなよ。この歳で死ぬとか断じてゴメンだ」
「は? なんのことだお前。オレはただ映画の話をだな」
「そうだったな。じゃあ次はもっと明るいもんでも借りてくるよ。バ○ズ・ライフとか」
俺はどこか考え違いをしていた。
こいつはあくまでも俺の命を握って、利用しているだけだ。こんな日常的な触れ合いくらいで馴れ馴れしくなったと勘違いしていた。
もしも利用価値がないと考えられないように、少しでもノリに合わせないと。
「水、流すぞ」
俺は少しのいらだちを含めて、汲んでおいた温水の代わりに冷水を投下した。
続く