馴染めるのはいつからか
このレーティング設定でこの展開は許されるのか。
「じゃあベメリスさんが俺を探していたのか」
「ええ。一時、警備隊小屋からあなたが消えた時は流石にみんなと首を傾げたものです。実際、夜の魔法で人が消えたのは今まで見たことがなくて」
大体優秀な警備隊と優れた防衛魔法が施されているロワイヤンに忍び込む愚か者はそうそういませんよ、と言葉をつけるリビ。
「じゃあ、あの密入国とかできるわけ……いってててっ!」
「なに堂々と言ってるんですか。絞りますよ?」
流石に話題的に危ない線なのか、耳をひっぱって小声で囁いてきた。
「……できるわけねーだろ。そんな短時間に訪問証とか用意できるのかよ」
「甘いですね。甘々ですよ甘党のエイさん。私たちはその辺の準備も完璧なんですよ。もちろん、あなたがくせ者でなくなった今となっては話すわけにもいけませんが」
「ふん、どうせお金だけたかって警備隊の連中に渡すつもりだったんだろ。見え見えなんだけどっててててっ!」
今度は脇腹に鋭い刺激が走った。
「相当むかつきますね。商売は信用第一ですよ。お金に関しては嘘なんかつきません。あとこっちは70万の商売が流され、500の持ち部まで使わされたせいで気分がとても悪いのです。その上、寝床の用意まで頼まれるなんて、まったく。なのであまり私を挑発しないでください。そのうち藁苞の中で変死体でみつかりたくなければ。あなたがいくらあのべメリスさんの客人とはいえ、限度というものがあります」
本気で言っているようだったので、俺は渋々ながらも謝った。
「ああー、俺が悪かった。最近変なことに巻き込まれすぎてな」
まったく、どいつもこいつも。「無」だの「変死体」だの、頭の中どれだけバイオレンスなんだよ。
俺の謝罪にリビは脇腹から手を放せたものの、表情はいまだ優れてなかった。
「ふう、気が晴れません。今日はもう少し稼ぐことにします。エイさん、あなたには手配でなくなった500に利子を付けて、そうですね。700ロワの弁済を要求します。現金でも働きでもその分の値段を返していただきますので」
「おい、ちょっと待て。なんで俺がそれを返さなきゃならないんだよ。勝手に手配したのはそっちだろ」
「うるさいです。べメリスさんの頼みだから仕方なく手配したんですよ。それにあなたが弁済するということにはべメリスさんも承知のうえですから。そのうち絶対返してもらいます」
俺が理不尽さに抗拒の声を上げる前に、彼女はマブラさんに店を頼んで冒険家らしきグループに声をかけた。
「今日は気分が悪いので5000から始まりますが、いらっしゃいますか」
その周りから高いという声が少々上がるが、そのうち聖職者に見える一人が悩みの末、手を上げた。
「いい決断ですね。もう少しで値段が上がるところでしたよ」
5000という値段を聞いて数秒、頭が停止した。しかしその値段と日本の相場を並べて出てくる結果から、俺は聞かずにはいられなかった。
「お、おい、リビ。5000って、あの、何売るん、ですか」
なんか喉がカラカラになってきた気がする。
「何って、売春ですが」
「ばい」
ばいしゅん、ってあれだよな。俺が知っている「春」を「売る」やつで間違いないんだろうな!?
「あなたの地元にはないのですか。簡単にいえば、お金をとって性交渉を行うという」
「いや、ある、あるけどさ! あ、そうだ。もっと精密にどんな行為、というか、どこまでとか」
「どんな行為って、私の性器に男の性器を入れて出す時出して、すっきりするのでは? そうですよね?」
リビが首をかしげて、隣の男に話題を振った。すると彼も当然のように頷く。
その時気づいた。今、このことに疑問を持つのはこの場所に、いや。この世界に俺一人なんだと。
「あ、もしかして興味ありましたらいつでも歓げ」
「いやいや違う! そんなんじゃない。邪魔してごめん。もういいから」
俺は頭が少し痛くなった。
売春なら日本にもある。いや、かなりの目どころといっていい。しかし、それがこんな人の多い場所で平然と行われるのが理解できなかった。
いや、もしかしたら他の国にもこういう場所が結構あるかもしれない。だとすると俺のほうがまだ場違いな考えをしているということになるだけだ。
ローマに入ればローマに従え。
これから情報収集のためでも結構出入りするつもりにある場所だ。俺も気を確かにしないと。
リビと一緒に二階へ上がる男のグループから魔王を打ち倒しに行く勇者を見送るかのよう、エールが立ち上がる。その聖職者じみた一人の冒険者は右腕を挙げ、かっこよく決めていった。
俺もまだ状況に完全に溶け込んだわけではないが、あの茨の化身みたいな娘を彼がうまく打ち倒せるよう、健闘を祈った。
リビがいなくなったとたん自分だけがこの場で浮いていることに気づいた。もう訪問証とかも入れて国から追い出されることはないとしても、それはあくまでのシステム的な問題だ。人と人の社会関係までいきなり改善してくれるわけではない。
それにフェべロスとの約束もあって、朝からは元の世界のことを気にしなければならないし、ってか帰らないとだめだ。でも未だ帰る方法など分からない状態だし、これはどうしたものか。
情けないけどべメリスさんに聞いたほうが確実だろうな。
当のべメリスさんはさっきと同じ奥の席でハープを弾いていた。居酒屋の賑やかな雰囲気と、それに似合う酔っ払い共の笑い声の中で場違いな音が奥の方から小さく流れてくる。
でも、その場違いな音程に惹かれるものは俺だけではなかった。
夜の訪れのあと、すぐに老若男女隔てることなく客が入り込んできた。すぐにテーブルは満席。店内にはいつの間にかマブラさん以外にももう二人の女の従業員が働いていた。彼女たちの手は休む間もなく、酒樽からカップに次々と酒を注いで運ぶ。
その中でべメリスを囲む数テーブルだけが、特に彼女の前方に座った5人の子供が小さなオラトリオに耳を傾けているのだった。
居酒屋という場所的に考えて実に歪な空間。しかし俺はその異様な光景が嫌いじゃなかった。
「……そこで、ローパルの王様は森の精霊王に国の象徴である剣を地面に刺しながらこう告げたのです。『この地で国王である儂が死するならば、我が民は光を失い、我が軍勢は正義を失う故、御主の民に危害を与える他ならず。お主の明達な判断だけがこの無益な血の流れを止まらせる唯一の計らいではあるまいか』とのこと。それに対した精霊王ティビアー二シスは問い返します。『儚い種の長よ、その旨は降伏を申すか』と。王様は応答します。『否、この旨、確たる勝利の宣言である。精霊と人間、双方への輝かしい勝利の』と。敵対の地へ単身で挑み、傷を負いながらも襲いかかる敵を一人たりとも傷つけず、精霊王を前にしたローパルの王様。精霊王は王様が見せた勇気と気骨、そしてその気品に心を打たれ、平和の証としてモガシの盃を交わしたのです。こうしてローパル王国と精霊たちの不思議の森は平和になったのでした」
メデタシメデタシ。
いつの間にか聞き入っていたのか、俺は子供の拍手の音で正気に戻った。一番小さい子は彼女の膝の上ですでに眠りに落ちていた。
話が終わると話の進行に伴って強弱を繰り返していたハープの弦が音を増していく。膝の上の子供はその音にあくびをしながら背を伸びた。それでもまだ眠いらしく、母に見える女性に抱きついた。他の子供もそれ同様、保護者連れのようだ。
俺は彼女に話しかける人がなくなるのを計らってそっと声をかけた。
「おもしろいおとぎ話ですね。思わず聞き入ってしまいました」
「そうですか? 嘘でもそう言っていただくとうれしいものです」
ベールの向こうから彼女の微笑みが感じ取れた。それだけで何故か今日の疲れが飛んだ気がした。
「嘘じゃありませんよ。そうだ。一つ当ててみますよ。あのおとぎ話、お題目は、『モガシの盃』といったところですかね」
「あらまあ、ご存知でしたか? これは驚きでございます」
言葉とは裏腹に全然驚いているようには見えないけど、お世辞なんだろうな。
「いいえ、初めて聞く話ですが、俺ってこういう物語とか結構好きでして。適当に当ててみただけなんですよ」
「ふふっ。そうですね。ところで、私に用があるのでしょう?」
そうだった。久しぶりの、というか女性との会話はカフェのバイトでしかなかったから、少し浮かれて目的を忘れるところだった。
「あの、実は、さっきのことの続きですが」
俺はそう話を切り出して手配の話を引き出した。
なぜ俺を手配したのか。目の届くところにおきたいとは一体どういうことか。そして俺が異世界から来たのを知っているのか。
最後の質問は彼女の答えとともに意味をなくした。
「物語を語るというのはすなわち聞くということ。私はすでに存じていたのです。ある名高い預言者の"異なる世界の勇者の手によってロワイヤンは歴史に名を残す"との予言を。この予言はこの国の王様がすでに耳にしているお話です。そしてちょうどのところ、リビちゃんに“変な服装の人がいた”と聞いたのです」
「変な服装って」
あのジャージのことか。そりゃ寝るつもりで着ていたわけだからな。まさかこんなところに連れてこれるとか誰も思わないだろ。
そもそも俺から見ればここの人全員変な服装なんだよな。
「もちろん、今のエイさんはそこまで変ではないですよ?」
「はははー。それはどうも」
黒のシャーツにグレーのデニムだったからか、どうやら色的にはこの世界でも通るみたいだ。
「それで、その変な服装の俺を異界の勇者と思って手配をしたのですか」
「ええ、その通りでございます」
勇者ねぇ。
俺なんかと一番縁のなさそうな単語がまたさらっと出てきたもんだ。
「残念ながら人違いですね。俺はそういう人間ではないので」
「でも異界人であることは確かなのでしょう?」
「そりゃあ、まあ」
自分の意志で来たわけではないけどね。
「なら人違いではないです」
居心地悪く肩をすくめる俺にべメリスさんははっきり言い放った。
「予言とは、もともと言葉の意味をどう解釈するかが要。貴方が勇者であろうと勇者でなかろうと、異界から来た者に違いはありません。勇者という、ただの者の表しにこだわる必要はないのです。むしろ肝心すべきは」
異界から来た者によって歴史に名を残す、という部分。
べメリスさんは低い声音でそう説明する。
「歴史に名を残すって、いいことなんじゃないんですか?」
「そう捉えることもできるのですが、実は今まで歴史に名を残すという文章はほぼ"その代で物語が終わる"という結果が多かったものでして。あの、ローパル王国のように」
「ああ、さっきのおとぎ話の」
歴史に名を残す。
それはすなわち"歴史として扱うしかなくなった"ということだ。
そうだな。普通歴史として重要になるのはその歴史が終わってからだ。まだ存続しているときはあえて歴史として記す必要がない。残すならただの記録で十分だ。
そして人々の口から口に渡り続く、その真っ最中のはずだからまだ歴史として扱われない。
記録がその真の価値を生み出すためにはまずその記録を見なければならない状態。
何らかの目的のためにその記録を確認する必要がある状況のみ。
つまり、滅亡だ。
王国の終わりを意味する。
この噂じみた予言は王様としてそう捉えても全然おかしくないのだ。
何にせよ、言葉とは解釈によって意味も変わってしまうもの。
歴史に名を残すほど偉大なる栄光を意味するのか。
それとも歴史に名を残すしかないような滅亡を意味するのか。
それは聞き手の見解によって受ける意味が違う。
語り手の意図を測るにはあまりにも正反対の未来が待っている。
「それでです。実を言えば王様はあなたを。いえ、正確には"異界人"を排除するより目の届くところに置きたいとお考えです」
目の届くところに置く。彼女が再びそのことを口にする。
あれは単なる決め台詞でもなんではなく、きちんとした目的のある言葉だったのだ。
つまり監視ってことか。危害になるか、それとも王国の繁栄の駒になるのかをリアルタイムで確認するための。
それはそれで惜しい気もするけど、それで当然なんだろうな。今さっき会ったばかりのべメリスさんが俺に好意をよせるとも思えないし。
「異界人の手によって歴史に名を残す、ですか。王様も欲張りですね」
勇者は関係ない。まず異界からきている者って文脈が重要だ。
きっとこの国の王様は、滅亡だけじゃなく栄光をも目に入れている。
「王様の、ロワイヤン18歳はすでに世の中に渡るほどの名声と尊敬を受けています。その人柄も尊敬に当たる人物で間違いありません。しかし巨大王国の王といえど彼とて人間。18代に渡り継がれてきた王家の名声をもう一層名高く響かせるのを拒む理由はないのでしょう。そして結局、勇者の手によって名を残すということは世界や人間にとって肯定的な結果をなすということです。それを、彼は国家と民への繁栄に繋がることと思っているのですよ」
ロワイヤン王家としてあの予言じみた噂話がポジティブな方向に転んだら文字通り栄光をもたらす。
逆に、裏目に出たら、王国は滅ぶ。
それで王様はゲームを始めたのだ。
ハイリスク・ハイリターンの一本勝負。その結果を自分の手の上で見届きたいというわけか。
うまくすれば予言すらも手の上で踊らせる、これ以上ないくらい“歴史に名を残す”ことになるだろう。
ここの王様ってギャンブラーなんだな。あるいは、そんな予言すらも自分の思うがままに転がす自信があるのか。俺がその立場だったら必ず異界人の全員を見つかり次第排除するぞ。
飼い猫一匹の命さえも俺にとっちゃ大事だ。
なのにそれ以外にも大事なものがたくさんある王様なら言うまでもない。
「それで私がちょうど個人的なことでここへ訪れたとき、彼がその話をしていまして。彼に申し出たのです。私が異界人を見届けますのでご安心くださいと」
「へえ、王様に申し出……ええ!? 申し出た? 直接にですか!?」
「はい。別に大したことではありません。彼、と言うかロワイヤン家とは少々ご縁がありまして」
「いやいや、それがすごいですって! 王様なんでしょう相手!? あ、もしかしてあの訪問証も」
「はい。あの時手に入れたものです。でないと話自体が成り立ちませんし」
まさかとは思ったが、やっぱりこの人ただの吟遊詩人じゃない!
あのときの王様直々の捺印、というのは文字通りの意味だったのかよ! 一体この人なんなんですか!?
「で、でもこのことを知っているのは片手で数えるくらいしかいないので、他言無用でお願いします、よ? あと、エイさんが異世界人であることもですけれど」
「も、もちろんですよ! 俺はべメリスさんの頼みなら、なんだって引き受けます!!」
……ん? おい、待て。初めて会ったばかりなのにこんなこと言ってたらドン引きしたりしないのか?
俺だったら絶対ドン引きするぞ。くっそ、これは絶対滑ってる。
「どんなことでも、ですか。それは楽しみですね。ふふっ」
しかし俺の心配と裏腹に反応がよかった。
彼女はきっと天使に違いない。いや、神様だ。もう神としか言いようがない!
「では夜も遅くなりましたし、そろそろ私は帰ります。ああ、そう。エイさんの寝床はリビちゃんに頼んでおきましたから」
彼女との会話が幸せすぎて大事なことをすっかり忘れかけていた。
「あの、べメリスさん。そのことなんですが」
俺は今から元の世界に帰りますとそう彼女に告げた。
続く