知らないおじさんに貰ったものは捨てるべき
チョコおいしいね。
それは突然の出来事である。
そいつはまるで当然のように俺の唯一な同居人、飼い猫のクロを抱えてはかわいがっていた。
時は夜。午前中の雑貨屋での惨敗以後、いろんなバイトの面接に回って歯ごたえのない結果を手土産に我が家へ帰ってきた俺の目の前に、黒のストレートが目立つ女の子……に見える人がいた。
「ん? 何ぼおっとしてんだ。遠慮することねーぞ」
「あ、ああ、そうだな。うん」
1Kの洋室6帖の部屋はあと数人ぐらいは収めるスペースがある。そう。遠慮などはいらないのである。
「お茶いるか?」
「ああ、すまん」
「あ、そうじゃなくてオレお茶淹れねーから代わりに淹れてくれ」
「あーそういうこと……。ちっと待ってて」
確か、茶葉はコンロの上のタンスに入れてたっけ。あ、この間買って忘れてた豚汁カップ麺見っけ。
「安ものだから、あんまり美味しくないけど」
「おお、サンキュー。まあ、どうせ味なんかわかんね」
「はは、なんだよ。そこはいやでも美味しいっていうところだろ」
「お、そーなのか。もう一つ学んだよ」
クロはいつの間にかそいつの膝から降りて部屋奥の座布団へ向かっている。確かなのはやつの中で俺の存在は最下位だ。
部屋の中は適当に淹れたお茶をすする音だけで静かな空気が心地よかった。
「なあ、あのさ。ちょっと聞いていいか」
「ん? いいぞ。どうした?」
俺はその返事を聞いてまずテーブルの上から溢れるものや壊れるものを床におろした。
さて。
「お前だr……ふっぬうっ!」
『奥義・テーブル返し』が炸裂する前にそいつの片足がどんとテーブルの上から押しつぶしてきた。
「そんな有り触れたツッコミ聞きたくて三下の茶番付き合ってたんじゃねーぞ」
冷たかった。知り合い以前に夢にも見たことない女の子に、しかも俺の部屋の中で冷たい視線を送られた。
「オレはな。もっとこう、『なんでやねーん! そもそもお前誰や!』的にやりたかったんだ!」
「なんでやねーんやりたいんならお前が突っ込まなきゃだめだろうが!!!」
「お? そーだったのか」
「ってかお前が誰なんだよ!? どこから入ってきたんだよ!?ってかお前男か女かはっきりしろよ!!」
外見は女の子に違いないのに口調がまるっきり男前ってどういうことだ。
俺はテーブル返しができなかったことの恨みを言葉にいっぱい溜め込んでいた。
一度……、一度やってみたかったんだ。あれ。
「質問多いんだけど。まあ、いい。まず、オレの名はフェベロス・ホローキャスト。虚構の魔獣と呼ばれるものだ。そしてここにはお前が朝頃に入れてくれた。あとはーああ、性別か」
するとやつはいきなり立ち上がって履いていた半ズボンを力いっぱい下ろした。
「おお? ついてないな。おい、喜べ。どうやらメスのようだ。チチはないようだが」
目の前に毛の気のないすっぽんぽんの肌色を捉え、俺は飲んでいた抹茶を盛大に吹いた。
「ぷーーーーーーふっ」
「アーハハハハ! なんだその反応は。定番すぎるだろ。あ、確かこうだったか」
なんでやねーん!と、俺の肩を力いっぱい叩く半裸の女の子に俺は何も突っ込めなかった。
ふと気づく。
ボケと突っ込みは常に表裏一体だったんだ、と。
瞬く間の凍結状態からようやく溶かれた俺は床に下ろしたものをテーブルの上に戻して、ちなみに目の前の雌しべもズボンで隠してから質問を攻め続けた。
相手が何者かもわからない状態で、考えてみれば俺もよく落ち着いて聞けたものだ。
それほど気になる話題を、この女の子は言っていたのだ。
「えーと、つまり、話を整理すると、お前はふぇべろす・ほろーきゃすという者で、その5円チョコの中から出てきたと。あと、あのロウソクは『ぐらさおろすの花びら』とかいうもので作った魔力補充用グッズで、この、レシートに何か移動魔法が書かれてあり、それで俺があっちに飛んだと?」
「何度言わせれば気がすむんだお前は。さっきからそうだと言ってるぞ」
頭がおかしくなりそうだ。
今ので5回目の繰り返しなんだが、バカになりそうだ。
もとはとあの夢の現実感からしてみれば「まさか」の可能性を考えなかったわけではない。自分でも薄々と「あれ、この夢リアル過ぎないか?」と疑問を何度も浮かべていた。
それよりあの胡散臭いサングラスの野郎、どうしてやるもんか。
さっき、ことの成り行きを聞いて思わず警察に連絡しようとしたところ、フェベロスは警察に連絡しても魔力とか説明できるのか、という極めて正論を発していた。
もちろん、警察の人を直接あっちの世界に連れていけばいいということだが、彼女いわく「実際押しかけてもあの盗掘屋はすでにずらかった後だぞ」ということである。
「というか、お前こそあいつとはどんな関係だ? まさかグルってまた俺をたかろうとしてんじゃないだろうな」
「あんな小物と一緒にするな。オレはただこの世界に来ていろんな生き物に存在を移しながらここまで辿ってきただけだ。ハエになってカエルに食べられたり、カエルが死んで土になったと思ったらそこから花になって、その花実が椰子鳥に食われてー、そいつがまた死んで木の養分となって、その木の実がたまたまカカオで、それから作られたチョコレートがまさにオレだったーってわけだよ。まあ、工場では魔力が感じれる地域に行けるよう少し宿るものを選んだけど」
要するに偶然だ、と語った。
言語やツッコミとかを知っているのもあの雑貨屋でテレビに夢中だったからだそうだ。
というかなんだそのナショ○ル・ジオグラ○ィック。『フェベロス、その命の循環』とかいう名前で企画できそうな人生送ってきたな。
いや、そもそも人生って言えるのか? 何生だこいつは。自分で魔獣とか言ってたから、畜生か?
こんちくしょー。
「っていうかさ。もういいだろ。そろそろそのチョコ食べてほしいぞ」
5円チョコ。小さな包に隠れたしょぼいチョコレートがあらすじを聞かせてもらった今は呪いの品物にしか見えなかった。
「ああ、ちょっと待ってな」
俺は5円チョコの中身を取り出してトイレに向かった。
「ホイ」
そして便器に投げる。
「あああああっ! 何するつもりだお前!?」
自由落下していたチョコを、フェベロスが見事にキャッチしていた。
ちっ。素早いやつめ。
「返せ! 便器に流してくれるわ!」
当然だ。あの壮大な生命の誕生と死とか聞かれてこうしないやつは多分いない。
予測するに、これを食べたらこいつに体を奪われることになるってことだ。
「絶対返さないぞ! オレの依代に何してやがるんだ! さっさと口開けてその身を捧げろや!!」
「誰がそんなもん食うか!」
と便器の前で食う食わないで駄々こねて数秒、俺の体当たりと同時に、そいつは手から獲物を逃した。
しかしそれが便器に流されることはなかった。
にゃーむっ
わずか三才の人生を謳歌中でいらっしゃる我が家のマスコットがそれを躊躇なく飲み込んだのである。
「「く、」」
ハモる言葉に含まれた気持ちはお互い正反対。
「クロオオオオオッ!!!」「食った!!!!!」
ってうるせ横!
俺は考えるのをやめてクロを抱えた。
冗談じゃない。依代とか憑依とかそんなレベルの問題じゃない。
猫にチョコは毒に等しい。人に取っちゃ青酸カリと言って過言ではないはずだ。
「ハ・ハ・ハ。黒猫の体、ゲットだぜ!」
そいつはもうどこかのポケ○ンマスターみたいに手を掲げて拳を握っていた。
今は夜だ。もう八時はとっくに過ぎている。俺の通う動物病院はすでに閉店してる時間だ。他のを調べるか? いや、まずできるだけ応急措置をしないと!
「お、おいクロ。大丈夫か? おい、まだ大丈夫だな? よし、すぐ吐かせてやるからな」
吐かせるやつ、オキシドールとかいうやつ、買っておけばよかった。
そもそも家に買ってくるほどチョコが好きでもないからそこまで考えていなかったのが穴だった。
まずは指でどうにかするべきか。爪はきっちり切ってるから危なくないとは思うけど。
「おい、何するんだ。それはもうオレの体に似たものだ。勝手に触るんじゃないぞ」
「てめぇは黙ってろ!」
クロの顎をがっしり掴んで口を開く。自分に迫る圧迫でクロは怯えながら喉を鳴らしていた。
指を口の中に入れたらいつになく噛んできた。だが、問題ない。消毒はあとでやればいい。
「落ち着け。落ち着くんだクロ。俺が助けてやる」
その時体が宙を舞って、床に落とされた。
瞬間、何が起きたのか頭が追いつけなかった。そしてお腹の中心部から徐々に広がる痛みが、状況を絵説明する。
俺は蹴られたんだ。
「言ったはずだぞ、人間。その獣の身体はもうオレの身体同様だと」
痛みに耐えず、床に転がる俺を見下ろしながら、そいつはそう言った。
「ば、バカヤローが……! 早く、あれ吐かさせねーとクロは死んじまうんだよ!」
フェベロスはテーブルの上にあった茶碗を俺によく見せた。
するとその茶碗の周りが、空気そのものが歪んだ気がした。
やがて、その歪な空気は瞬く間に縮み、茶碗を飲み込んでしまった。
目の前に茶碗はない。まるで最初から何もなかったように。
「"無"になるとは、案外悪くないぞ、人間」
逆らうな。死を受け入れろ。茶碗を"無"に返したフェベロスホローキャストはそう言っていた。
息を吸う自然な行動すら忘れた俺には、かすかに笑う悪魔しか見えなくなっていた。
こいつは誰だ。さっきまでボケや突っ込みや述べてたバカはどこにいる。
「さて、どうするか。あの獣が死ぬのはかわいそうだが、そのときはその時だ。亡骸を貴様の口に突っ込んで、次の移り身にしてやろうかな」
それを聞いて理解してしまった瞬間、俺は吐いた。
自分の死が近づいたことと、現在唯一の身内と言っていい飼い猫の死とともに、その遺体の行先まで。
その全てが俺には耐え難い状況だった。
「た、たす、たすけ」
自然の行動だった。俺は自分にできることをしなければならない。
「たすけてください、たすけてください! 死にたくないです!! たすけてください!!」
見の動きを制限する痛みを抱えて、できるだけ精一杯に土下座をした。
今できる最大の誠意を見せて、尽くす。
「実に、醜いぞ、人間。これがさっきまでじゃれ合った相方なのか」
上から聞こえる声はひどく冷い。どんな視線で俺を見下ろしているのかそんなのはどうでもいい。
早く助からないと、クロも助からない。
「だがそれこそ生き物として取るべき一番まっとうな身構えなんだろうな」
どうか助かるように、神に仏に祈りまくる間、頭を掴め上げられ、視線をあわせられた。
「一つ、心に刻んでおけ。この全てはお前自ら招いたことだぞ。あの雑貨屋に行ったのも、5円チョコを買ったのも、何も知らなかったとはいえ結局自分が選択したことだ。実際お前が食っておけばあの獣が死にかかることもなかっただろ」
納得できない。しかし、俺に肯定以外選べる選択などない。
「……まあ、それはもういい。ほれ、目閉じろ」
恐怖、不安、疑心暗鬼がまじりながら、言われた通り目を閉じる。
このまま、死ぬのか。それとも助かるのか。
「うっっっ!?」
突然唇に柔らかい感触がして、口の中に甘い味が広がった。
予想と違う展開に気が狂い始めた。
「お、おまっ、なに」
慌てて後ずさりすると、フェベロスは人差し指を伸ばしたままキョトンとしていた。
すぐに甘い味の正体が馴染みの5円チョコだということに気づいた。
「どうした。チョコレート、甘くないのか」
「なに目閉じろとか言ってんだよ!! 必要なのか!?」
「うーん、なんとなく? ドラマでそういうのあったから。まあよくわかんないが」
そう言い返すフェベロスの膝にクロが座り込む。
そして間もなく自分が置かれた状況を理解し始めた。
「一応助けてやったぞ。命はな」
助けた? 本当にそうなのか?
バカを言え。助かったわけじゃない。
奪われるのが命から人生に変わっただけなんだ。
本番