はたして死に際の夜空は目に入るのか
気軽な嘘は良くないと思います
「そんなに警戒しないでよろしいですよ、エイさん。私はただお金が稼げればいいのです」
あの時、宿屋『女神の休所』の店主こと"リビ"はこう言った。
話によると彼女は外部の人間を取り入れる商売もしているという。
つまり、密入ブローカーである。
その接線先になる場所はだいたいこの宿屋であり、どうやら俺が偶然ここへ向かうのを商売への申込みと思ったようだ。
「もしそのような意図がなかったとしても現在エイさんが置かれた状況は同じはずです。王国捺印が入った査証と200日間暮らせる住処の用意を基本に、お望みの方には仕事の斡旋まで。このすべてを、たったの70万ロワでご提供いたします。もちろん、支払いはピツでも可能ですが、この場合当時の為替を適用することで……大体86万ピツ位になります。どうしますか」
説明をもっとディテールに求めると、"ロワ"とはこのロワイヤン王国で発行され、西大陸全般で使われる貨幣の単位で、"ピッツ"は東大陸の共通貨幣ということを教えてくれた。
ちなみにそこのお客さんがすすっている目安500ミリのフルーツ酒が30ロワである。
さて、時々飲む生ビールが290円だったから、300円だとしてこれを換算すると……。
単純計算で700万円。
高校卒業してたった一年の無職の俺がこんな大金、現実はもちろん何時間前に来たばかりの世界で持っているわけがない。
「そんなお金ないので、帰ります」
そう言って店を後にしたのが30分前。今、俺は小さい警備小屋、交番に当たるとこに来ていた。
まあ、あれだ。
ぶっちゃけ連行された。
まさか宿屋の扉を開いたら仕事に戻ると言っていた警備兵のお二人方が待機していらっしゃるとは夢にも思えなかったもんだ。
夢だけに。
「えーそれで。エイ、20歳、無職……さんは"ニホン"という国から来た、ということですかねえ。合ってます?」
自分を"ボーベ"と名乗った見てからに肉が大好きそうながおじさんがメガネをいじりながら質問した。
軽く頷くと、彼はまたテーブルの上に開いた地図を目で追った。
「しーっかし、これが全然見当たらないんですよね。というより、もしかしてーどこかの部族とか組織の名前だったりします? 例えばこう、アルリアンのヘックサーという殺人鬼がいるんですが、そんな感じでニホンのエイさん、とかじゃなく?」
「いや、だから国の名前ですよ。というかそれより俺を連れてきた警備兵二人とあの宿屋の女グルですって! 密入ブローカーとか言ってましたから! あと俺の名前は」
パン、パン、と。
俺が話を続ける前にボーベさんがテーブルを叩いて発言をふさいだ。
「あのさ、不審者のエイさん。うちの兵士たちはね。正直で懸命なところ、あと体の丈夫さぐらいが取り柄のような連中だからね? おい、ヒッチー、トーイ。お前ら、宿屋の嬢ちゃんとなんかやってんの?」
奥の方で他の上級者と話し合っていた例の二人組が肩をすぼめてみせた。
「ほらね? 嘘はよくないよ嘘は。私はあなたのような人間をよく見てきたのですよ」
マジですか。この人正気で言ってるのか。あ、今笑った。あいつら笑ったですよ! ヒッチーとトーイがこちらをあざ笑ってますよ!
多分あなたも含めて!
「だからですね、そんな嘘ついたらこの先ますます、というか字かけないのに話せるし読めるし。
それになんですこれ。『ここは夢の世界だとかいいながら』って、もっとマシな嘘とか考えてくれませんかねー。嘘つくならもうちょっと誠意込めないと。でなくてもこの仕事笑うとこ少ないのにさー」
なんかめちゃくちゃムカつく調査官だな。このおっさん。
「おーい、ボーベちゃんよ! なーにぐだぐだしてっんだよ!! まだ仕事山ほどあるってば!」
「でもさ、隊長さんよー」
「あーっもー!」
奥の方からズタズタと険しい振動が床を辿ってくる。やがてテーブルの端を乱暴に叩いた。
どうやらこの女性がここの長のようだ。顔の所々の傷跡が印象深い。
「はーい、ボーベちゃん交代。そして、本調査官の名はキュリアでーす。よろしく」
「は」
「んじゃ、名前」
はい、の二文字が出る前に言葉がさえぎられた。
「ま」
「あ、確かエイだっけ。よし年齢」
「は、20です」
「よし、次。職業」
「あ、ありません」
「ありません? アリマセンってどんなだ? ボーベちゃん知ってる?」
椅子から立ち上がったボーベちゃんことおっさんは困ったように後ろ頭を掻いた。
「いや、アリマセンというか無職ってことで……」
「ああ、そーゆーこと……」
その時空気が変わった。空気から今までのやり取りがこの人なりの優しさだったというのが伝わった。
一瞬、大きな音とともにテーブルが割れ、気づいたら俺は胸ぐらをつかめあげられ、宙に浮かんでいた。
「てっめえ、ふざけんじゃねーぞ! 20もなって働かないやつとかいるわけねーだろうがよ!
この期に及んでまだ嘘っぱち吐くのかよ、ああん!? この場で死にてーか!?」
「く、ふっ、ほ……ほんと、いや、た、たすけ」
体が酸素を要求するに連れ頭の中が白くなる。
やっとわかった。
これが、この状況が無職に対する世間の波風というものなのか。
「素直に吐け、てめえ! どこぞの斥候だ、ああん!? 海賊か!? ヒューノイか!?」
そんなわけのわからない固有名詞だらけ乱発されても頷けないんですよ。
あと身体楮的にも頷けないんです。
「た、隊長! また殺しちまったりしたらもっと予算削減されますって!」
「隊長!」「たいちょおお!!」
みんな予算に敏感なのか俺を連れてきた二人もが隊長を抑え始めた。
なんだか、色んな意味で目が潤んできた。
外から大きく鐘の音が響く。
その音に紛れ、ドアの開く音がした。
国中を18回の鐘の音が回ると、ロワイヤン王国上空に向けて一本の光柱が打ち上げられる。
その光がロワイヤン王国第一魔防軍が放つドームバリアーの頂点に到達する時、"夜"が始まる。
王国全体が薄い蒼色につつまり、質素な下地に宇宙の外から流れる星空を真似た光の粒が彩られる。
ロワイヤンの国民にとって一日恒例でもあるその天体のオーケストラは王国の治安とともに世界へ自慢すべきもう一つの真骨頂である。
毎日拝みながらも飽きることのないその美しき光景を、東地区第三警備隊一同もまた感想していた。
そこへ訪れた『女神の休所』の店主、イスター二アー・リビリックは彼らを邪魔せず夜の訪れが終わるのを待つことにした。
やがて夜が完成され、彼らがどの当たりの星が一番光るかの賭けに出たところ、彼女は用件を伝えた。
「キュリア姉さん。例の"吟遊詩人"の人がエイさんの保証を買って出たのですが……っと」
警備隊事務所の内部を見渡した彼女が多分キュリア警備隊長が壊したはずであろうテーブルよりも気になることを尋ねた。
「肝心のくせ者さんはどこですか」
その事実に気づいて首を傾げたのは彼女ではなく警備隊一同のほうだった。