森の中の合唱-8
彼が俺の腕からメーリアを放せてから間もなく、彼女が目を覚ました。
メーリアは目を覚ましてすぐクェヴェンが負った怪我を治療した。
呪術なのか魔法なのか。
それとも海神の巫女としての力を施したか。
凡人にはわかるはずもない虹殻の巫女は徐々に彼の体をきれいに癒やした。
その二人の光景は実際の距離よりも遠く感じられて、また自分がいる世界の現実感を希釈させる。
「どこへ行くつもりだ、エイ」
「お腹が減ったんだよ」
「そうか。……万が一にも余計な真似はするんじゃない」
お前には何もできない、とでもいいたいのか。
俺は彼の言いつけを鼻であしらって部屋を後にした。
あんたの助言など興味ねー。
一階へ降りたら宿の客らしき冒険者パーティーがチェックアウトを行っていた。
思わず会話を聞いてしまったが、時折聞こえる「ベン」という名前が昨夜のごとく混じっていた。
本能的に顔を向けると、長剣を背負った背の低い少年とその両側を弓使いと魔法使い。あと拳士に僧侶に盾使いの5人の女性が続く。
5人?
「ベンくん、昨日はごめんね? 疲れたでしょ」
「大丈夫だよ、姉さん! ぼくは、みんなのおかげで身も心も万全回復だから!」
「「「きゃあああ! かわいい!!」」」
僧侶の言葉に満面の笑顔で答える少年剣士は他5人の女性パーティーにちやほやされながら店を出ていった。
「5人……」
俺が寝られなかった原因の7割は多分あいつらのせいだ。
昨日まであった真の男への尊敬など、もう俺の中にはなかった。
「おはようね~! エイ」
「おはようございます、マブラさん」
情欲の嵐みたいなハレムパーティーのチェックアウトをしたマブラさんが俺に挨拶をしてきた。
マブラさんといえば、この世界でべメリスさんと共に俺に良くしてくれる数少ない女性で、のほほんとしたお人好しのおばさんだ。
ここに来た初日も、リビに騙されてこき使われたときも大変世話になっている。
「そうそう、ちょうどいいわ! はい、これ! りびちゃんが君に渡してほしいって」
「あいつがですか?」
彼女が後方の棚の下から小さな袋を取り出して俺に差し出した。
軽く振ってみるとかちゃかちゃする音が余計に響く。
口を開けると銀貨二枚と銅貨が数枚見えた。
合計で3千ロワあたりか。ちょうど俺がたかられて増えてしまった借金と似ているな。はは。
「うふふっ! 昨日も手伝ってくれたでしょう? これまでも頑張ってもらったし、おばさんから見れば全然足りないと思うけど」
「ははは……」
あのリビのことだ。あとでどういう形でこのお金を取り返しに来るかわからない。
それまでになんとかして全部使っちまおう。
「でも良かったわ。昨日はなんだかお客さんたくさん来てくれたから、おかげでみんなにもう少し給料をやれたのよ? 普通はみんな表の店に行ってしまうものね」
昨日の客。
船が出せず足止めになったせいで普段より多めの客が居座ったんだ。
さっきのハレムパーティーもそうだ。みんな船を使って他のところに出航するつもりだったはず。
それがあの事件のせいで……クェヴェンのせいで起きている。
「あれ、どうしたの! すごい顔色!」
「あーはは、ちょっと寝不足で」
違う。確かに寝付けてないけどそんなんじゃない。
上の階にいるおっさんのことを考えていただけだ。
「マブラさんは、間もなくこの国が滅んでしまったらどうしますか?」
どうしてそんなことを聞いてしまったか自分でもわからない。
「ねえ、本当にどうしたのよ。そんな怖い話して。まさか悪夢でも見たの? 上で休む?」
だけどマブラさんはそんな愚問に真面目に心配してくれている。
「あ、やっぱなんでもないですよ。俺もそろそろ帰らないとですね」
「そう? うーん、気をつけてね。ちゃんとご飯食べるのよ?」
「はは、ありがとうございます」
そんな何気ない気遣いで心に響くほど、俺は人情に飢えていたんだろうか。
そもそも帰る、と口にしたものの、どこに帰るつもりなんだ、お前は。訪問証を解除しても俺を帰らせてくれる夜の魔法なんてさっき解けたばっかだぜ。
店を出て空気を吸った。
魔法で作られた夜でも、夜明けすぐの冷たい空気はリアルなものだった。
路地裏を出て表通りまで歩く。
なんの当てもなく歩いて、まるで初めてこの世界に来てしまった時と同じく時間を潰す。
冷たい空気。行き交う人の群れ。地面を揺るがす馬車。異種族。冒険者。空を飛ぶ巨大な鳥。鐘の音……。
そんな「等など」で語れるものの真ん中で途方に暮れているのはあの時と同じだ。
俺はなぜここにいるんだ?
ふとべメリスさんに会いたくなった。
会って、話がしたかった。
話をして……何を話す? わからない。
だとしても彼女に会いたい。いや、話さなくてもいい。心の落ち着く場所にいたい。
ただ安らぎを求めて震える手足を無理強いして、街をさまよった。
街をうろついて十分。
残念なことに俺が出くわしたのは安らぎではなく、リアルを当てつけてくる銀色の鎧の群れだった。
道を埋め尽くす警備隊の面々。
街の住民が何事かと目を丸くしていた。
たくさんの鎧の行列に知り合いの顔が見える。
キュリアを先頭にした3番隊の全員と、先日、会合で同席した東区警備隊の人達。
ざっと見て数百にも及ぶ兵力が港に向かっていた。
「よ、こんな朝早くに珍しいじゃん、エイ。どうした」
あくびをしていたトーイが俺を見つけては隊列から出てきた。
なぜか昨日、エティーヤに店の手伝いをさせた後、キュリアの伝言を伝えたら少しは俺への敵意が収まっていた。
理由はわからないが、脅してくるやつが少なくなるのはありがたい。
「散歩だよ。で、なんだこの群れは。みんなで遠足でもいくのか?」
俺はおおよそ予想はついていたが、一応聞いた。
「お気楽でいいなおめぇは。まあ、あれだ。おめぇも知ってるように、あの魚人族どものせいでせっかくの休暇が台無しってこった。食えない魚じゃやる気でねーし、だりぃーし、やべーわこれ」
ケラケラと笑って苦情を述べていたら彼の兜が叩かれた。
「勝手に隊列から外れるんじゃねーよっと、エイか。どうした。顔色わりぃな」
部下を呼び戻しに来たキュリアからの第一の言葉だった。
一体俺はどんな顔をしてるんだ。
「いやぁ、ちょっと寝不足なんで。はは」
俺の返事にトーイがにやりと笑った。
「そこは触れないで置きましょうよ隊長。こいつ、宿の客と一晩中お楽しみだったんっすよ」
「お、おおーう……そっか」
煮え切らない感じで俺から一歩、キュリアが離れた。
「そんなわけねーだろ!」
「いやぁ……なんというか。確かにやつれてるように見えるし……うん。聞くもんじゃなかったな。ゆっくり休めよ!」
多分誤解したキュリアはトーイを連れて隊列に戻ろうとした。
だが、彼女は離れることなくまだそこにいる。そしてキョトンとした二人が、俺を見た。
「お、おい。本当にどうしたお前」
気づけば俺は彼女の手を掴んでいた。
「あ、いや……なんでも」
我に戻って手を放すと二人は急いで隊列に戻った。
ヒッチーや他の仲間がトーイを叱るところが見える。
遠く離れていく。
やがて警備隊の姿が見えなくなるまで、俺はなんとなく立ち通していた。
子供の声がした。
心地よい水の音が、温かい日差しが全身を弄る。
深く、深く、息を吸うと映る景色が徐々に色合いを濃く、強烈な彩度を帯びていく。
心地よい水の音が荒波に。
暖かい日差しが燃える炎に。
子供の声が、悲鳴に。
高い上空からどん底まで一気に落とされる感覚が全身を支配する。
燃え上がる街の中に溢れ出す魚の群れ。
数百、数千、数万……数千万。
魚の荒波は炎に己の身を焦がしながらも前進をやまない。
まるで自然災害のような光景を前にして、耳元が鳴った。
「苦しいのか?」
はっ、と両目を開いた。
温かい日差しが眩しく、耳元に響く子供の声と吹き出される水の音がした。
そうだ。俺は東区の広場で、寝ていた。
噴水の近くにあるベンチで寝落ちたんだ。
そのはずが、頭が痛い。
正確には頭の裏側が鈍痛でいっぱいだ。
「なんだ、ベンチより地べたの方が寝心地いいのか?」
黒い長髪が俺を見下ろすと、ちょうど日陰になって目が疲れない。
「もう少しそのままで」
「いやだ。オレにお願いをするんなら自由が丘でショートケーキぐらい買ってきてから言え」
「ちょ、うわっ!」
いきなり退かれたせいで、再び日差しが防御なしの両目にクリーンヒットした。
俺は地べたの上で数回悶てからやっとベンチまで上り詰めた。
「んで、お前がなんでここにいる」
「それはこっちのセリフだ。なぜ戻ってこない。お前のせいで餓え死になりかけているぞ」
俺の横に座りながら自称虚構の魔獣、フェベロス・ホローキャストが我が家の近況を知らせた。
「クロがか!? お前、あれほど餌はちゃんとやれと!」
「アホ! オレがだ! 昨日一日、何を食ったと思う!」
「ああ、お前がか。ならいいや」
むしろ一日食べ損ねたくらいで死んでくれないのかな……。
まあ、でもこれで一安心だ。昨日帰らなかったせいでクロの心配はしていたが、一応前にもやったことあるしこいつを信じて正解だった。
「へっ、だと思ってお前の財布にあった松○のクーポン全部使わせてもらったぞ」
「お前なぁ」
こいつめ、人の財布勝手に漁るとか普通なら通報沙汰だけど、あんなクーポンくらいどうせそのうち使えないからいいか。
「あと、お前のTSUTA○Aポイント使ってさっきまで夜通しアニメツーリングしてきた」
「てめぇええええ! あれ4年間貯めてきたもんなんだよ!」
あとで彼女できたら使おうと思ってたんだよ! 一緒に夜通しでいろんなジャンルの映画みて最終的に涙ぐましいラブロマンスで決めようと思ってたんだよ!
それを4年も貯めてしまいました、はい!
「安心しろ。13ポイント残してある」
「そんな中途半端いらねーよ! 悪魔か貴様は!」
「熊じゃない、魔獣だ」
クソ魔獣が! 人間社会満喫しやがって! こっちはアク○マンにさんざん振り回されてるってのに!
「そもそもお前が悪い。主人を置いてなに日向ぼっこしてんだ。じじぃか」
「誰が主人だ。俺からすればお前は、人質を捕った凶悪犯なんだよ。それに、主人を語るなら、お前の依代はクロだから、クロの主人の俺がお前の主人だろ」
「バカ言え。あの毛玉はお前を飯使いとしか思っていない。そして、あの毛玉がお前より上位である以上、オレもお前より上だ。わかったか!」
「くっ……!」
確かに、思い返して見ればクロを拾ったときから今まであいつが俺になついたことなど一回もない。
それに、猫の性向を思えば、主人というより同居人、あるいは手下の部下に思える傾向がある。
もちろん犬のように懐いてくる猫もいるが、少なくともうちのクロは正真正銘のマイウェイだ。
その理屈で言うなら、クロと直接つながったフェベロスに言い分ができてしまう。
「ま、まあそんなことはどうでもいい。つーか、なんでわざわざ来たんだ? そのうち帰るつもりだけど」
「あ、お前流そうとしてるだろ」
「ハハハ、何いってんだよフェビちゃん。俺はあくまで君のことが心配なだけさ」
「勝手に略するな。絵に描いた嘘つくな。そしてキモくな」
フェベロスが思いっきり引いた。
あと最後はキモいでいいと思う。
「いや、本当だよ。俺はもうここにいたく」
そう言いかけて、淀んだ。
何を言おうとしたか気づいて、目の前の人物を目にした。
俺がここに来るしかなくなった原因が目の前にいるのに、俺はそんなことが言えるのか。
そしてそれを見逃すほど優しいやつでもなかった。
「それで、一日もここにいたんだ。なにか掴んだか? 光の守護者に対する情報」
忘れていた、とは言わない。確かに覚えてはいる。
しかし、みんながみんなおとぎ話の類で思っている以上、手も足も出ない状況だ。
それこそロワイヤンの成り立ちに関わった激動の守護者と同じネーミングを持っている。
真面目に答える連中なんて、見たことがない。
「さっぱりだ。相手にされないよ」
「図書館はないのか? ここはロワイヤン王国だろ。オレが覚えている頃とは全く違うけど、記録ぐらいあるんじゃないのか?」
収得なしで怒ってくるのかと思ったが、フェベロスは冷静だった。
「わからない。まだ東区から離れたことも少ないし……なんならお前が直接調べばいいだろ」
「それができてたら、一々人間に頼らねーけどな」
するとフェベロスは空を見つめた。
俺には何も見当たらないそこに何かがあるのか。
「ちっ、どんどん早くなってるな……。まあ、オレのことはいい。そんな状態じゃ、頭に何も入らないだろ。今はお前のやりたいようにやれ」
「はあ? いきなり何んだよ。俺のやりたいようにって」
俺が逃げ出したがっているのがバレたのか。しかし、それを許すフェベロスでもないはずだ。
じゃあこいつは何を言っているんだ?
「オレに聞いてないで鏡でも見ろ。うなされたのはお前自身なんだぞ? 心掛かりがあるなら先にそれから片付けろ。鬱陶しい」
「あっ、おい!」
そう言って、フェベロスは走り出した。
すると間もなく、空気を切り裂く音とともに空が曇った。
『うむむ、確かにこのあたりで凄まじい魔力が……』
訂正。空が曇ったわけではなく、巨大な鳥によって視界が塞がれたのだった。
いつも空を飛んでいたあの巨鳥が、今はすぐ近くまで降りて来ていた。
そいつは目をキョロキョロをして周りを探索していた。
『ふむ、また勘違いか。近頃、変な魔力の動きが多いせいで困る。魔法使いどもめ……ん?』
巨大な圧迫感に固まった俺と目が合った。
『……最近はアンデッドも取り入れているのか。この国も終わったね』
俺が呆然と気を抜いていたところで、鳥は飛んでいってしまった。
アンデッドって、確かあれだ。ゾンビとかスケルトンとかの死体の総称だ。
確かにリザードマンとか魚人族とかもいるし、驚くには今更だな。
「って何失礼なこと言ってんだ!! 俺はまだ死んでねーよ!!」
渾身の叫びは相手に届くはずもなく周りの視線を集めただけだった。
しかし、なぜかみんなから拍手とともに「頑張れ!」と励まされたのである。
多分みんな勘違いしているな。
でも、頑張らないといけないのは事実だ。
やりたいようにやれ。
その一瞬にして自由すぎる響きは、俺が望む"平和"とは全く正反対のものであり。
そして誰も望まないものでもある。
それは自分自身にとっても同じで、戸惑って、またその戸惑いを喉の奥に押し込む。
誰かに「どうしてそんなことをする?」と聞かれたら、多分マシな返事はできない。
幼稚で恥ずかしいその行動原理では、きっとその場を逃げるか話をそらすだけになる。
そんな未来が目に見えても、ため息一つついて一歩、次の一歩を踏み出す。
誰かのいうとおり、この世界に味方がいない俺は。
そして誰かのいうとおり、腰抜けで弱い上に、誰も望まないことをやろうとする俺は。
少なくともロワイヤンの王様が恐れるくらいの異界人の勇者ではなりえないだろう。
なりえるとしたら、たかが嫌われ者。
大丈夫だ。恨まれるのは慣れてる。
それこそ首を狙われるほどに。
「なーんちってな」
らしくないセリフを良くも次々と浮かべて、見知らぬ建物の前についた。
堂々と掛かった看板は目指した先が正しいと示した。
『ロワイヤン冒険者組合―東区支店―』
ここから俺の、俺による、俺の為の詐欺が始まる。