森の中の合唱―6
「信じられねー。何が支援金だ。あたしが見た予算案公文では、我ら3番隊も他の部隊もそこまで差はなかったんだよ。なのに支援金だと? ふざけやがって。全部手前の懐に入れてるってこったろ!」
時間の無駄な会合を終えて、道をわからない俺をキュリアが店届けることになり、ボーベはそのまま夜勤の続きで勤務地へと戻った。
帰路の途中、キュリアは頭を冷やしたかいもなく、こうやってブツブツ不満を漏らし続けていた。
「そりゃ、あたしだって自腹で鎧の修繕とかしてるけどさ、いくらチンケな給料だって守るべき線があるだろうが! そうだろ?! な!」
「まだ酔ってます?」
「むしろ酔ってればいいのになぁ、あいにくさっきのあれで全部覚めちまったよ」
俺も賄賂をもらって贔屓したりするのはよろしくないと思うが、逆にここまで悪口しているところを見ると肯定しづらくなる気持ちもある。
だからといって裏で金をもらったりすることを認めるわけではない。
「それはそうと、ボーベちゃんには悪いことをしたなぁ……、少し自重せねば」
ため息なんかついて今度は何を愚痴るかと思えば、予想外にも役立たずおっさんを気にかける言葉が出た。
「あんな腫れ具合になるまでリンチしておいて何を今更」
「は? ……ああ、あれか。ありゃあたしじゃねー。あたしが厠に行ってる間に、どうやら酒場の従業員のお尻触ったらしくてな。戻ってみたらああなってた」
まるで日常話でもするように投げつけられる真実に、俺は思わず顔を覆ってしまった。
おお、ボーベ。あんたって人間は一体……。
「まあ、あれでも悪いやつではないんだよ。支援金を横取りしないだけでマシだろ?」
「いや、そこ庇えるとこじゃないでしょ。ってかそこまで信頼できる人ですかボーベちゃん」
割とボーベの肩を持つキュリアに当たり前の質問をしたら。
「あ、あとで確認してみる」
と、よほどの部下思いでも庇い切れない人間ということが判明した。
それから続く仕事の愚痴や部下の自慢、主にボーベの失敗談などを聞いているうち、結局話題は最初に戻っていた。
「はぁ、どうするもんかね。今回の件……あたしたちだけじゃ手に負えない気がするんだが」
「それならキュリアさんの言ったとおり軍隊とかに報告したらどうですか。意外とあっさり解決したりして、はは」
すると彼女は自嘲めいた悪態をついた。
「おめぇはいいな、何も知らなくて。ここはロワイヤンだぞ? 防御魔法で右に出るもののない、名高い国だっつーの」
その悪態が俺に向いたものではないというぐらい、彼女の性格が見えてきた今ならわかる。
「あ、もしかして、すでにー……」
彼女は返事の代わり間をおいて、少しだけ首を動かせた。
「そんな些細なことで一々寄るな!ってさ。警備隊なんかの末端の話じゃーなぁ。恥ずかしながら国のために励む同士でも格をつけたがる連中だ。聞く耳持たずでキュリアちゃん悲しい~」
似合わないノリしてまで笑い飛ばしたいのだろうか。しかし、彼女の笑みは至って乾いていた。
国に尽くすものとして否定したいはずの事実を肯定するということは、それぐらい内側の事情に詳しいということだろう。
だからこそ彼女はあの場で"非常事態"と言ってまで商団に告げていたのかもしれない。
警備隊が夜詰めで働くようになったのも、多分三日前から続いた事故のせいだろう。
すでに何隻も沈められて、考えるだけで百人以上は海の底に消えた現状で、ご自慢の防御魔法を頼りに仕事は末端の部署に前任し、と。
それは平和ボケなのか、はたまたこれ以上のことが日常茶飯事に起きて危機感が薄まれたか。
どちらにしてもいい傾向ではないと思いつつ、心の中でまた唱えた。
俺には関係ない、と。
店の近くまで俺を送ったキュリアは今日のことをお詫びと一緒にヒッチーとトーイに伝えてくれ、と言葉を託して背を向いた。
もしかしてと思い、行き先を聞くと予案の定、警備小屋に戻るらしかった。
最悪の初印象で悪いイメージしかなかった彼女だが、今の俺からは憐憫の感情しかわかなくなった。
ドラマに出るブラック企業で働くO・Lの部長が多分、あんな感じなんだろうな。
あとで一杯おごってやろうか……金があればだが。
胸の奥で涙を拭いて店の扉を開くと、俺を発見したリビが凄まじい速度で走ってきた。
「どこ行ってたんですか! 遅いですよ?!」
「あの警備隊長さんに捕まれたんだよ。ってかエティーヤが言ってなかったのか?」
俺はいつの間に戻ったかカウンターの近くでひとり酒をしている女性を指にした。
その場では逃げていたが、あの女のことだ。多分俺がどこに連れて行かれたかくらいは知っていたはずだ。
「え、エティー~!? 知らないって言ったじゃない!」
「し、知らないとは言ってない。どこかに行ったと言っただけで……」
リビの苦情にあのエティーヤが口を淀む。
流石に愛しの妹には弱いのか、俺に対するような敵意は全く感じられない。
しかし不満を示しながらも焦りが著しく、リビは俺にエプロンを渡してきた。
「え、何だこれ」
「何って、話す時間も惜しいですよ! 注文控えてますから!」
目を動かして店内を一周したところ、確かに普段より人が多かった。
それはもうカウンター席がいっぱいになって、予備のテーブルまで倉庫の入り口近くに配置して満席になっている。
「おい、今日はなんでこんな多いんだよ!?」
「どうやらなんか問題が起きて船が出せなくなったみたいなんですよ! もうここだけじゃなくて宿もいっぱいですから!」
なんかの問題がどういった問題なのかわかりきっている俺は、頭が痛くなっていた。
「ま、マブラさんか、ほかの人は?」
「厨房に決まってるじゃないですか! さあさあ、稼ぎどころ逃しちゃ罰当たりですから!」
「ちょ、おい!」
もう待つまじきとリビは直々エプロンを俺にかけて手を強引に引いた。
彼女に引かれる最中、視界の端で愉快に眺めている女を、俺は見逃さなかった。
俺はわざと、誰もが聞けるぐらい大きく独り言をした。
「ああー、そっかそっか! お前の仕事も手伝わずにそこで酒なんか飲んでいるエティーヤさんは、どうやら俺よりも役立たずみたいだな!?」
「あっ、エイさん! エティーは―」
そこでパン!と、テーブルを叩く音が店内に響いた。
彼女の持っていた木製のジョッキが割れ、紫の果実酒がテーブルを伝って床に水溜りを作っていた。
「ああーやっぱ~そっか! ジョッキ一つマトモに扱えないんじゃ、邪魔にしかならねーよなぁー!」
なぜ自分がそうしたのか、これだけはわかる。
俺は多分リビの助太刀要請を断れない。だけど、働きたくない!
しかし、それでも受け入れるに決まっている俺なら、せめてそこで俺を笑い者にしているやつを道連れにする。
そういった、歴とした理由があったのである。
ただ尋常じゃないのは彼女だけじゃなくリビと店内の常連さんたちで。
エティーヤは上着をかっこよく外して、なぜか拳を鳴らした。
こ・う・か・い・す・る・な・よ。と、音にならない口だけのメッセージを俺に送った。
それからのこと。
エティーヤの仕事ぶりは俺の予想とは全く違うものだった。
その荒事向けに鍛えられた身体能力、生死を問う場面で常に生き残る判断力、そして恐れを知らない特有の凛々しさを生かして、リビのPRのように迅速かつ正確に、お客様のオーダー通り該当のテーブルへ着実に皿とジョッキを運んでいた。
つまり、中身が追いついていなかった。
「絶対わざとだろお前!」
「違う。わざとじゃないよ」
そう口にして、ひそかに笑みを浮かべて。
まるで「思い知ったか」と勝ち誇ってるようで、イラつかせる。
あっという間に店内は酒と料理で散らかされた。
当然、怒ったお客が苦情を述べたり、店から出て行ったり。
それでも入店してくるお客の案内にまた人員を要するくらい、店は込状態で。
元から事情を知っていたらしい常連たちはただ顔をゆがめてオーダーを繰り返した。
そして何よりも状況的に苦しいのは俺だった。
「だから言ったじゃないですか! エティーは本当にダメなんですよ!」
「あれがダメに見えるのかお前は! わざとだろ、わざと!」
それはリビだけじゃなく、常連のお客さんたちも同じだった。
そして冒険者の連中も、運行中止で滞在した船員たちも。
みんながみんな、場の流れに投じてミスを起こしているエティーヤではなく、俺を叱咤する。
こんな状況、高校から3年間カフェでバイトしていた俺にだってない。
こんな場面の真ん中にいて、まともに働ける人間がはたして現代社会にいるのだろうか。
断言できる。いない。いるわけがない。
いたら、いけない。
「いい加減黙れてめぇらあああ!!」
腹の奥からすべての怒りを集めて、心からの叫びを放った。
エティーヤに対する不条理に似た片持ちが、俺を切らせた。
「何がダメだ! 何が元からそうなんだよ! あんたたちの目は節穴なのか!? この状況下でこいつの肩を持てるほうがおかしーだろ!」
俺は床に落ちて出せなくなった肉料理の一部を取ってそのまま食べた。
おいしい。
ベリーを混ぜたソースを塗って焼いたような肉はほのかな甘みと香ばしいコショウが……どうでもいい。おいしい!
お金なしでこの世界の料理など口にしたこともない俺に取っちゃ、床に落ちた料理でさえ美味たるものだった。
「あのな、これ作ってる連中が誰か知ってんのか!? 俺よりあんたらのほうがよく知ってんだろ! ヒッチーとトーイだ! あいつら、休暇届け出してまでこいつの手伝いなんかしているバカなんだよ! そのくせ、こんなおいしいもん作れるとかふざけんな! あと、お前!」
俺は怒りのあまりに自分でも何を言っているのかよくわからない状態で、今にも襲い掛かりそうににらんでくる張本人にの両肩をつかんで、思いっきり叫んだ。
「焦りすぎだ!!!」
それにきょとんとしたのはエティーヤだけではなく、その場の全員だった。
まるで俺の言葉が伝わらなくなったように、解釈を求め目を回している。
しかし、野次馬などどうでもいい。俺はこいつと話している。
「いいか、お前があの二人組をどう思ってるか知らないが、だからって食べ物を粗末にしちゃダメだろ! それともなんだ? これはお前なりにあいつらへのいやがらせなのか!? リビに材料費の損害を与えたいのか!? 厨房にはマブラさんだっているぞ?」
「ちがうっ! そんなわけないでしょ!!」
俺の問い攻めに彼女の聞いたことのない高いトーンの声がした。
こいつはやっぱり身近な人間を出しにされると弱いな。
よし、これで言い逃れはできなくなった。
俺は彼女の耳元で彼女しか聞こえないようにつぶやいた。
「じゃあ、勝負だ。今から俺が三つ運ぶ間、お前は必ず、必ずだ。一つだけ運ぶこと。わかったか? もしかして、そんなこともできないのか? じゃあ、お前の負けだ。お前は俺より役立たずで能無しだ。いいな?」
俺はプライドの高いエティーヤが挑発に乗ったときと同じ方法で彼女を棚の上にあげてから、仕事に戻った。
俺が黙々と床の掃除から配膳に回っていると背中に目が開いたくらい視線が感じられたが、無視することにした。
すると彼女は俺に言われた通り一つの皿だけを運ぶ。
しかし、速度が前と変わらない。相変わらず中身がほぼ転落していた。
人間、そんな簡単には変われないってことか。
なら方法を変えるか。しかし、素直に俺が言うことを聞くとも思えない。
「そういえばさ、お前。腕前のすごい懸賞金狩りらしいな。もしかして打った矢とかも掴めたりできるのか?」
「いきなり何をー」
と言いかけた彼女は、眼光を燃やせながら俺を射抜く。
「い、いやちょっと気になってさ。あー忙しい忙しい」
多分、俺の意図に気付いたんだろうな。
そして次の彼女の運搬が開始されたとき、相変わらず皿から料理が落ちた。
しかし落ちた料理が床に届くことはなく、すべての中身は見事にキャッチされ皿の上に戻っていた。
当然、見栄えは期待できないが、中身半分が消えていたついさっきに比べりゃ、お客もさぞかし嬉しいだろうな。
もちろん雇用主であるリビもだ。
だが、運ぶ数を自分を基準にしたわけで、要は俺の配膳速度だった。
結局、注文を間に合わせるとなると、俺がはりきらないといけなかったわけだ。
ということで最終的に俺は、閉店時間を一時間残したあたりでギブアップしたのである。
俺の負け宣言で機嫌を直したエティーヤはもう制限なしにハッスルしていた。
それでも最初より安定した振る舞いを見せるようになっただけでマシだというべきか。
白旗を掲げたとはいえ、勝負をかけたのは俺だったので、俺は閉店を迎えるまで店の賑わさに紛れ、仕事終わりの酒を楽しむことにした。
幸いと言えば、さっきの醜態をべメリスさんに見せてないことくらいか。
ふとそんなことを考えていると、エティーヤが披露した『二重中身取り技』に対する拍手喝采が店内を揺らした。