森の中の合唱―5
人魚メーリアにとってはじめてのロワイヤンの夜。
成功の証として、彼女はまだ二階の部屋に居座っていた。
目を離すとなるとさすがに不安でしょうがないのだが、お腹いっぱいになったメーリアは窓の外の文字通り魔法みたいな夜空を眺めて、鼻歌を歌っていた。
クェヴェンが帰ってくるのは明日の朝だと言ったら、少ししょんぼりしてたけけど。
その後姿をあとにして一階に降りた途端、俺は例の警備隊長キュリアに捕まっていた。
「なんで俺が」
「つべこべうるさいな、お前。あたしの酒が飲めないってのか!? ああん!?」
「キュリアさん、今入ってばっかですよね? まだ飲んでないですよね? なんで酔ってます?」
「いいんじゃねーか。そのうち酔うから」
よくない。というかわけわかんない。理解できない。
「あたしは今日、久々に気分がいいんだよ! あの働き者のヒッチーとトーイが、久しぶりに休暇を申し込んだんだからな」
働きものという部分が引っかかってしょうがないが、突っ込んでも気を触るだけなのは目に見えることである。
「じゃあボーベさんとか他の隊員に相手してもらったらどうですか」
「バーか、あいつら全員夜詰めだ。自分が日直だからってそうやすやす誘えるか」
確かに。夜通しで勤務というのに日帰りの人に一杯とか言われたら嫌味にしか聞こえないよな。
言葉遣いから自分勝手に周りを振り回すようなタイプだと思っていたが、意外としっかりしているらしい。
いや、働き詰めの部下が心配だーって、もしかして普通にいい人なのでは?
俺が恐る恐る自分の様子を窺っていることに気づいたか、キュリアはプリオ一杯を勧めてきた。
「部下思いには見えないって感じだな。まあ、あたしゃこんなんだからそう思っても仕方ないけどよ……」
俺が手に取るのが待ち遠しかったように、先に自分の一杯を口にして、カウンターの奥、幕で隠された厨房の方を指さした。
今、その中にヒッチーとトーイがいるらしい。
どうやら次々と客のテーブルに運ばれる美味しそうな肉料理は彼らの腕前だとか。
「あいつら、休みとか言ってたくせに今日も街で見かけたんだよ? 鎧まとって、槍持って。それこそ警備隊のまんまで街をウロウロしてたわけよ。信じられるか?」
「あ、ああ。そうですね」
何だ、この人。結局愚痴を聞いてくれる相手が必要だっただけなのか。
しかし身内に対する愚痴ともなりゃ赤の他人に言いたくもなるか。
「それであたしは言ったわけだ。そんな働きたいなら妹の仕事でも手伝え!ってな。まあ、あの様子じゃちゃんと聞いているみたいだが」
ん? 今なんて。
「えー妹?」
「ああ? 何だお前。知らなかったのか? あたしゃてっきり……うわぁ」
予想外のプロフィール更新に驚く俺と、滑ってしまった口を塞ごうと酒を注ぐキュリア。
そして右から席を取る者がいた。
「別に大したことでもないし、大丈夫よキュリア」
エティーヤだった。
片手に酒を持っていつもひとり静かに飲んで帰る姿しか見ていないから、こうして同じテーブルにいると変な気分だ。
ちなみにその変な気分の95%は命の危機に対する生存本能でできている。
「珍しいな、エティー。あんたが男と同席とは。おい、いつの間にエティーと知り合いになった?」
キュリアは好奇心丸出しに聞いてきた。
「知り合いというか、偶然一緒にリビの手伝いをしたくらいですよ」
「ふーん、そっか」
一応嘘はついていない。
キュリアは俺の説明に少し煮え切らない返事をしつつも、気にする時間に酒を飲みたいらしく、次々とジョッキを空にしていった。
彼女が酒で口を満たす間、エティーヤが話を続けた。
「私とリビ、ヒッチーとトーイは同じ孤児院で育ったの。だから皆姉弟で、家族かな。他にも何人いるよ」
「へ、へえ。そーか」
一瞬、今日の出来事が凄まじい速度で浮かぶ。
妹の悪口を言われたらそりゃ怒るだろうけど、にしても俺は悪くないはずだ。
……はず、だよな?
俺は込み上がる罪悪感を払うのに酒の力を借りることにした。
「しかし、いくら大した事じゃないといえ、あまり言いふらさないでもらえるといいけど」
含みのある言い方が何を意味するのか、彼女の左手が腰当ての短剣の鞘を改めることで確信した。
「あ、ああ、もちろん。俺もそれぐらいはわかっている」
やはり、この女が同席したのは俺の監視のためだ。いざとなったらクェヴェンの条件など関係なしで俺の首に取り掛かるだろう。
「どうした、エティー。いつもよりご機嫌斜めじゃん。せっかくの酒がまずくなるよ?」
さすが警備隊長といったところか、自分の至福の時間を乱しかねないエティーヤの様子を読み取っていた。
「まーさか、こいつがリビに手でも出したのかい?」
キュリアは面白半分で俺のほっぺを突っついてきた。
「ええ、そのとおりよ」
「……ああん?」
右のほうから冗談には全く聞こえない二つ返事が飛んできた。
キュリアの声音が面白半分から本物のそれに変わり始めた時、エティーヤが止に入った。
「嘘だけどね」
「嘘かよー。うっかり首締めるとこだったじゃん」
急に縮まったキュリアとの距離が彼女の発言に信頼性を与えた。
「俺、もう帰っていいですか」
「はははっ、冗談だよ冗談」
俺を脅せて気が済んだのか、エティーヤの表情が少し解れた気がした。
その反応がまるで、「あんたの味方はいない」とでもいうようで、釈然としなかった。
次の時。店の扉が壊れそうな勢いで開いた。
「隊長!! キュリア隊長!!」
様子からして走ってきた模様の眼鏡のおっさん、ボーベさんが俺の左で一人酒の十二杯目に突入したキュリアを発見した。
「おいおい、隊長さん、こんなところで飲んでる場合じゃないよ!」
「騒ぐんじゃねーんだよ。おめぇも飲むか? ボーベちゃんよ」
「うおっ、くさっ! ……君、この人、なんとかしてくれないかな」
自分の上司をいくら無実でも容疑者だった俺に頼む警備隊員ことボーベさん。
「おーい、自分でなんとかするんだよぉ。ボーベちゃん」
「できる事案ならもともと探しに来ないとは思えないのですかね」
そこで俺に肯定を求めるボーベちゃん。
「この役立たずどもがー! あたしゃねーとなもできんのか!」
「できる事案ならもともと以下略なんですけどね」
以下略のくせにまた俺に振るボーベ。
俺は、今のやり取りだけでボーベという人間の人物像が浮かび上がった気がした。
一応この場の誰より役立ちそうな人に首を回したが、右側で静かに飲んでいた知り合いは、いつの間にかなくなっていた。
キュリアは酔いつぶれてはないものの、立ち上がって間もなく椅子に腰かけてしまった。
「くぷっ! ぇあ、すまん。エイ、手伝ってくんねーか」
そこで仲間であるボーベじゃなく俺に振るところで疑問を抱かない自分が、少し哀れになった。
到着した場所は警備小屋ではなく酒場だった。
元の世界から流れてくるときの、いつもの礼拝堂からそう遠くない表通りの店だ。
予想通り店内は人でいっぱいで空いてる席が見えない。
しかし、ボーベの導き通り地下の階段を下りると、賑わう上の階と違って静寂が漂っていた。
俺たちはその場の案内に従って、キュリアとボーベの武器を預けた後、奥の大部屋まで移動した。
中には二十人ほど、キュリアのように鎧を着たものや高級そうな服装の数人が席を取っていた。
そして誰よりも目立つ人物が、あと一人。
トカゲに見える人間が、腕を組んでつまらなさそうにしていた。
そして、やたら静かな雰囲気で気づく。
場の雰囲気が尋常ではない。ピリッとした空気が産毛を刺激した。
その上、どうやらキュリアが最後の一員として遅れたらしく、強烈な睨みがこちら、入り口に降りかった。
キュリアを指定された席に着かせたところで、案内人が俺の所在を聞いたので、素直にただの介護だと伝えた。
するとやはり警備隊の隊長が呼ばれるぐらい要人同士の会議らしいく、俺は抜けざるを得なかった。
むしろこの場にいられなくなったことで感謝したいくらいである。
しかし、世の中が思い通りにならないことを、俺は元の世界でもこの世界でも身を持って経験している。
「なぁ、まて。ボーベちゃんよりはおめぇが使えるだろー」
と言った感じで、俺はキュリアの物理力によって、その場に食い止まれた。
もちろん、そんなこと許すような場面ではなさそうだったがある人物のせいでそうもいかなくなっていた。
「こんな陰気なところに奇遇だね、若造。くくくっ、老いぼれ一人じゃ寂しくてのう。付き合ってくれねーか」
先日一度だけ、一緒に酒を飲んだ元冒険家のアイルさんがそこで手招きをしていたのである。
白髪と隻眼の目隠しが相変わらず目立つその老人のお願いを、断れるほど肝が据わってたら今までの苦労の半分以上はなかったかもしれない。
そう思うと、またも自分が哀れに思えた。
アイルさんがこの集合でどれぐらいの持ち場を持っているのかは知らないが、集合の平均年齢よりはるかに高い彼の意見を一応収容した感じだった。
というか、どうでもいいから早く場を仕切りたい雰囲気だ。
みんなが張りつめた空気の中である人をせかすと彼女は後方にかけた古い地図を広げ細い棒を準備した。
「では進行役は王立市場監督機関の副部長である私、シェラー・バルボーナが務めます」
進行役は軽く会釈を終える。
「さっそく、今日の被害について説明します。関係者である皆さんのご存じのとおり、ロワイヤン王国の港で三件の沈没事件が発生しました。所在として『銀の薔薇商団』所属の船舶が二隻、『二羽雲商団』所属の船舶が一隻です。この三件のうち二件は東大陸イーブリニアからの定期貿易船の事故で、一件はこの西大陸南端の街、ハルバーティアからの商船の事故です」
彼女はロワイヤン王国の海域の三か所に針を刺して位置を示した。
そして新しい針を、浜辺から一番近い水域に刺す。
「……そしてこれが、二時間前に起きた最後の一件です。沈没した船舶の所在は二羽雲商団の、中央大陸ノーレラアとの定期貿易船です。以上意見がございましたら手を」
進行役の説明が終わった途端、鎧をまとってない5人のうち、一人の男性が声を上げた。
「貴様ああ!! やっと牙をさらしたな銀の薔薇!!! もう我慢できん!! 戦争だ!!! 戦争じゃよ!!」
その男は、隣の片目に眼鏡をかけた女性を目指して正気をなくしたように「こいつだ!!」と憤慨していた。
男の飛び回る唾を手にした団扇を使い、慣れた手付きで塞いでいた。
「まだ被害は五分五分なのに相当お怒りの様子ね、コロボ。そんなに気を走らせるからいつも倒れるのさ」
「な、なんだとぉお!!? 貴様……!!」
冷たく、強い口調。
張りつめた空気の中を切り裂く女性特有の高いピーチと、相手に不安をあおらせる低いトーンを両立させている。
「お望みの戦争ならいつだって相手になれるが、そんな金の無駄遣いを始めたところで、この安全海域で一日中4回も船が沈むという前代未聞の状況は解決しない。それは商人としての本分を忘れているも同様」
銀の薔薇商団の代表と見える女性は座ったまま立ち上がっている男に告げた。
「金だ。金だよ、コロボ! 今こうして貴様の腐った息がこの部屋に充満する間も、私の金が海の底に沈み、空の向こうに飛び散っていく。……ならば、その分、金になりうる成果を出さないとな」
その言葉に荒い息つきを繰り返しながらも、男は席についた。
「……ふん! 最後に儲かるのはわしの方だ! 貴様ではない!」
進行役の女性はそのやり取りにぴくっともせず、同じことばを繰り返した。
「以上意見がございましたら手を。意見がないなら、事件の調査結果に移ります」
そういいながら地図の横に用紙をかけた。
それは絵図だった。
大きくまるい、真っ暗な瞳に尖った口の先。巨大な牙と細長い胴体。
そして細長い手足のシャープな爪の先。
その全部を鱗で包まれた異種族は、どっかの水族館で見かけた深海魚に手足を付けたものに見えた。
メーリアとは全く違う。足の有無もそうだが、色や身体の大きさだってそうだ。
魚人族の中でまた、種族がいろいろ分けられるのかもしれない。
「3日前、中央大陸で起きた船舶の沈没事件のとき、海上の戦いで生き残った生存者の証言と中央大陸の港街で入手した遺体から、今回の事件は魚人族の『赤光族』の仕業と思われます」
そう言って彼女は地図に針を刺し続けた。
ロワイヤンの海から中央海域、中央大陸、東海域に至るまで。
27個の針を刺し終えたときは地図に波のような曲線ができていた。
「また今日の件だけでなく、二週間に渡った沈没および魚人族による被害をまとめてみたところ、こんな感じになり、その経路はご覧のとおり、確実にこのロワイヤンに向いて大移動をしています。原因は把握中であります」
進行役によるブリーフィングが終わると、場の雰囲気がより険しくなる。
前に出て話はしないものの、警備に見えないほか数人の商人らしい人物も動揺を隠せず、ゆがんだ表情を浮かべていた。
さっきまで憤慨していた男……流れからして、二羽雲商団の代表と見える男も居心地悪そうである。
自分の勘違いだということを認めたくないんだろう。
もともと酔っていなかったのか、それとも酔いが覚めたのか。
キュリアのろれつは至って正常だった。
「んで、商人の皆様は、こんなことをわざわざ聞かせるためにあたしの休みを邪魔したってわけか。そもそもあたしとこいつらは"警備隊"だ。あんたたちの護衛でも用心棒でもない。いくら支援金の額が他の民より高いからって、あんたたちだけ贔屓なんてできないんだよ」
「おい、キュリア。口を慎め。彼らもれっきとした守るべき民ではないか」
他の席の警備隊長らしきひとが、彼女に注意した。
「ふん、慎むもんか。むしろお前らもなんか言えよ! そこの商人さんどもはこんな"非常事態"に軍隊でも冒険者組合でも、それこそ傭兵団でもなく、あたしら警備隊を集めさせやがったんだ。それが何を言ってるかわかるだろうが! ただであたしたちをこき使いたいってわけだ」
「それは違います」
すると二羽雲と銀の薔薇とはまた別の商団からの声が上がった。
自分を『秘境の玉』商団のマードレ・ユジアー二と紹介した男は、この場には少しふさわしくない優しい口調をしていた。
「もともと僕たちは3日前から続く定期船沈没事故がどちらかの商団の仕業と思い、その解明と仲裁役をお願いするつもりで警備隊のみなさんに集まってもらっただけです。しかし……」
彼は針の曲線が目立つ地図を前に、少し間をおいた。
「シェラーさんの説明を聞くと、どうやら問題は他にあるそうですね」
それを銀の薔薇が手で制した。
「いや、ちょうどいい。我々は商人だ。君たちの言う通り、なるべく無駄なお金は使いたくない。また今回の件で船と人員をかなり失ったのも事実。そこでだ。この問題をいち早く解決したい我々にとって、君たちの力を借りるのもやぶさかでなくなっている」
相手を見下すような口調と、獲物を狙いつくタカのような視線。
「まさか、まだお腹が空いたとも言うまい」
彼女の全ては警備隊の全員に向いたものだった。
その意味をキュリアは理解したみたいだ。
「てめぇえら……、ふざけんじゃねーよ!!」
彼女の怒りは銀の薔薇ではなく、警備隊に向くものだった。
するとさっきキュリアを落ち着かせようとした隊長が顔を歪めた。
「一人だけきれいな顔をするんじゃない。この中で彼らの援助を受け取っていない部隊がいるのか」
「ああ!? あたしはそんなー……」
そう言いかけたキュリアは後ろに控えていた俺たち、正確には俺の横で青ざめたボーベを見た。
「わ、私のせいにしないでくれませんかね! 隊長が手かけたやつらの手当金がどこから出てると思ってるんですか!?」
確かに。彼女の仕事ぶりがどうかは俺が身を持って経験している。
あれが日頃の行いなら苦情の一つや二つだけで済むとは思えない。
彼女の手荒な仕事ぶりの埋め合わせを経費から削るとなると、少々苦しくなって当然だ。
「なあに、そんなそわそわするものでもない。君たちの仕事は変わらない。相変わらず、民を守るために、少しばかり二肌脱ぐだけだ」
……賄賂を囮にされるということは、この世界、もしくはこの国でも法律というものがあるのは確かなようだ。
もちろん、だからといって変わるものはない。少し今回の事件の解決を優先しろってことだ。
ふと、東区警備隊といいリビの裏稼業を手伝う輩といい、こんな連中に任されちゃあ、この船が沈むのも時間の問題な気がした。
キュリアが頭を冷やしてくるといい、ボーベを連れて外に出ていたとき。
俺が彼女の代わりに話を聞くことになった。
もともと警備隊の隊長が揃っているのならわざわざキュリア一人くらいいなくても構わないんじゃないかと思う。
つまり、俺なんかいなくても変わらないんだと宣言したいわけだが。
それが言える雰囲気でもないのは確かだ。
「一応、この件に関していろいろ聞きまわったが、俺ら『人外同盟』の中ではめぼしい話は聞けなかった。そもそも相手があの魚人族となると、手も足も出せない。あんな社会のない低能部族相手では情報が少なすぎる」
と、人外同盟のトカゲ男は述べた。
「僕も先週あたりで、中央大陸の知り合いの冒険者さんたちを尋ねてみましたが、収穫はなしです」
と、秘境の玉のマードレが言う。
「といっても私達はそこまでもらってないから。あんたたちでなんとかしなさい」
「これが金額の問題か。上に知られたら処刑までは行かずとも罷職は免れん。お互い沈み寸前のボロ船に乗ったもの同士、入ってくる水をなんとか汲み出すのが先だろう」
「まあまあいいじゃん。この平和万々歳のロワイヤンでも魚相手じゃ殺しまくっていいんじゃね? むしろここで実力を証明して軍のものや魔法使い共にギャフンと言わせるべきだろ」
と、腐り果てた警備隊共がなにかほざいてる。
「この役立たず共が! わしの商団はもう何匹も魚人族のやつを捕まっておいたんだぞ! それぐらいできんのか!」
と、続いて二羽雲商団から驚きの発言。
「ほーう、すでに事故の原因を掴んでおきながら私に被せようとしてたと……」
「くっ……!? と、とぼけるんじゃない!! 貴様の送った刺客じゃろうが!! 貴様が犯人だ!」
「まあ、こちらも何匹か捉えていたから二羽雲の仕業にするつもりだったが……監督官のせいで台無しだ」
「な、ななな、なんじゃとぉおお!!? この女狐が……!! 戦争だ!!」
「ふっ、後者は冗談だ」
と、さりげなく火種を撒く銀の薔薇と、また二次戦を始めようとする二羽雲。
「つまり、皆様は事前に事情を把握しておきながらわざわざ何も言わなかったと……。情報共有と対案を練るための会合というものが協調性もくそも見当たりませんね。私は降ろさせていただきます」
と、今まで一番平然としていた進行役のシェラーが切れて支度を始めた。
何やってんだ、こいつら……。
わざわざ集まっておいて収穫どころかお互い損害しか増やしていない気がする。
商団の人間はあくまでも手の札を見せたがらないし、警備隊はただ我が身大切の一方であくまで受動的。
もっと話し合えば、それなりに対案ができあがるかもしれないのに、これじゃ時間の無駄だろ。
……話。そうか! 話だ!
「あのー」
警備隊や商団の人ともども、互いを狙った誹謗中傷で熱を上げていくだけの中。
今まで一回も喋らず空気を読んでいた俺が声を上げると、視線が集まった。
「話してみればどうですか?」
「は? 誰と?」
警備隊の連中から、まさしく意味不明といった反応が飛んできた。
「さっき二羽雲さんも銀の薔薇さんも言ってたじゃないっすか。何名か捕まえたって」
「誰? 魚人族? やつらと話をしろと言いたいのか?」
「そう! そうですよ! 何も知らない俺たちが集まったって商団のみんなが言ったとおり時間の無駄。じゃあ手っ取り早く犯人に聞けばー……」
気づけば俺の話が終わる前に、彼らは聞く耳を持たなくなっていた。
みんなのあっけない温度に怒りすら沸かない俺に応えてくれたのはその話を聞いてカカカと笑うアイルさんと、トカゲの男だけだった。
「君は、どうやら遠い街の出のようだな。魚人族を見たことはあるか?」
ついさっきまで餌を与えていた、というわけにも行かず、首を横に振った。
「なら知らなくて当然だ。簡単に言って、やつらには言語がない。さしずめ『ピーピー』か『ゲロゲロ』といった奇声しか挙げない連中だ。序列があることから同族間のやり取りはできるそうだが、ディーマーや魔族のように精神感応のできる個体がないかぎり、言語を持つ人間か異種族と会話が成り立つはずがない」
それを言われたら、結局俺が相手したメーリアは何だったんだー、ってことになるんだが。
思えばクェヴェンのおっさんも、メーリアと会話ができることに驚いていた。
そういえば、俺はこの世界に来て、書くこと以外なんの言語の障壁も感じたことがない。
もしかして、なにか関係あるのか?
「くくくっ、面白いことゆーのう若造。あんな連中に話しかけようとすれば、食われるだけぞぃ?」
「は、はは、まさか」
静かに話を聞いていたアイルさんの言葉に、ふとメーリアが魚をパクっと飲み込むときのことを思った。
確かに、サメのように歯があったっけ……。
「そうじゃ。魚人族の群れといえば、あれだ。昔、旅の仲間と海の宝の地図を偶然見つけてのう、探しに行ったことがあるが……」
「またその話か。アイル」
何故かアイルさんが昔話をし始めたことにトカゲ男が不満げな顔をする。
どうやら知り合いのようだ。
「くくく、お主もじじぃになればわかる。昔話でも語らぬと、ボケてしまうんじゃい。で続きじゃが、海の宝を探しに行ったら、なぜか宝島のあたりで魚人族の部族同士で戦いおってのぅ。その数も数千、数万だから、そりゃもう宝どころか怖くて逃げてしもうたわい! かかかっ」
「おい、また間違ってるではないか。あれは数万どころじゃない。そもそも部族の女王同士の戦いだ。目に見えるだけで数万で、海の下では数百万だったに違いない」
「おうん? そうだっけ? かかかっ、さすがのリザードマンだわい、長生きでいいのう、キンダール」
「何言ってんだじじぃ。お前こそ人間のくせに長生きすぎだ。早くくたばれ」
おい、知り合いどころか仲間本人かよ!
当事者の前で間違った思い出語るとかすでにボケてますよ!?
「しかし、そうだな。あの監督官の推理だと、赤光族が犯人らしいが、だとしたらおかしい。俺の記憶が正しいなら、やつらは生息地は東大陸の深海のはずだ。わざわざここまで来る理由がない。それこそ女王がこちらにいるくらいじゃないと辻褄が合わないのだが」
「産卵期か?」と、アイルさんの元・仲間が悩んでいた。
女王、そして部族。
もし女王をもとに部族全体が成り立つとしたら、あの地図に刺された針の曲線が意味することが案外とはっきりする。
女王に続いているか、それに準ずる原因でここに赴くか。
するとなんと、俺は残念ながら今朝この国に訪れた一匹の魚人族を知っている。
そして、それがなんの関わりもないと言ったら怒るくらい、タイミングが良すぎる。
ただ、問題はこの件の原因でも解決法でもない。
問題は、俺が知ったところでどうにもならない、ということだ。
ここで聞いた事故の顛末と、クェヴェンの依頼。
彼が闇のルートをたどってまでメーリアをこの城壁の中に入れたがった理由。
だがしかしそれがどうした? それを確認したところで、この場でメーリアの存在をばらしたところで。
俺に得でもあるのか?
ない。断じて、なにもない。
俺が得られるのは仕事をパーにされてお怒りになったリビ一派の殺意と、半端な魚おっさんの拷問術、そしてことの最後にミヤちゃんのおもちゃに成り下がる権利くらいだ。
俺は考えを諦めた。
今聞いたことを全て水に流すことにした。
そうだ。明日の朝、クェヴェンが帰ってくれば俺はこの件とも関係なくなる。
それが終わったら、この世界から離れて少しバイト探しに専念してみよう! きっとここよりはマシな世界が俺を待っている!
そう心に決めた俺は頭を冷やしてきたキュリアと、顔が二回り大きくなったボーベを笑顔で迎えるのだった。