森の中の合唱―4
俺の名はクェヴェン・ビースタッシュ。
全世界の者が集まる中央大陸『ノーレライア』で傭兵をやっていた。
俺の属した傭兵団、『夕暮れのさざなみ』は部族間の争いの援助や商団の護衛、国同士の戦争の肩入れから賊同士の縄張りの争いの手助け、その逆の賊の討伐まで、主に戦を業とする我々は、傭兵団としてはかなり規模の大きい、約400人の兵力を誇っていた。
物分りの連中の間では有名ではあったな。
そして俺はそこで偵察と補給を務める部隊の、長を担っていた。
だがそれもあの日を堺に終わった。
6年前。
我々は東大陸『イーブリニア』から離れた北の島で、島の特産品を置いた商団同士の戦争に付き合うことになった。
両商団とも西大陸、東大陸で名が知れ渡った大商団であり、手付金だけでも普段の5倍はあった。
また、その値段にふさわしいぐらい商団同士の戦いがえげつないというのは、死場をくぐってきた傭兵としても承知の上だった。
しかしその日は違った。
我々の予想を遥かに超える戦力差がそこにあった。
まさか、あの鋼鉄の狼部族、『アルリアン』共を懐に入れていたとは。
あれは戦争じゃなかった。
四面が海で包まれた辺境の島で行われた一方的な蹂躙だった。
依頼主だった東大陸の商団は、それこそ尻に火がついたように、鋼鉄の狼をを目にしてすべての船舶を引かせた。
我々を全員残したままでな。
歴戦の手練である傭兵団や冒険者たちが、為す術もなく散っていく様は地獄を通り越して壮観とさえ思えた。
また俺も、その一員として散った。
だが何故か運命の女神は俺をそうそうたやすく死なせる気はなかったらしい。
アルリアンの爪先に満身創痍になってからの覚えはない。
ただなぜか、それこそ"さざなみ"に流されたのか俺は北海の小さな岩礁の上で目を覚ました。
そして彼女がいた。
岩に腰掛け、いびきをかく鱗の少女が。
「いや、そこで『いびきをかく』はちょっと風情がないんじゃないですかね」
「ふん、わざわざきれいにまとめるほど懐旧の情など持っちゃいない」
クェヴェンはそう言いながらも自分の胸に手を当てた。
マントに包まれたその奥はきっと、顔面の傷跡は比べ物にならないくらい鱗で覆われているのだろう。
「あの日、俺は確実に死んでいた。彼女の……魚人族にしては出来損なさすぎるあの呑気さがなかったら、こうやって貴様と話すこともなかったろう」
隣を見るとさっきまではしゃいでいた人魚は彼が語った過去のように、水槽のフレームに肩をかけていびきをかいていた。
確か酒場を訪ねる船員の客からそういう話を聞いたことがある。
貿易で船に乗っていると魚人族の群れに襲われるのが毎日のようだとか。
生まれながら知能が低く仲間意識が強い。その上、好戦的だが指揮系統はしっかり取れている魚の群れ。
文化の発達が乏しい故、会話が通じず繁殖力だけは他に遅れを取らない厄介な種族だと散々苦情を述べていた。
確かにこの人魚は頭悪そうに仲間を連発してたけど。
好戦的とは程遠い感じがした。
「貴様……エイと言ったか。ニホンという東の辺境の島国から来たと?」
「あ、はは……。そんなとこですね」
べメリスさんに言われたとおり、敢えて異世界から来たなどと話す必要はないわけで、俺はある程度塞いで自分の所在を伝えた。
「……あの周旋屋から聞いた。君も流されてきた者らしいな。同じ殊遇に遭ったもの同士、詮索はしないさ」
しかし自嘲混じりの言葉と裏腹に、表情の硬さはまだかわらない。
歴戦の傭兵たるものとしてクェヴェンは損得の弁えに優れていた。
「ただ、この部屋に勝手に入ったのも事実。貴様は己の無実を証明しなければならないと思うんだが?」
またかよ。
そんな口にできない言葉を籠もらせながら、深いため息をついた。
そういうわけで、俺は現在酒場のラウンドテーブルでみんなと同席させられている。
彼いわく、俺は自分の無実を証明するためにこの件に付き合わないといけないらしい。
左側三人の熱烈な視線に身の置き場を知らない最中、リビが口を開けた。
「では、今までの流れを整理します。今回の対象である魚人族のメーリアさんをヒッチーとトーイが馬車で城内に運び、エティーヤとエイさんが遺体から回収しそこねた訪問証を遺体管理人から買い取りました。そして、その訪問証をまたエティーヤが呪文書房で再構成させてきたものが、これ」
リビは名刺のような紙切れをクェヴェンの前に差し出した。
「王立研究機関の墨付きの、半永久的な訪問証です。期限は20年。彼女が住む家はすでに私が手配しましたので、今夜、夜の魔法が掛かって訪問証の滞在魔法が確認されたところで、今回の依頼は終わります。今回、依頼主であるクェヴェンさんの分は申されなかったので、残金は明日の朝、この場で受け取りますが、よろしいですか」
「……ああ」
一応頷いてはあるが、訪問証を受け取ったクェヴェンは優れない表情だった。
「この呪文を身体にかければ死なない限りロワイヤンに留められるというわけか。それから期限が迫る前に新たな訪問証に変えろ、という話だったな」
「はい。20年もすれば隣人として十二分に顔を知られてあるだろうし、それこそ、その訪問証を更新する形でも疑う人間はいないでしょう」
なんにせよ、20年ですから。と、リビは少し笑みを浮かべた。
事前に今回の流れを耳にしているらしいクェヴェンもそのことに言いつけたりはしなかった。
ただし、目的を果たして喜ぶようにも見えない。
「くくっ、こんな小娘に滞在権限を横取りされるなど、ロワイヤン王国ご自慢の治安とやらも改めて考えるものだな」
明らかに嫌味に近い疑問を打てつけられてもリビは顔色一つ変えなかった。
「ご心配なく。我々はこの商売を成し遂げるためだけに4年を費やしています。それこそ要人に根回しをしたり仲間を警備隊に忍ばせてまで入国の仕組みやその入国を管理する全員の身の上を調べ尽くし、選びぬいた人脈を築き上げ、より完璧かつ迅速に仕事を終わらせるためすべての工程を研究したが故に、この短時間での仕上げなのです。そのへんのヤブときたら、いくら腕が立とうと早くて一週間といったところでしょう」
つまり、彼女は「王国の治安が悪いのではなく、我々が優秀すぎるだけ」と言っているのだ。
意気揚々と闇商売のPRを終えたリビの話を聞いて驚いたのは、多分クェヴェンではなく俺だった。
俺はヒッチーとトーイという警備隊二人組がこの商売に乗ったわけではなく、その逆だということに驚きを隠せなかった。
期待していた答えになったのかは知らないがクェヴェンは俺同様、俺の横側を一瞥し、身を引いた。
「ふん、まあいい。ただ一つ、今回の商売で約束してもらおう」
リビが黙って相手の話を待った。
「あの魚人族の娘とこの男に手を出すんじゃない。それが残金を渡す追加条件だ」
首をかしげるリビと目をパチクリする他3人+俺であった。
下の階から人っけが徐々に増える気がした。
開業時点を迎えた店に今回の件で普段より遅れて出勤したマブラさんたちの活発な声がする。
俺はといえばクェヴェンに連れられ、二階の奥の部屋にいる。
ちょうど偽造した訪問証の呪文をメーリアにかけ終わったところで彼は勝手に喋りだした。
「俺はやることがある。さっきああいう条件を出したのは、俺がいない間、メーリアのオモリをしてもらうためだ」
「いや、オモリって、やりませんよ。そんなもん」
つーか俺、そろそろ帰りたいんだが。一秒でも早くこの店から逃げたいわけですよ。
「ふん、恩知らずめが。命を助けた恩人にその様か。警備の二人はともかく、あの女は確実に貴様を仕留める気だったのをしらんとでも? 針のむしろが見えすぎだ。ここに入ったのも、せいぜいあれから逃げてきたもんだろう」
くっ……、痛いとこ付きやがって。
「それともなんだ。貴様はなんとしてでも俺にあの条件を取り消してもらいたいのか」
見え透いた笑みを浮かべ、彼は俺の肩を軽く叩いた。
「……知りませんよ。この子になんかあっても」
精一杯の反抗として見え透いた虚勢はると、彼はカカカッと男前に爆笑するだけだった。
「貴様を信用するわけではないが、俺は自分の目に自信がある。貴様はそこらへんの女子より弱っちい腰抜けだ。メーリアに何かがある、だと?」
何を思い始めたのか、笑っていた顔が徐々に鬼の形相に変わった。
それに気づいたときはすでに俺の左肩が悲鳴を上げていた。
「いででででっ!!!」
まさに千切れそうな痛みが神経を尖らせ、彼の言葉が脳裏を叩く。
「その時は、地の果てを追いかけてでも貴様を魚の餌にしてやる。死んでも守るがよい」
その言葉と左肩の痛みと、肝心の人魚を残して彼は出ていった。
水に浸かった女の子を見ながら俺は愚痴り続けた。
「平和だな……俺以外」
俺の気も知らず、悩みのタネはもう一層大きくいびきをかいた。
『お腹空いた!!』
眠り姫のお目覚めの一言である。
彼女がのんきにいびきを立てる間、俺は隣のベッドで「知らない天井だ」とか適当につぶやきながら寝転がっていた。
まだ夜の魔法がかかってない以上、ここから逃げ出しても怖いおっさんが本当に地の果てまで追いかけてくる気がしたので、おとなしく位置を守ることにしたのである。
「なんか食べ物はないのか?」
『ある!! クェヴェン持ってる!!』
また一回転して部屋中に水分を配った。
別段部屋が乾燥しているわけじゃないんだが、多分そのうち水槽の水を全部回りに譲る気がした。
水槽の横にあるずぶ濡れの鞄の紐を解くと、中に縄で繋がれた魚が口をパクパクしていた。
『魚~!!』
魚はお前だ、というベタなツッコミしか思い浮かばない俺は、黙ってご飯を待つ幼鳥もとい人魚に次々と餌を与えた。
『あむ~ おいっしい~ 魚~! あ、お父さん??』
「は!? おい!!」
パクパクと魚を飲み込んでいく途中で聞こえた単語にフリーズしていると、メーリアがくすくすと笑った。
『冗談だよ~!! 魚~!! あ~む!』
「お前……! 紛らわしいこと言うなよ!」
今までの成り行きで結構ストレスが溜まっていたのか、愚痴るつもりが思わず怒鳴りになっていた。
いきなりの大声に固まったメーリアは口を閉ざし、おかげで投げつけた魚が水槽の中で生き生きしている。
『えぅぅぅぅ……ごめんなさい』
そして水の中に潜り、体を丸めた。
身を隠すつもりなのか、単に水の中が安心するのか。
ただ残念なことに、ガラスの向こうから震える体と、溢れるたびに水に吸い込まれる涙がここからは丸見えだった。
「あ……いや、違う。違うんだ、その、ちょっとイラッとしただけで、本当に怒っているわけではない! ごめん!」
彼女のことが少しわかってきた。
体は大きいのに、やることがいちいち子供じみて、幼い。
まるで子供の頃の自分みたいに、周りの反応をいちいち気にして、それに一喜一憂している。
すべての魚人族がこうなのか、それとも彼女が特別なケースなのか。
ただ一つ、クェヴェンがオモリと言った理由だけははっきりとわかった。
泣き出す子供をなだめる方法などわかるはずもなく呆然としていると、彼女は泣き止んで、何かに気づいた。
水の中を我が物顔で泳ぐ一匹の魚。
それをパクっとした。
『魚~!!』
「お前がだよ!!!」
そりゃ忘れるよな!! 魚だもんな!! 心配して損したわ!!
『えぅぅ、ごめんなさい』
また体を丸めてよよよと水かさを足している人魚。
今回は怒鳴りではなく普通にツッコミだったが、それを理解できる魚ではあるまい。
俺は別にあやすことなどせず、ただ黙って残りの魚を投げつけた。
結果、いつ泣いたとでもいわんばかりに元気な人魚が俺の名前と仲間を連呼することになった。