森の中の合唱―2
ミヤの部屋から帰ってきた俺が真っ先に探したのは人を出しにして仕事を成就しようとしたあの人でなし店主である。
エティーヤは東区まで来ると他に用事があるとか言ってどこかへ消えてしまったし、街で知り合いなどいないし、やることもない俺に残った行動原理の中でこれ以上のものはなかったので、俺は自分の心がゆくままリビに文句の一つでも言いたくてしょうがない状態だ。
一体何様のつもりだあいつは。何も教えてもらなくて当たり前だ。
誰が"死体で遊ぶ変態のおもちゃになって下さーい"と言われて頷くってんだ! バカにしやがって!
そして長い道のりをたどり、やっと目的の宿、『女神の休所』に来たとおもいきや、俺を侵入を塞ぐ二人組がいた。
「よ、どうした。エイ」
「わりとピンピンじゃねーか」
ヒッチーとトーイが、まるで俺が来るとは思わなかったとでも言わんばかりに驚いた表情を見せた。
その表情さえもわざとかもしれないが。
「よく言えるな、お前ら。俺がどんな理由でエティーヤと同行させられたか知ってんだろ」
俺は結構マジで頭に来ているのに対して、トーイは方をすくめて鼻で笑うだけだった。
「やーすまん。よくわかんねーわ」
「俺らも仕事で忙しくてな」
口調からしてまるで興味なさそうなトーイよりは、ヒッチーのほうがまだマシではある。
普段仕事帰りの酒場で見かけたときはここまで距離を置かれたりはしないものの、ことがことだからか、こいつらも俺を警戒していると思っていたほうがいい。
それはこの二人が開店間近になった今も店の入り口の警備を務めていることからも伺える。
「リビは中か?」
「さぁね、どこだろーな」
トーイがケラケラ笑って知らんふりをして、ヒッチーはただ黙っていた。
「まあいいや、いないなら別にいい。中で待たせてもらうよ」
どっちにせよ、この店ほどあいつと出くわす確率が高い場所などないんだ。
「おっと、そりゃいかねー、エイ」
「ああ、それには及ばないよ」
今日の二人は俺を拘束したあの日の警備隊だ。
目の前を2つの槍が交差し、出入り禁止の意を示している。
この二人がここで門番をしているのは今日で初めてのことじゃない。
街の治安を守る警備隊として、この東区のどこかをパトロールという名分で守っていたとしてもこいつらの仕事として成り立つ。
そんなわけでこの当たりで事件が起こらないように、主にリビの店で問題がないように私意丸出しで働きかけたりしていたのである。
それを馴染みの常連たちが見ればちょっと少しだけ贔屓をしたくらいに見えるかもしれないが。
異世界から来て、こいつらの素性を知っているよそ者である俺からしてみれば、ちっぽけな犯罪組織で親玉を守るチンピラにしか見えない。
だから俺は、少しだけ意地になっていた。
らしくないことを言ってしまった。
「ああ、そうかよ。まあ、あいつのことだ。そのへんでお尻でも振りながらお客でも取ってんだろーよ」
それはとても効果的で、門番の二人組の形相を変えるには十分だった。
こんなことをして俺になんの得があるのかといえば、本人に言えない文句を周りにぶつけて気晴らしをするくらいの。
いわば、八つ当たりになるわけだけど。
「それはどういう意味なのか、聞いていいかな」
その八つ当たりの対象に彼女は入っていなかったのである。
「よくわからないんだよ。よそ者のあんたが言ってる言葉だから私やこの子達が勝手に解釈していいものではないと心得ているつもりなんだ。だから教えてほしい」
目の前の二人の警備の槍が動く暇も与えず、俺の首が後方の者の腕によって固く絡められた。
そして耳元で聞こえる平坦とした口調が。
鋭い刃物が、俺の首を狙っていた。
「あんたが今口にした侮辱は、あんたの国では他の意味でも持つのかな」
何をどういうつもりで言ったのか、明白だ。しかしエティーヤはそれでもなお、問いかけている。
多分事実を伝えたら一秒も経つ前に首から血が吹き飛ぶだろう。
その証拠に、すでに喉元を何かの液体が流れていて、掴んだ腕が震えている。
憤った人間が、最後の最後まで理性を保とうとしていた。
「ち、ちが」
違う!と普段の俺なら言えたはずが、言葉が出ない。
死の恐怖と軽い気持ちで投げかけたはずの八つ当たりの反動。
そして何よりも違わないという、事実。
しかし、俺はどうやら幸運の女神に愛されているらしい。
どうしてなのか身体が軽くなったと思ったら、2つの槍の向こう側のドアが開いた。
「何やってるんですか、ダメダメなエイさん。遅いじゃないですか」
「はあ? お前な。もともと」
もともとこいつらがー、という子供じみた話の切り出し方は、通用しなさそうだった。
さっきのことが解決したわけじゃないんだ。店内に入ってからも、俺に向けられる三名の殺意は凄まじいものだった。
リビの口調から外で何があったのかまでは知らないようだが。
まだ俺を勝手に出しにして仕事を取らせようとした部分は非常にむかつくけど、こちらがリビの悪態をついたのも事実だ。
そしてエティーヤを除けばヒッチーやトーイが俺に直接何かをしたわけでもない。
どうも釣り合わないとは思うけど、諦めるか。
「……なんでもない。お前の言ったとおりエティーヤと行ってきたんだ。何が何だったのかはさっぱりわかんないけど、こいつの話じゃどうやら役に立ったらしい」
横を一瞥すると、エティーヤが相変わらず親の仇みたいに俺をにらんでいる。さすがにリビの前でことを荒立てたくはないのか、ただにらむだけだった。
「へえー、それは本当に驚きです。あの無能のエイさんが役に立つこともそうですけど、エティーが人を褒めるなんて」
リビが目を丸くして彼女の方を見ると、エティーヤは首を横に振った。
「それは、そいつの勘違いだ。このもやしは役になど全然立ってないし、使えない」
「あ、やっぱりそうですか」
はいはい、そうですかい。白々しい嘘つきやがってよ。
まあ俺の評価がどう変わろうと今更関係ないけど。
「じゃあな。無能な俺は帰りますよ。時々来るかもね」
「はい。お金になる限り相手しますよ、無一分のエイさん」
何度聞いても苦笑いすらでない肩書つけるな、こいつは。
適当に挨拶をして帰る支度を終えた。
もともとここに俺の私物なんかないわけで、ただ手ぶらで帰ることだけだが。
短い間だったけど、酒場の仕事でいろいろ教えてくれたマブラさんにお礼を言いたいのだが、この件があるせいかみんな他の仕事に回っているらしい。
そういえばここで働く従業員って、どこまで足を入れているんだろ。もしかしてみんな密入国にまで関与するほどこの店自体が組織化していたりするのかな。
ふと店を出る直前、リビの声が飛んできた。
「エティー。どこ行くんですか?」
その矢先は俺ではなく、俺のすぐ後ろに続く仲間の女性に向かったものだ。
「別に。彼に少し用があってね。ちょっと見送ってくるだけよ」
「へえー、なんと」
ますます驚きです、と目をパチクリするリビ。
そして俺。
この驚きとは何かと言うと、いろいろ気づいてしまったことでの驚きだ。
つまり驚愕である。
「わ、悪いよ。別にい、いいから。見送りとか!」
「そうは行かないね。いろいろ、返すべきものがあるから」
それが微笑ましい恩返しとかではないことは明らかだった。
「どうしたの? ドアが壊れでもしたのか」
それともあんたが壊れたのか、と耳元で人の殺意が囁き、笑った。
今日一緒に行動しながら感じたこの人のイメージが、想像することもできなかった代物が今、目の前にあった。
それではっきりした。
このままドアを通ると、俺に明日は来ない。
「そ、そうだ! わ、わわわ、忘れ物ー! 忘れ物があった! リビ! 俺は! うっかりさんだよー」
わざとらしい芝居でリビのところまで戻った俺は後ろで確かに舌を打つ音を聞いたのである。
「どうしたんですかバカのエイさん。もう無能で不能でダメな上、バカにまでなり下がりたいんですかエイさん。仕事の邪魔ですから早くしてください」
「お、おう! 任せろ!」
「何も任せないので早くしてください」
リビの注意を俺に向ける事はできた。これでどこかへ忘れ物を取りに行ったふりをしても、エティーヤが下手に襲いかかったりはできないはず!
エティーヤはまだ入り口の前で俺をにらみつけている。一秒でも早く俺と外に出て始末したいんだろうな。
しかし彼女が入り口を占拠しているなら逆に都合がいい。
だったら俺は二階の宿から脱出するだけだ!
「あーあーそうだったー部屋の掃除のとき落としたのかもー」
自分でも下手ないいわけだとは思うけど、マブラさんやリビの手伝いとして酒場の前に宿の掃除もやったことがあるから、疑うはずがない。
よし、リビは警備兄弟と話し中だし、肝心な容疑者は入り口を頑なに守っている。
そのチャンスを逃すはずもなく、俺は二階へ上がった。
ロワイヤン王国。
アルトメシアの西大陸の国中でも随一の防御を誇る要塞王国。
西大陸の北東の極端に位置し北と東を海に沿わせたその地形から、外来の撃退、海上貿易など、王国の発展に適切な環境を築き上げる。
約1500年前。
激動の守護者と沈黙の守護者の領土争いに巻き込まれた一つの部族国家が選択の強いられる。
激動の守護者曰く、我に力を与えしもの、永遠なる安泰を。
沈黙の守護者曰く、我に力を与えしもの、確固たる脅威を。
神に等しい覇者の狭間で、二択の選択を目前に部族の長は選ぶ。
己の領域を守るためだけに力を振るう激動の守護者を。
永遠なる安泰を選んだ。
そうして沈黙の守護者を退いた部族は激動の守護者の加護のもと、末永い国の安泰を約束されたのである。
その時、部族の長は国の名前をロワイヤンと命名し、自らをロワイヤン1世と称した。
そして現在、ロワイヤン18代目。
王国歴として1526年。
世界歴として、約1万2000年。
人間族や他種族、部族と国同士の同盟さえもそう珍しくない現在も争いは絶えない。
人間同士の争い。
人間と人外の争い。
そして人外同士の争い。
平和と争いの両立をまさに証明でもするかのよう、ロワイヤンの海がざわつき始めた。