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夢物語はどこからか  作者: フォービアン
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浅緑のアロマキャンドル、3000円、(税抜き)

書きたいものを書かせていただきます。

 社会は忙しい。

 交差点を行き交う車。速度の上がらない自転車。人混みの地下鉄。

 何もかもが素早くて、遅い。

 スクランブルで交わる人混みはまるで社会の紛らわしさを表すようで息苦しい。

 そんな息苦しい社会に俺は放り出されていた。

 高校を卒業してもう一年。普通の成績、普通の性格。

 人並みの欲望と人並みの情熱で振る舞った人並みの努力で得たのは無職、いい線いってフリーターという半端な肩書だけだった。

 そして、一年近く働いたカフェの店長が申し訳なさそうに俺を呼び出したとき、半端な肩書すら取り上げられたってことを実感した。

 別にどうってことはなかった。

 ただのバイトだし、定職につきたくもなかったし、というか考えたこともなかったなあ、と今更思う。

 ただ腑に落ちないのは自分自身がまたもや社会の一員として自分を認めていられないってこと。

 毎日ゲーム三昧だったヤマザキもやんちゃしておまわりさんの世話になってたスジハラも、俺より勉強も運動も劣っていた不手際なクマノさえ今はみんな立派な社会の一員として働いている。

 そして上に述べたその誰一人とも友達とかでもなんでもなく、親しくもないけれど、なぜかふとその事実だけが時々頭に浮かぶ。

 そしてそのたびに口走ってしまうのだ。

「俺、なにしてんだろう」

 朝のスクランブルはすべてが素早くて、めまいがするほど息苦しい。

 社会は今日も忙しかった。

 俺を除いたまま。



 その日もぶらぶらしていた。

 バイト探しのつもりか単に散歩のためか自分でもよくわからないまま宛もなく町並みを歩く。

 バイトしたけりゃその辺のマクドかローソンにでも尋ねればいいものを予定もなくブラブラしている無職がここに一人。

 もとから無駄遣いのない生活のおかげでまだ家賃が払えなくなって家を追い出される心配はないが、流石にいつまでも無職でいるのは後々危うい感じがする。

 預金、空になったらどうしよう。そういえば猫はどっかに預けるべきか。誰か代わりに飼ってくれるのか。

 頭のどっかで「いや、さっさと仕事しろ」という声が聞こえた気がした。

 そんな現状改善とは全く関係ない後ろ向きなことを考えている最中、頭の上でカランカランとベルが鳴った。

 気がつくとそこは小さい店だった。

 周りに食器や食べ物、文房具の台やどこ出身かも見当がつかないゆるキャラみたいな人形などが都合よく並べられている。

 何らかの雑貨屋のようだ。

 音が鳴ってすぐ奥から人の気配が近づいてきた。

「いやあー、すいませんが、まだ準備中なんですが」

 黒いサングラスの中年の男。店主らしかった。

「別にいいですよ。間違って入っただけだから」

 すると彼は意味がわからないと言わんばかりに首を傾げてはすぐ口を開けた。

「間違う、とはなんと。まあ、これも何かの縁でしょう。何か目星のつくもんはありますか。まだ営業前でが、お望みのものがありましたらちゃんと売りますよ」

 間違って入った店で目星もクソもあるはずもないが、このまま踵を返すにはなんだか気が引けた。

 意外と小物の自分である。

「じゃあ、これで」

 一番気軽く手に取れたのはすぐそこにあった馴染みの5円チョコ。

 俺がそれを手にとるやいなや店主は微笑んだ。

 もしかしたら嘲笑かもしれない。いや多分合ってるだろう。

「いやあ、残念ながらお客さんには、これしか売れそうにありませんね」

 そう言って彼は棚の上にあったあるものを一本取り出した。

「ロウソク?」

「ええ、アロマキャンドルってやつですよ」

 アロマキャンドル、って確かあれだ。体の疲れを取ってくれたり安らかに眠らせてくれたりするもの。

 さっきお望みのものとか言ったそばから売るものを決めつけるとか何様のつもりだ、とは思うが値段はそんな変わりないそうだし、何も買わずに店をあとにするよりはいいかもしれない。

「じゃ値段は……」

「3000円です」

「さ、今なんて?」

 俺の聞き間違いでないなら、高い。高すぎる。

 日本は一体いつからこんなインフレを迎えた。さては俺の知らないところで第三次大戦でも勃発したのか。

「もちろんこの一本の値段ですよ」

「そりゃすごいですね。お店頑張ってください」

「今ならお目当ての5円チョコのオプション付きですよ」

「間に合ってますので」

 オプションでやるつもりなら最初から5円チョコだけ売れと思う同時に、この人も一生懸命なんだろうと胸の奥から憐れみが込み上がった。

 もちろん冗談だ。買うつもりは全くない。

「まいったなあ、お客さんにはこれがぴったりだと思うんですけどね」

「どういう意味かわかりませんが、ロウソク一本にそんな無駄遣いはしたくないので」

「無駄遣いとはなんと!?」

 店主は衝撃の事実でも耳にしたような表情を無理やり作ってるとしか思えない、そんなポーズを取っていた。

 確かに。最近眠るまでの間が長すぎるからぐっすり寝られるんだったら一本使ってみたいところではある。しかし、だからってこの値段は頷けない。

 3000円でロウソクを一本買うくらいならレンタルビデオ屋でB級映画借りまくって夜通しした方がよっぽど生産的だ。

 そのうち必ず眠くなる。

「まったく、困ったお客さんですねえ」

 彼は5円のチョコを戻しながら言った。

「よし、気分だ。珍しいお客さんだし、特価5円でお渡しいたしましょう」



 カランカランとベルの音とともに店を出る。

 ビニル袋には浅緑色のアロマキャンドルが入れられた箱が一個。

 結果だけ言うと、俺は店主の言葉通り5円で品物を受け取った。

 しかしそう変な状況ではない。あくまでも条件付き。使ってみてから評価してくれとのこと。

 その条件付きになったせいか肝心な5円チョコの方はもらえなかったが。

 ちなみに残りの金額は消費税つきで3235円だった。消費税別をあとで教える抜け目の無いところから筋金入りの商人に見える。

 もちろん買わない手もあったが、いざロウソクを手にとって見ると不思議な感じがした。

 鼻を突っつく香りが、とても良かったのである。

 ミントに似たような、と思わせながらジャスミンかラベンダに似たような感じもする。

 要するに、意外と悪くなかったのである。

 騙された感じもするけど、実際払った金額は5円だけだし使ってみて効果なかったら返しに行く必要もない。逆に効果があっても黙っていれば払いに行く必要のないお得な取引だった。

 小銭で払ったしあとでクレジットカードや銀行口座で追われることもないはずだ。

 まあ、実際効果があったら払ってやってもいい。が、それはあくまでも効能次第である。

 家につくと蒸れた空気と静寂が出迎えてくれた。

 飼い猫ときたら主人が来ようが来まいがトイレシートの上で一目もくれず軽く喉を鳴らすだけだ。

 もとから可愛げのないやつだ。むしろ平常運転中ということで一安心した、と言っておこう。

 さて、それよりも現在俺が考えるべきはお金の稼ぎ先……のこともあるが、まずはこのロウソクのことだ。

 これを作った人も睡眠剤の代用として作ったわけではないはず。

 まさか匂いを嗅ぐだけで眠ってしまうような危なっかしい代物ならすぐ警察に一電話入れなきゃならない。そんなわけでこのロウソクは寝やすく促す用途の睡眠誘導品で間違いないだろう。

 だからって眠くなるまで待てと言われりゃ現在昼を少々過ぎたばっかでございましてどうも寝れそうにない。

 しかしそれだけで夜まで待つのもなんだかバカにされる気がした。

 なんにせ、今の俺はニートなんだ。眠りに浪費できる時間ならいくらでもある。

 どうせ今やらないとそのうち忘れてしまうだろうし、あれだ。思い立ったが吉日ってもんだ。

 芯の先を火の付いたコンロにあてがうと一気に醸し出し始めた。

 電車で時々出くわす鼻の中をえぐるような強烈な香水の匂いとは違う薄い花の香り。

 これはどんな種類の花だろう。ふと興味が湧いてネットで調べてみようとした。

 「……あれ? 手が」

 しかしスマホを手にとることはできず、俺の視線は自然に上を向いた。

 何が起きたのかの説明などできない。唯自分が床に倒れたということだけが背中の衝撃で伝わった。

 周りが暗闇に包まれるその最後の瞬間、トイレシートの方から聞き慣れた水の音がした。

続く

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