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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第四章 宿命の運河
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8:巣立ちの宣言

 最近エーミールは、思うことがあった。

(女の子っていうのは複雑な生き物なんだなあ……! 人類の神秘だよ!)と、ここ二日の間に身に染みて感じるようになった。


 それはそうと、およそ二日の道程を経て、無事にイド村に帰り着く事ができたのだった。

 エーミール達二人の帰宅を、両親は諸手を上げて喜んでくれた。

 しかし、薄々覚悟していた通りの事が起こっていたのを目にするのは、両親にとって複雑なものだった。


「あなた方には、これまで一段と世話を掛けてしまいましたね。感謝しています」


 家の入り口で顔を合わせるなりそう言って微笑んだフェリシアは、随分と大人びた印象を与えると共に、恐ろしくよそよそしくもなっていた。

 それ故、母と父は酷く落胆した感情を覚えていた。

 だがその気持ちを台無しにしたのは、フェリシアの隣でボソッと呟いたエーミールだった。


「あのー……一番お世話したのって僕だよね? ねえフェリシア、僕だよね?」


「ふふ、そうかもしれないわね。ところで、次はあなたが記憶喪失になる番かしら?」


 にこやかにフェリシアは答えていた。

 形は変われど、あまり距離感が開いているようには見えなかった。


「はは……とにかく、無事に帰ってきてくれて良かったよ。目的も果たせたようだしな」

 改めてホッとすると、父はそう言っていた。


「ええ、そうね」と頷いた後、母は二人を促していた。


「お帰りなさい、二人とも。お腹空いてるでしょ? ちょうど朝ごはんの時間だから、家に入ってちょうだい」


「そうだね」と頷いた後、エーミールは言っていた。


「ただいま、母さん」


 それに続いて、フェリシアもまた言うのだった。


「ただいま戻りました」と。



 母が用意したのは、いつも通りの食卓だった。

 パンにシチューという組み合わせは、エーミール家の定番である。


 四人で朝食を囲みながら、おもむろに母が切り出していた。


「……お姫様、記憶が戻ったのね」


 そう言ってしまってからすぐに、ハッと我に返った様子で慌てて言う。


「ご、ごめんなさい。目上の方に普段の口調で話してしまうなんて」


「いえ、構いません」と言ってフェリシアは微笑んでいた。


「これまでと同じで良いのですよ。そもそも、記憶を取り戻したからと言って、私の身分は変わりません。今の私はいずれにせよ、プリンセスという立場ではないのですから」


「そ、そうだったわね……」


 母は頷いた後、すぐに口を閉ざすようになった。

 そう、フェリシアが言うとおり。今この国はグランシェス王国ではないのだ。

 その事を、まざまざと再確認させられてしまったから、母は黙り込むしかなくなってしまったのだ。


 そんな母が覚悟していたことを、いよいよフェリシアは口にしていた。


「……これまで本当に、お世話になりました。私はカルカロスへ参ります」


 フェリシアはその澄んだ青い瞳でエーミールの父母を見回すと、ハッキリと言ったのだ。


「私には成すべきことがあります。それは、グランシェス王国を再建することです」


「…………」

「…………」


 エーミールの父も母も、それに対して何も言い返さなかった。

 元より予想していた事だったからだ。


「元は私が始めた事です。私の責任によって、モレク王国とグランシェス王国は戦を始め、そしてついには敗れてしまいました。ですから、わたくしには、それを取り返す責務があります」


 フェリシアは背筋を伸ばして、淡々と話していた。


「そしてそれを求めている人々が居ることを、一度シンバリへ向かった道の最中、痛感致しました。私には彼らに応える義務がある。臣民の信頼がいまだ残されている以上、それに応える事こそが、王族としての勤めであると自負しておりますから」


 フェリシアの言葉に甘えは無い。たどたどしさも無い。

 その事に違和感を覚えなかったわけではない。


 しかし――これが、この姿が、本来のフェリシアなのだ。


「そう……そうよね。最初からずっと、覚悟しているのよね」

 そう言ってため息をついたのは、母だった。


「最初からわかってはいたのよ。あなたは、私達にとって恐れ多いほどに高い存在であると。でも……けれど、これだけは言わせてほしいのよ、お姫様」と、母がフェリシアに笑顔を向ける。


「あなたが私たちの娘で居てくれた期間は、私達にとって、とても掛け替えの無いものだった。だから――ありがとう、“フェリシア”。私達夫婦に、素敵な思い出を与えてくれて」


 その隣で、「ああ、そうだとも」と父もまた笑った。


「キミが居てくれて、我が家は賑やかで楽しかったよ」


「っ――」


 その瞬間、フェリシアの“非の打ち所が無かった”表情が崩れた。


「……お母さん、お父さん」


 涙ぐんでそう呟いた後、すぐにフェリシアは涙をぬぐうと、また再び元通りの完璧な所作になって、行儀良く微笑むようになる。


「ありがとう。あなた方の献身を、私は決して忘れません。ここは――イド村は、私にとって、第二の故郷です」


「ええ、もちろんよ」と言って母は大きく頷いていた。

 それに続いて、父もまた何度も頷いた。


「そうだとも。いつでも好きな時に帰ってきなさい」


「ええ、もちろんです」とフェリシアは頷きながら、隣に座っているエーミールへと視線を向けていた。


「たまには実家に帰らないと。こんなに素敵なご両親が居るのです。エーミールを親不孝者にさせるわけにはいきませんからね」


「ですよね、エーミール」とフェリシアに微笑み掛けられ、エーミールは(そうだよなあ)と考えていた。


(そうか。フェリシアがカルカロスへ行くということは……僕も)


 やがてエーミールは頷いていた。


「……そうだね」


 エーミールの静かな返答に、母と父は目を丸くさせていた。


「……エーミール?」


 怪訝そうな表情を浮かべる両親に、やがて意を決するとエーミールは顔を向ける。

 言い辛いけれど。

 でも、自分の口からきちんと話さなくてはならないのだ。


「僕もフェリシアと一緒にカルカロスへ行くよ。僕は……――」


 両親の目を真っ直ぐに見据え、エーミールは静かな声で打ち明けていた。


「女神イスティリアに託されたんだ、この土地の未来を。最後のマルゴル人として。――だから、フェリシアのグランシェス再興を手伝わなければならない」


 エーミールの頑ななその言葉に。

 母と父は、ギョッとした表情を浮かべるようになる。


「えっ――?!」


「そ、それは、どういうことなんだエーミール!」


 父と母が心底から驚いた様子でぽかんと口を開けている。

 無理もないとエーミールは思った。


(僕だって、イスティリアに見せられるまでは夢にも思っていない事だった)


「……特別なんだよ、僕たちは。誰も知らなかったけれど、すっかり忘れていたけれど。それが先祖の選択だったから。けれど……このままで居られない時が来てしまった。マルゴル人は、新しい道を模索しなければならないんだ。これまで通りの生活ができた時代は、もう終わってしまったんだ……」


 ため息を付くエーミールの姿は、これまで両親が知っていたどのエーミールにも当てはまらなかった。

 フェリシアと出会い、急速に成長していったと思っていたエーミールが、今や自分たちの知らないエーミールにまでなってしまっていたのだ。とはいえ。


「……エーミール、そう。そうなのね……」


 母は頷くしかなかった。薄々気付いていたからだ。


「……覚悟はしていたわ。近頃のあなたを見ていると、急に私たちの手から離れて行くように見えてならなかったものね」


「ああ……そうだな」と、父もまた頷いていた。


「お前、一人前の面構えになったよ。エーミール」


 父に微笑み掛けられ、エーミールもまた微笑んでいた。


「父さん、母さん。今までありがとう。僕、きちんとやり遂げてくるよ」


「しっかりやって来いよ、エーミール!」と言う父の隣で、母もまた頷いた後、「ところで――」と、フェリシアに目を向けるようになった。


「再興を手伝うということは、エーミールはお姫様の家臣になるということよね? ――だったら、幾ら大切なお姫様と言えど、うちの可愛い一人息子を連れて行くのだから、一つ約束してほしい事があるんだけど」


「なんなりと」と言ってフェリシアは微笑んだから、母はそんな彼女に母親として伝えていた。


「せっかくだから、エーミールの立場を保障してほしいのよ。それって、貴族社会の中に庶民が紛れるということでしょう? だから――」


「おいおい、ちゃっかり者だなあ母さんは。さすがにそんな贅沢な話は――」


 笑う父をよそに、フェリシアはにっこりと微笑んでいた。


「ええ、私としては最初からそのつもりですよ。もちろん、貴族の中に在っても遜色の無いように、エーミールには私の夫として、最終的には国王になって頂くつもりです」


 当たり前のようにサラッと打ち明けられたフェリシアの話を聞いて、父と母は同時にばぶぅー!! と吹き出していた。


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