7:雪上の再会
このままそりに乗り続け、一息のうちにイド村へ帰り着きたかったが、そうも行かなかった。
強行軍がずっと続いている上に、夜の雪山の凍て付くような風が容赦なく体を叩きつけてきて、体温を奪っていく。
「フェリシア、寒くない?」
エーミールはこれまでのように、そりの手すりに掛けられていたフェリシアの手を手で覆おうとした。
しかしフェリシアはこれまでと違って、エーミールの手から逃れるようにスッと手の位置を変えた。
(……そうだった。フェリシアは……)
エーミールは思い出していた。
フェリシアはようやく元の人格と記憶を取り戻したのだ。
フェリシアは沈黙を保っていたから、エーミールもまた話し掛けるのが憚られて口を閉ざしていた。
しかし結局エーミールは、二時間も走らないうちにそりを止める事を選んでいた。
「これ以上は体力が持たない。今夜はここでかまくらを作って、一夜を明かした方が良い」
エーミールはそう言って、犬ぞりに乗せた荷袋の中からスコップを取り出すと、かまくらを掘り出していた。
するとその傍らにフェリシアもしゃがみ込んで、作業を手伝い始めるようになった。
フェリシアの横顔は何の表情も伺えなかったから、何を考えているのかさっぱりわからない。
(これまでのフェリシアなら、何を考えていたかすぐにわかったのになあ)と、エーミールは思っていた。
二人で作った甲斐あって、かまくらはあっという間に完成した。
中は寒気を極力入れないために出来る限り狭く作るのが鉄則である。
そのため、今回作ったかまくらも、ヴィズと荷物を奥に押し込んだ後は、二人が座るとそれだけで一杯になってしまうほどの広さしかない。
吹雪いてはいなかったが、エーミールは外気を防ぐために雪を積み上げて、かまくらの入り口を半ばほど塞いでいた。
「これで良しっと」
エーミールは一仕事を終えたような爽やかな気持ちと共に、毛布を荷の中から引っ張り出していた。
「さて、あまり寝ている時間は無いだろうから、今夜は早く寝てしまおう。日が昇ればすぐにでもまたそりを走らせなければならないからね」
近くに居る筈のフェリシアにそう話しかけながら、エーミールは手探りに彼女を引き寄せていた。
「なんで離れてるんだよ? ちゃんとくっ付かないと、雪の病になっちゃうよ。前にも言ったろ?」
「えっ?! ええ……それは、その、はい」
酷く動揺した声が聞こえたような気がした。
いつものフェリシアらしくないなあ。と思って、エーミールは笑っていた。
「まさか、また遠慮してるの? それともまたご褒美がほしのかな? まったく、仕方ない子だね」
そう言うが否や、ごく自然な動作でフェリシアを抱き締めて、頭をヨシヨシとエーミールは撫でてくる。
ニコニコと笑うエーミールと至近距離で目がかち合い、フェリシアはかあぁと耳まで真っ赤になっていた。
「あ、あの、私、もう元に戻っているので……子ども扱いは……ちょっと……」
そんなフェリシアの様子と、言い辛そうにボソボソと放たれた言葉を聞いて、エーミールは改めて思い出していた。
「あっ! あ~ああ、そ、そうだったね! ご、ごめん……!」
エーミールは慌ててパッと手を離したが、体を離すことはできなかった。
これから雪山の真ん中で一夜を過ごそうという時に、離れた位置に身をおく事は命に関わってしまうからだ。
「い、いえ……その。わ、私も、さっきは、叩いてしまって……ごめんなさい」
フェリシアは視線をたじたじと逸らしながらボソボソと謝ってきたから、エーミールは慌ててこくこくと頷いていた。
「いや、その、か、構わないんだ、べつに……」
エーミールもまた視線を逸らせると、しどろもどろ答えていた。
「…………」
「…………」
その後はずっと沈黙が流れるようになってしまった。
(や、や、やり辛い!! 調子が狂う!!)
エーミールは心の中で叫んでいた。
(だ、大体、なんでこんな気まずいんだよ?! それよりも僕は、なんでフェリシア相手にこうも恥ずかしくなっちゃってんだ!)
エーミールは悶絶したくなっていた。
いつものフェリシアなら、無邪気な笑顔を見せながら「エーミール、だーいすき! ぎゅー!」なんて言って迷い無く抱きついてきた筈だ。
そうなるとエーミールは、あー可愛いなあ、なんて微笑ましくなって、ヨシヨシと頭の一つも撫でてやりたくなるわけだ。
体格だって小柄だし華奢だし、抱き締めた時も柔らかいし、言うなれば、どちらかといえば小動物のような愛くるしさがフェリシアにはあった。
が、今のフェリシアは何なんだろう。
目が合うと、いつもみたいにニコニコ笑い掛けてくるわけでもなし、すぐに目を逸らしてしまう。
気まずい。ただただ気まずい。その上に。
(よく考えたらフェリシアって胸がそこそこ大きいんだよな……当たるし。むにってなるし……!)
今更そのことを意識してしまって、エーミールは赤面するしかなかった。
むしろ今までずっと気にならなかった事が嘘みたいだ。
いや、ちょっと態度を変えられただけで、ここまで気になってしまう方が信じられないぐらいだ。
とはいえ、こんなピッタリ密着するしかない状況で、気まずいままであるというのも良くない状況だ。
(大体、普通に考えて、今更態度を変えるってのも変だよね? と、とにかく、いつも通りに接したら良いんだよ!! うん!)
エーミールは気を取り直すと、いつものペースを取り戻すべくフェリシアに話し掛けていた。
「大丈夫? 眠れそう? さっきまで大変だったからね。ゆっくり眠れるように、トントンしてあげようか」
それからエーミールがフェリシアの背中をトントンと軽く叩き始めた次の瞬間、だんっ! と、フェリシアはエーミールの顔のすぐ脇にあるかまくらの壁に手を突いていた。
「はっ……?」と、呆気に取られるエーミールに、フェリシアは引きつった笑顔を見せる。
「子ども・扱い・しないで・って、言いましたよね?」
怒りを抑え込むかのような笑みと共に、強調するかのようにゆっくりと言うフェリシアは。
(こ……怖い。なんか、この人めちゃくちゃ怖い!!)
エーミールは全力でそう思っていた。
「す、すみません」
大急ぎで謝ったエーミールの言葉を聞くと、「宜しい」と言ってフェリシアはスッと手を除けていた。
それから、ずれ落ちていた毛布を手に取ると、肩に掛けて改めてエーミールに身を寄せてきたから、エーミールはぽかんとしていた。
「えっ……?」
「なにを間の抜けた顔をしているの。くっ付いていなければ雪の病になると言ったのは、そちらではないですか」
「いやまあ、それは、そうなんだけど」
「まったく、あなたという人は。三年前にも礼儀が成っていないと思ったけれど、準成人になって尚、相変わらずの態度なのね」
ため息をつくフェリシアは、エーミールに猛烈な懐かしさを感じさせていた。
「フェリシアって、やっぱりお姫様なんだね……」
エーミールのその言い草に、フェリシアはムッとなっていた。
「やっぱりって、なにがやっぱりなの……」
「いやまあ、それは」
エーミールは髪を掻きながら笑ったから、フェリシアは「まあ良いわ」と言うなり、やっと表情を緩めていた。
「……また会えたわね、エーミール」
そう言うなり、フェリシアが毛布の裾から手を出して、小指を差し出してきた。
そんな彼女の仕草を見て、エーミールは改めて三年前に交わした約束を思い出していた。
「そうだったね」
微笑んだ後、エーミールもまた毛布から手を伸ばすとフェリシアの小指に自身の小指を絡めていた。
「改めて、お帰り、フェリシア」
にこりと笑いかけるエーミールの表情に、フェリシアもまた笑顔を零す。
「ええ。ただいま、エーミール」
そうやって言葉を交わした後、二人は目を見合わせる。
しかしそれも間もなくで、フェリシアの方からそそくさと指を離すようになった。
と同時に彼女は目を逸らしたから、エーミールは苦笑していた。
(よく考えたら今のフェリシアにとって、僕って距離感が取りにくい相手だろうし。やっぱり、抵抗があるのかな?)
そう思っていると。
「……まあ、さっきは謝ってくれましたから」
藪から棒ににボソッとフェリシアが言ったから、「え?」とエーミールは聞き返していた。
そんなエーミールからそっぽを向いたまま、フェリシアはついと頭を寄せる。
「ご褒美に、ちょっとぐらいならヨシヨシしても良いですよ?」
「……え?」
思わずエーミールは再度聞き返していた。
するとフェリシアはこんな風に言うのだ。
「いっておきますけれど、エーミールがどうしてもやりたそうだから。仕方なく。仕方なくですからね?」
「は、はあ」
エーミールはしばらく呆気に取られていたが、やがてハッと気付いていた。
「……つまりそれって、僕にナデナデしてほしいってこと?」
その事に思い至ると、エーミールは嬉しさが込み上げていた。
それはまるで、急に反抗期が訪れて自立を始めてしまった娘が、再び我が子に戻ってくれたような、父親のような感情だった。
「なんだ、それならそうと早く言いなよ! 良かった……! まだまだフェリシアはちっちゃい女の子のまんまなんだね。もう、仕方ない子だなあ!」
満面の笑顔で抱き締めようとするエーミールに、次にフェリシアが向けてきたのは、冷ややかな眼差しだった。
次の瞬間、パンッ! という頬を叩かれる音がかまくらの中に響いた。




