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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第四章 宿命の運河
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5:各人の状況

 エーミールがフェリシアにビンタされた頬を腫らしたまま大神官とやり合っていた、ちょうどその頃。


 フェリシアはというと、私室として借りている客間にて、一人ベッドに顔をうずめて「ああぁぁ――!」と叫んでいた。

 それだけでは飽き足らず、足をバタバタとさせていた。

 その後、「なんてこと! なんてことなの!」と叫んでいた。


 その様子を見てわかる通り、エーミールの施した儀式はきちんと成功していた。

 フェリシアの体を冷気と熱気が通り抜けた後、フェリシアはありとあらゆる事を思い出していた。

 まるでそれは、夢の中に居る自分が、これは夢であるのだと我に返ったかのような体験だった。


 フェリシアの意識は雪の中で倒れたその時に途切れていて、その先はずっと、夢の世界での出来事のようだった。

 自分よりも二つも年下の少年に対して、まるで父親に対するかのように甘え、彼もそれに答えてくれた。

 まるで赤ん坊のように世話をしてもらったり接してもらう事が心地良かった。

 実の両親にしてほしくてもしてもらえなかった事を埋めるかのようにして、フェリシアはエーミールに父性を求めて甘えていた。


 そんな自分を細部まで覚えていて、ありとあらゆる事を思い出す事ができるからこそ……――


「ああ、あああ、わああ……!!」


 フェリシアはベッドの上で布団を頭の上に被りながら、震えているしかできなかった。


 思い出せば思い出すほど、耐え難いほどの恥辱感に苛まれてしまう。

 さっき咄嗟にエーミールをビンタしてしまったが、自覚はあるのだ。


 これは全て自分が仕出かしてしまったこと。

 思えばあの時も、あの時だって、エーミールは困ったように笑っていた。

 それを半ば強引に押してでも甘えていたのは自分自身だ。


(どうしてもっとハッキリと言ってくれないの!!)と、フェリシアは八つ当たりと知りつつも思うより他無かった。


 幾ら幼児退行していたからと言っても、これが自立心溢れる幼児期という体ならフォローのしようもあった。

 そう、例えば、十年以上も前に実際に彼女が通過した幼児期のように、大人びた事を喋り背伸びをした立ち振る舞いをする。

 それなら幾らでも弁解の余地があった。


 でも、記憶を失くしている間のフェリシアは、フェリシア自身ですら知らないフェリシアだった。

 なにしろ自立するどころか、それとは逆行している。四歳~五歳だとエーミールの母からも言われているのに、それ以下の甘え方をしている。

 つまり――弁解の余地無し。


「わ、私はなんてことをしてしまったの……! 私って馬鹿なの?! 死ぬの?!」


 フェリシアは意味も無くバンバンと布団に対して頭突きを繰り返していた。


(だ、大体、どうしてエーミールは拒まなかったの?! よく彼は『フェリシアの心は赤ちゃんなんだね。仕方ないねー』って笑っていたけれど!! 仕方ないじゃありません!! 『十八歳の女が乳幼児の真似をするなんて気持ち悪い』の一言ぐらい言えば良かったのよ!! 蔑んだ目の一つぐらい向けてくれた方がよほど在り難かったわよ!! 少しでも良いから拒んでくれたなら、私だってああも致命的な失態を犯したりは……!)


 それからフェリシアは耐えられなくなって、また「ああ――!」と叫び声を上げていた。

 フェリシアの精神はしばらくの間、再起不能である様子だ。



 その頃エーミールは、ハアハアと息を弾ませながら、一人薄暗い大神殿の廊下を駆けていた。

 その後ろから、大神官が追いかけてきているのがわかる。


 なにしろ、コツンコツンという靴が石の床を叩く音が背後から遠巻きに聞こえるのだ。


「エーミールうー……逃げなくても良いではありませぬかー……」


 遠巻きに、大神官が呼びかける声が廊下を反響しながら聞こえてくる。


(逃げるに決まってるだろ?!)とエーミールは思っていた。


 とはいえ、大神官は老人であるだけあって足が遅いようで、幸いにも今のところは追いつかれずに済んでいる。

 しかし、いつまでも大神殿の中で追いかけっこしているわけにはいかない。

 そろそろエーミールの体力も磨り減ってきてしまっている。


(どこか、隠れられるような場所は無いかな……?)


 エーミールは辺りをきょろきょろと見回して、すぐに見つけていた。

 ちょうど廊下の幅が広がる辺りで、太さのある柱が均等に並んでいる場所があったのだ。


 エーミールはそのうちの一本の裏に回ると、急いで伏せて身を隠していた。

 その直後、今しがたエーミールが走ってきたばかりの廊下の向こうから声が聞こえてくるのだ。


「エーミール、どこかなー……?」

「いつまでも逃げ回っておらずに、早く出てきなさい、エーミールぅ……」


 苛々を抑え込んだかのような、優しさの裏にどす黒さを潜ませた声で呼びかけながら。

 コツコツという、靴底が石の床を叩く音が徐々に近付いてくる。


 やがて暗がりの先から姿を現したのは大神官で、大神官は目を血走らせながら唇の端を歪めていびつな笑顔を作っていた。

 そうして辺りをきょろきょろと見回した後、そこに誰も居ない事を確認すると、コツンコツンと靴底を鳴らしながら、暗がりの先へと消えて行く。


「エーミールー……」

「もう私は怒ってはいませんぞ。だから、早く出てきなさい……」


 コツンコツンという靴底の音が遠ざかると共に、大神官の声もどんどんと遠ざかって行く。


 しばらくの間エーミールは息を殺してやり過ごした後、やがて、やっと人の気配が消えたことを確認すると、柱の影から出ていた。


(はあ、やっと撒くことができたみたいだな……)


 エーミールはホッと胸を撫で下ろしていた。

 そしてすぐに腕組みをすると、考え込んでいた。


(このままここでのんびり宿泊ってわけにも行かなさそうだ。説得しようにも、あれじゃあ聞く耳を持ってくれるようには思えないし……。夜の山が危ない事はわかっているけれど、こうなれば外に居るヴィズを呼んで、大神官様の目を盗んで立ち去るぐらいしか……)


 そんな風に考え事をしていたその時である。


「キャアァァ――っ!!」


 誰かの叫び声が聞こえてきて、エーミールはギョッとしていた。

 いや、誰かではない。この場に居る人間は限られているのだから。


「フェリシアっ!!」


 エーミールは血相を変えて駆け出していた。

 そうだ……――そうだった。自分一人がやり過ごす事ができたからって胸を撫で下ろしている場合ではなかったのだ。


 この神殿にはもう一人、フェリシアも居るのだから!!


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