4:狂信者
聞き慣れない言葉の旋律が輪となり、重なり合うかのように部屋中を反響して行く。
エーミールの呪文を聞くうち、フェリシアの体が冷気を感じ取る。しかしそれも一瞬で、入れ替わるようにして火傷するかのような熱さへと変わる。
「あ……ぐっ……」
フェリシアの顔色が変わる。
青ざめた表情をして、両肩を抱くフェリシアの姿を見ても、エーミールは旋律を止めなかった。
今やエーミールは女神の手によって、全てを知っている。
マルゴルの秘術の全てと、それらの原理の全てを理解し尽していた。
だから彼女は大丈夫だと解っている。冷たいのも熱いのも、一瞬で過ぎ去る事だ。
案の定、間もなくフェリシアは黙り込むようになる。
『ありがとう、エーミール』
旋律が終わりかけた刹那、そんな囁くような声がした。
エーミールが言葉を止めた時、フェリシアはがっくりとその場に膝をついて座り込むようになってしまった。
フェリシアはそのまま俯いて微動だにしなかったから、エーミールはさすがに心配になっていた。
「だ、大丈夫?」
慌てて駆け寄ると、エーミールは手を差し出そうとする。――すると。
バッと顔を上げたフェリシアと目が合った。
フェリシアは何故か、耳まで赤くなって、両目に涙を浮かべている。
「えっ?」
まったく予想もしていなかった表情を見せられて、戸惑いの声を上げるエーミールの頬に、ビンタが飛んできた。
パンッ! という甲高い音が部屋を反響する。
「ばっ――」
「え?」とエーミールが咄嗟に聞き返すより先に、フェリシアは震えた声で叫んでいた。
「馬鹿っ、馬鹿馬鹿、馬鹿ぁ――!!」
それだけ叫ぶと、フェリシアは身を翻して部屋から飛び出していってしまった。
「ちょっ……ふぇ、フェリシア?!」
慌てて引きとめようと手を伸ばした後、エーミールは呆気に取られたままジンジンと熱を持つようになった頬に手を宛がっていた。
「な、なんなんだ一体……?」
さっきのリアクションに対して全く身に覚えが無かったせいで、エーミールは呆気に取られるしかなかった。
(でもまあ、多分、成功した……よね……?)
エーミールは自信無さげに首を傾げていた。
とはいえ、さっき女神イスティリアの声が聞こえたし。成功したはしたのだろう。
追いかけた方が良いのかなあ。でも、何故か猛烈に怒ってたみたいだし。どうしたもんかなあ。
などなど考えながら、エーミールはきびすを返すと、とりあえず自分もここから引き上げる事に決めた。
部屋から出ると元通りに大きな両扉を厳重に閉めた後、暗い階段を登ってゆく。
登り切ったその先に、彼の姿はあった。
「エーミール=ステンダール。無断で神殿内を必要以上に探索するのは良くありませんな」
そう言って微笑みかけてきたのは、大神官だった。
「す、すみません」
エーミールは慌てて謝りながら床扉を元通り閉めていた。
そんなエーミールに、「とはいえ」と大神官が穏やかな口調で言葉を続ける。
「まさかここがあのような場所に通じる扉だったとは。私も知りませんでした。確かにあなたはどうやら女神イスティリア様から様々な事を教わったようですな?」
「……――」
エーミールはハッとして息を呑んでいた。
今の口ぶりから察するに、恐らく大神官は、さっきの儀式を見ていたのだろう。
「しかしそれにしても――」と尚も話す大神官の口調は、どこか浮ついた気配を宿していた。
「まさか大神官どころか神官ですらないあなたに、女神イスティリア様が心を許されるとは。これも神の思し召しに違いない。女神様はあなたを見初められた! そして、あなたにあのような奇跡を引き起こすような力をお与えになられるとは……――」
大神官の言葉を聞いて、エーミールはギョッとしていた。
そんなエーミールに大神官はというと。
「あなたこそが神の使いに違いありません!」と、叫んでいた。
「いや、それだけじゃない。女神イスティリア様に愛されしあなただからこそ、神の王に相応しい! そう――これまでの事は全て女神様の意のままだったのです! グランシェスを滅ぼしたのも、グランシェスの姫とあなたを繋げたのも、女神様の思し召し。それは何を指しているのか? それとは、つまり――」
大神官は嬉々とした様子で両手を大きく左右に広げると、話していた。
「新たなる神の国を建国することを、女神イスティリア様はお望みになられているのでしょう!!」
大神官が言ったのは、それだった。
「今こそ神王を頂点とした国を樹立するのです! そして世界中の人々を、美しき女神イスティリア様の膝元に跪かせようではありませんか!」
大神官の目は輝いていたから、エーミールは確信していた。
(――大神官様は、本気でこういう事を言ってるんだ……!)
「それは違うよ!」
エーミールは咄嗟に叫んでいた。
大神官が思うような国を作り上げてしまえば、それはかつてマルゴル人が生み出した国の再来でしかない。
ただ同じ轍を踏むだけではないか。
「イスティリアはそれを望んでいるわけじゃない! ホントはイスティリアだって、秘術の存在を隠したままで居たかった筈だよ? でも、このままじゃ危なかったから! だからイスティリアは、苦渋の末にこの手段を選んだんです!」
「隠すなんて、そんな滅多な事を言うものではない!」と、大神官は言った。
「偉大な力ではありませんか! 素晴らしい力だ! それさえあれば、他の神々の信仰者など目ではありませぬ! 女神イスティリア様の信仰がたちまち頂点へと上り詰める事だって夢では無いのですぞ?!」
「とんでもない!」とエーミールは答えていた。
「力によって、上なる者と下なる者を隔てるなんて事はしちゃいけない! それが世界の不和を生み出す元となる! 僕たちマルゴルの民は、何千年もの歴史の中でそれを学んだからこそ、この力を一度は捨て去る事を選んだんです!」
「学んだなら、不和を生み出さぬよう持つべき者が持たざる者の代わりに気をつければ済むだけの話ではないですかな?」
「先代だって同じ事を考えたんですよ。 でも、結果は見ての通りだった! 人は死ぬ。死んで産まれて、先代から次代へと継がれ行く過程で、思いは刻一刻と変化して行きます。記憶や伝承はその中で、その時々の人々の意思に応じて変わって行くんです。その変化は防ぎようもありません……! 意思が等しく継がれない以上、それでは良くないんです!」
エーミールと大神官の意見は平行線のままだった。
結局、先に痺れを切らしたのは大神官の方だった。
「ええい……若者の分際で、年長者の意見が聞けぬと言うのか!」
大神官は形相を変えると靴底で強く床を叩いた後、「もういい!」と叫んでいた。
「あなたがその気なら致し方あるまい。女神様のご意思はこの私が叶えようではありませぬか! さあ、あなたが女神様より承ったその力を差し出すのです! あなたにその力は不要であるようですからな!」
「さあ!!」と言って、大神官がエーミールの方へ迫ってくる。
その形相は狂気に満ちており、目が血走っている。
恐らく彼は何がなんでも、エーミールから秘術を奪い取るつもりなのだ。
そしてその秘術は、力尽くで奪い取れるようなものであると信じているのだろう。
「こんな物が信仰だと言うなら――」
エーミールは歯を食いしばると、叫んでいた。
「女神が力を失くすのは当たり前の事だよ!! だって女神の意思と言いながら、都合良く歪めて解釈しているだけじゃないか!!」
それからエーミールは大神官を突き飛ばすと走り去ったから、「待ちなさい!!」と慌てて大神官は叫んでいた。
「この……あのクソガキめっ……!!」
大神官は目を血走らせながら、床をドンと叩いていた。
「あんな若造に女神様の力を取られてたまるものか! 大神官であるこの私こそが女神様の意思を尤もよく理解しているに決まっておるのだ! 逃がさんぞ……絶対に逃がさんからなッ!! こんな夜中の雪山の中で、逃げられると思うなよ!!」
大神官は形相を禍々しく歪めながら、そう叫ぶのだった。




