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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 女神の追憶
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18:女神を愛する国

 スーラがパートナーの北領犬サバーカと共に旅立った後、気付けば、幾度も月の満ち欠けが繰り返されていた。

 雪の日、吹雪の日、よく晴れた日、曇りの日。

 雪の山にあるイドの集落の上空では、いつもと変わりなく様々な空模様が巡ってゆく。


 いつの間にか十年の歳月が過ぎていた。

 トアもチェトレもフェンも、とうの昔に成人を過ぎている。


 嫁に出したトアが産んだ灰色の髪の娘は、いつの間にか七歳になっている。


 気付けば孫の世代となる少年少女が、雪に埋もれた白銀の村を駆け回っている。

 キャッキャという賑やかな声を上げながらはしゃぐ子供たちの姿を目に映し、ドーヴァはジェーンと共に目を細めていた。


 四十代となった二人は、この集落にとって既に“初老”と呼ばれる年齢である。

 この過酷で寒い環境の為か、イドの人々は平均して五十代~遅くても六十代のうちに亡くなり、墓の下に身を埋める事が一般的だ。


 そうやって遊び回る子供たちを見ている彼らの背中に、「父さん」と声をかけてきたのは、今年でちょうど二十歳となる末の息子のフェンだった。

 フェンは灰色の髪をしたドーヴァ似の若者で、次の長になる事が決められている。

 彼にもまたとうの昔に妻があり、二児の父親となっている。


「少し、見てほしい書類があるんだが」


 フェンに促され、「ああ、わかった。行こう」とドーヴァは頷くと、ジェーンに声をかけていた。


「少し席を外すから、孫の相手を頼んだよ」


「わかっていますよ、ドーヴァ」とジェーンは目尻の皺を縮めて微笑んでいた。



 既にイドでは世代交代を終えており、ドーヴァはとっくに仕事の大半を息子のフェンに譲り渡している。

 しかし時たまフェンはわからない所や決めかねる所があると、ドーヴァを呼んで意見を仰ぐのだ。


 まるで若かりし頃のグランシェスとドーヴァの関係のようで、ドーヴァは懐かしさを覚える日も珍しくない。


「これなんだけど」と、フェンは樹皮紙を手に取って、「どれどれ」とドーヴァが目を通す。


 本当ならばこの役割はスーラが行う物なのだと、十年前のドーヴァは思っていた。

 しかしスーラは集落を出て行ってしまった。


 きっと多くの人々を連れて戻り、この女神イスティリアが加護している雪の土地に国を造るんだと言い残して。


 あれから十年も経ってしまった。

 出て行ったスーラが戻ってくる事を期待しているイドの民は、既に殆ど居ないかもしれない。

 ついには異国へたどり着く事も叶わないまま、雪の中にその身を埋めてしまったと考えている人すら居る。


 しかしドーヴァは信じていた。

 根拠があるわけではなかったが、ただ何の気無しに信じていた。


 それはドーヴァの妻や息子達も同様だった。

 スーラの事をよく知るからこそ、彼が色彩の民らしく情熱的で、かつマルゴル人らしく実直な人間であると。

 そしてまた、彼は紛れもない雪の女神の息子なのだと――


 それを知っていたからこそ、ごく当たり前のように思っていた。


 そう、だから――


 ある日突然、『ガチャリ』とドアの開く音が聞こえて。

「ただいま」と、自然に声を掛けられたところで。


 ドーヴァとフェンは同時に振り返ると、ドアを開いてそこに立っている銀色の髪の男へと目を向ける。


 透き通るような青い眼差しは女神のような優しさを宿しており、鮮やかな色のコートを身に着けた、グランシェスの生き写しのような見た目をしたその男がそこに立っていても。


「「おかえり、スーラ」」


 声を重ねて、当たり前のように返事を返す。


 スーラは笑みを深めると、改めて「ただいま」と答えるのだった。





 スーラは十年前に話していた通りの事を行った。

 彼は多くの色彩の民をこの土地に連れてくると、イドの集落を拠点として、瞬く間に町を作り、都市を作り、ついには国を築き上げてしまった。


 女神イスティリアの加護の元、一つにまとまったオプタール人の移民たちによって築き上げられた一大国家。


 それが達成できたのは、グランシェスの存在が大きかった。


 グランシェスは母国オプタール王朝において、高い信頼を得ている文官だったのだ。

 スーラはそんな彼に生き写しの容姿をした息子であり、また、八大神の一柱である女神の子でもある。


 その神秘性とカリスマ性が人々の心を掴み、ついには国王の公認を得て、多くの人々を入植させる事に成功したのだ。


 オプタール王朝の兄弟国として築き上げられたその国の名は、『グランシェス』と名付けられた。


 オプタールから訪れた技術者や学者によって、瞬く間にイドの人々の文化レベルは向上した。

 灰色の髪の民の住まいは、リュミネス山にあるイドだけでなく、山の麓にある新たにウインテルと名付けられた町にまで拡大するようになった。


 しかし、ドーヴァを初めとした多くのイド人は、イドの集落に留まった。

 彼らにはやるべき事があったからだ。


「今こそスーラとの約束を果たさなければならないな」


 そう言ってドーヴァは皺の刻まれたその顔に、笑みを深めていた。





 イドの人々の手によって、スーラとの約束通り、山の頂に巨大な神殿が建てられた。

 そしてまた、オプタール人との同化と共に忘れられて行くであろう、これまでのマルゴル人としての継承の片鱗を、石の壁に刻んでいた。

 それと同じく、イドの集落にも小さいながら石碑を建てていた。


 それは女神イスティリアと、彼女の原初でもある、白き竜リディニークの姿。


 時代と共に変化し難解になって行く言語よりも、絵で残すことをドーヴァは選んだ。


 ドーヴァの先代の長が、これ以上過去に囚われてはならないと、マルゴル人としての定義を捨て去ることを決めた。

 そしてドーヴァは先代に従って、後継にはマルゴルの秘術を伝えることは止めることにした。


 全てはここから始まったせいだ。

 口伝によってこれまで継がれてきた歴史が物語っている。


 色彩の民とマルゴル人との間を長い歴史の中隔て続けた、ただ一つの差異。

 それは髪の色でも血筋でもなんでもない。


 マルゴルの秘術なのだ。


 それによって強き民と弱き民が分けられた。

 元は同じルーツを辿る人々は断絶された。


 今、人と人とが一つになる。長らく隔てられ続けた民が、肩を並べ共に生きる。

 そのためにはもはや、マルゴルの秘術は不要なのだ。


 しかし、神々と古の竜の関係だけは忘れ去ってはならないだろう。

 竜の上に神が立つが故、神が無くなれば伏している竜は起き上がる。


「この先、思い返す必要は無い。囚われる必要も無い」


 ドーヴァは一人、イドの集落の傍らにある墓地に築き上げられたばかりの墓碑に花を手向けた後、立ち上がっていた。


「しかし――」


 ドーヴァは羽織っている白と青のローブの崩れを正すと、墓碑から背を向けていた。


「ここから全ては始まったんだ。民の力・人類の英知を、そして『女神と竜の神話』を――忘れることなかれ」


 ドーヴァはやがて心の中で最愛の妻に別れを告げ、歩き出す。


 彼が足を向ける先には、犬ぞりを連れた一人の男が待っている。

 フェンは歩み寄ってきたドーヴァの姿を見ると、その目に不安げな色を宿していた。


「父さん……もう良いのかい?」


 フェンの目尻には知らぬ間に皺が刻まれるようになっている。


 神殿を建てるうちに、いつの間にか月日は流れ、フェンは三十代を目前に。

 そしてドーヴァはというと、五十代を迎えるようになっていた。


 すっかり衰えて皺だらけになった父の姿を目に映す度、フェンは寂しさを覚える。

 その思いは、去年彼の妻であるジェーンが亡くなってから、益々強まる一方だった。


 しかしドーヴァはそんな息子の思いを知ってか知らずか頷いた後、微笑むようになる。


「ああ、もう良いよ。それよりも、イスティリアが寂しがっている。行こうか、フェン」


 ドーヴァに促される形で、フェンは犬ぞりに乗り、ドーヴァもまたそんな息子の後ろに乗る。


 走り出すそりの上、知らぬ間にずっと逞しくなった息子の背を目に映し、ドーヴァは目を細めていた。


「キミは立派になったな。後任もしっかりと育っているし、もう集落を任せても安心だ」


「もちろんだよ。父さんの後は僕が引き継ぐから、父さんは安心してほしい」


「ああ」


 ドーヴァは頷くと黙り込むようになったから、フェンもまた沈黙するようになる。


 彼らが今から向かうのは、リュミネス山の頂にあるイスティリア大神殿。

 今年からイドの集落より最年長のマルゴル人を大神官として、ブレスの傍に置く事が決まったのだ。


 新たなる入植者たちの手によって、今や女神への信仰は強まり、イスティリアの力は安定している。

 しかしマルゴル人にとって、最も恐ろしいものがこの『信仰』なのだ。


 過去にこのせいで神々から裏切られ、この地へと逃げてきた歴史がある。


 秘術は忘れたとしても、女神との繋がりだけは断絶するわけにはいかない。


 ちょうどそれを悩んでいたタイミングで、今やグランシェス王国の国王となったスーラが言った事があった。


「本当はね、この土地に帰った来たら母さんの傍に居てあげたいと思ったんだ。けれど今の僕は一国の王で、人々に必要とされていて、慣れていない者にとっては立ち入る事すら命懸けであるリュミネス山の頂へ留まる事ができない。せっかく大きな神殿が出来たんだ。神官だって要る。出来れば、誰かが母さんの傍に居てほしいんだ」


「ならばその役割は、かつてマルゴル人だった僕らにこそ相応しいね」


 ドーヴァがそう言って名乗りを上げたのには理由があった。

 それは神との繋がりを保つ意図も去ることながら、神への贖罪の意思でもあった。


 ドーヴァは二度も見てしまった。


 一度目は、グランシェスが女神と去る事を選んだとき。

 もう一度は、スーラが女神の寂しさを汲み上げたとき。


 色彩の民はいつでも、神と情緒的な関係を作り上げようとする。


 神とは、ブレスという自然現象から作り出した物である。

 マルゴル人ならその事は誰もが幼少の頃から教わりながら育っている。

 だからマルゴル人の大半は、神に何らかの感情を向ける機会が無い。


 しかしそれでは良くないのだということを、今やドーヴァは二人の人物から教わっていた。

 女神との縁をつなぎ、関係を深めることは、今後のマルゴル人にとっての課題なのだろう。


 どれだけ概念から生み出されたものと言えど、人工物であると言えど。

 その概念に意思が吹き込まれ、思念が吹き込まれたその時から、神もまた生きている。


(だから我々は選び取ろう。この先僕たちは、灰色の髪の民は――)


「女神と共に歩んで行こう」


 ドーヴァは流れ行く雪景色を眺めながら、そう呟いていた。





    ―― 第二部・第三章 女神の追憶 ―― 終



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